ことばを集めて新聞記者になった話(9)
僕はまとまった休みをとり、晴れて新しい職場に加わった。
転職してどうだったか?ーーよかった、の一言に尽きる。
働き方のメリハリもつき(休日に会社携帯を家に置いておけるなんて!)、取材と執筆の自由も、裁量もある。
可能性は洋々と広がっている。いまの会社では、ライターは珍しい人材だ。取材・執筆というスキルが一般企業でどう生かせるのか、一緒に探している。
確かに10年後、20年後の自分がなにをしてどうなっているかは、まったく見えなくなった。でも、前の会社に勤めていた時に見えていた「将来」も、所詮は幻想なのだ。幻が見えなくなったことを悔やむ必要などない。
新聞社では、数百人もの記者たちのなかで、僕はただ、「比較的よく原稿を出すヤツ」に過ぎなかった。そこからさらに頭ひとつ抜け出すには大変な労力と献身を覚悟しなければならなかった。
ときどき、退職したいと伝えたときの当時の上司とのやり取りを思い出す。僕のとりとめもない話に耳を傾けた上司は、「相対優位のなかで働きたい気持ちが強いってことか」と尋ねた。それは核心を突いた要約だった。「新聞記者として出世する人は凄いな」と、つくづく思う。
このnoteを投稿していること自体も、転職がもたらした変化のひとつだ。前の会社では、私的な文章を書くことにこれほど時間と労力は割けなかった。そもそも、こうした「私」の文章を書くこと自体への抵抗があった。
新聞記者は、事実を伝える仕事だ。主観や予断を排し、分かりやすく、新鮮な情報を届ける。
そこでは読まれることも、共感されることも、一義的な価値ではない。極端な話、読まれないことが分かりきっていても、「載せる意義のある話」は書く。
対してこの文章は、すべて僕から見た世界である。ここに重要な情報はない。ただ自分の心を整理したい。そして誰かに届いてほしい、という祈りがあるだけだ。まさに座右の銘として紹介した通り、「作家の喜びは、書く行為しのものにある」(モーム「月と6ペンス」)。
それこそが、僕が今回の転職で手に入れたもののひとつ。文章における「私」である。
僕はこう思った。僕はこれが嬉しかった、悲しかった。そういったものを、もはや記者としての使命を持たない、ひとりの人間として書いている。
思えば、始まりは薄暗い実家の書庫だった。ガサガサした表紙の、古い、ありきたりな名言集だった。あれに触発されて言葉を集めるようになり、やがて自分も言葉を自在に駆使することを望み、ここまで歩いてきた。ずいぶん遠くまでやってきた気がする。
続く。
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