ことばを集めて新聞記者になった話(5)
記者の仕事は楽しかった。車を乗り回して、ありとあらゆるものを取材した。片側1車線しかない、間に細いワイヤーが張られただけの高速道路で現場に向かうとき、対向車の大型トラックとすれ違うたびに死を覚悟した。
それ以外には、身の危険を感じることはない程度に平穏で、ときどき嵐のように忙しい日が訪れた。その繰り返しだった。
僕は車の窓を全開にして田舎の道を走ることが好きだった。数十万単位のものを買うのは、その車が初めてだった。
仕事の合間を縫って温泉に足を伸ばした。いつ鳴るとも知れない携帯電話を脱衣所に置いて、湯に浸かって、ただ風景に見惚れた。
その土地の山は高く、空は広く、星は大きかった。昼盛りの太陽は美しく均整の取れた田畑を照らし、沈む夕陽は海の手のひらにすくいとられるように姿を消した。
愛すべき土地で、僕はひとつでも多くの記事を書こうと夢中になった。担当している地方で起こることすべてが、僕の書く材料だった。ひとつも漏らしたくないと思った。
「かなわない」と思うほど、すぐれた文章を書く記者にも会った。その人は「過去記事を見るな」と指導してくれた。
ちょうど、「たくさん書く」ことと「たくさん記事を出す」ことの違いがわからなくなっていた時期だった。僕は当時、取材をし、紋切り型の原稿に落とし込んで、記事を量産していた。フォードの工場のように効率的に原稿を出せることが、すぐれた記者の資質だと勘違いしていたのだ。
自分で考えて記事を書くようになると、その仕事の難しさに改めて直面させられた。
何を最初に伝えるべきか。どのような構成がもっとも読みやすいか。もちろん正解はない。書く前に、あるいは書きながら模索する。何度も書き直す。苦しいけれど、それ以外に上達の道はない。僕は一度記事を出すペースを落としたが、それでもなお書き続けた。
担当はいろいろ変わり、見える景色もいろいろ変わった。入社当時はとても手が届かないように見えた先輩の背中が、意外と近かったり、やっぱり遠かったりした。
そして出会った多くの記者は、やっぱり書くことが好きな人が多かった。まさに自分にぴったりな会社だった。新聞記事にはありきたりな字句が並ぶことが多いが、それでもときどき、ハッとするほど見事な言葉遣いが隠れている。華々しい特ダネの打ち合いよりも、僕は報道のそんなところが好きだった。
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