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パイロット、諦めます

このアカウント最後の更新になると思います。
タイトルの通り、エアラインパイロットになる夢を諦めます。

この4年間、たくさんの事を感じてきたので最後に語らせてください。

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※文章がめちゃくちゃ長くなってしまったので、特に伝えたいことを先に書きます。

【パイロットを目指そうと思う方。そして興味はあるけどまだ悩んでる方へ。】

是非一歩踏み出してみてください。
最高の景色、最高の仲間、かけがえのない感情に出逢えると思います。
私が出会った方々は全体の受験者のごく一部です。
でも、本当に仲間想いの人ばかりだし、みんなで助け合って頑張ろうというこの空気感が私はすごく好きでした。
出会った人達もみんな、普通に暮らしてたら出会えないような面白い人達ばかりです。

私も最初は平凡な大学生でした。こんな自分が目指せる職業なのか?と何回も不安になりました。
ただ、「なりたい」と強く強く思って精一杯もがけば、(身体検査に適合すれば)誰にでもチャンスがある職業だと思っています。
そうして合格を勝ち取った仲間を沢山見てきました。

だからきっと大丈夫。最後まで諦めずに頑張ってください!
乗り越えた壁は自分を守る盾となる。
私の好きなフレーズです。

・大学2年時、パイロットを本格的に目指そうと思う。(2020)


元々高校生の頃から空を見るのが好きで、また航空ドラマにも幾つかハマっていたので、エアラインパイロットという職業には薄々憧れを抱いていました。

私が大学2年時の2020年は、コロナ禍真っ只中でした。オンライン授業でほぼ家にいる日々。

そんな時、ふと東海大学のパイロットコースのホームページを見ました。
そこには私と同年代の人達が飛行訓練している写真がたくさん掲載されていました。

この時、「私が今家でグーダラしてる間、憧れのパイロットという職業になるために訓練を頑張ってる人達がいるんだ」と凄い衝撃を受けました。この感情は今でも覚えています。

家に1人でいる時間も多かったため、それから「自分が本当にやりたい事はなんなのか」と考えるようになりました。

これもたまたまなんですけど、この時期に「ミスパイロット」という女性パイロット訓練生が主人公のドラマを見直していました。

とある回で、小さい女の子が1人で飛行機に乗って、「お姉さん、パイロットなの?女の人でもパイロットになれるの?」と主人公に聞き、「なれるよ。なりたいと強く思って一生懸命やればきっとなれる。」と真っ直ぐな目で答えるシーンがありました。

これを見た時、私はこの言葉を信じてみようと思いました。

そんなこんなで、私の長い長い受験生活が始まりました。

・R4年度受験、呆気なく散る。(2021)

エアラインパイロットへの道は何個かあるのですが、平凡な家庭の私が現実的に目指せる道は
・各航空会社の自社養成
・航空大学校
の2つでした。

自社養成の経験に関しては就活要素が強いため、あまり公の場では発言出来ないので今回は控えます。

航空大学校(以下航大)は満20〜24歳までの5年間だけ受験できます。
私が受験できるチャンスは残り4回でした。

自社養成の倍率が100倍ほどなのに対し、航大は4倍(学科試験)→2倍(身体検査)→1.5倍(最終試験)。全体で見ると1200人の応募者数中合格者108人、倍率12倍ほどとまだ現実的な数字。

パイロットを目指すに当たって特殊なことは、航空身体検査に通過する必要があることです。

そもそもの身体が適合してなかったら努力が全て水の泡なので、まず身体検査を受けました。

この時、「こんな背も低くて細い人がパイロット目指してるの?なんて笑われたらどうしよう」と要らない心配で胸をいっぱいにして、診療所へ向かいました。すごく緊張してたのは今でも覚えてます。笑

その時のお医者さんがすごく親切で、待合室にパイロット関連の雑誌をたくさん持ってきてくれて、最後には「頑張れ!」と力強く言ってくださりました。

ドキドキしながら受け取った結果は、適合。
ただしアレルギー値が高いので不利になる可能性はある。

一番怖かった脳波は異常なしとの事で安心しました。
まあアレルギーは努力で何とかなるっしょ…!と軽い気持ちで
よし、目指そう!と決めました。
(この後アレルギーに散々泣かされることになるとは思いもしなかったのです)

本格的に航大の試験勉強を始めたのは4月。
1次の学科試験までは3ヶ月しかありませんでした。

本当にキツかったのは物理。
高校で履修していなかったので、独学で1から学びました。

ただ、努力不足もあり3ヶ月では物理をマスター出来ませんでした。
呆気なく不合格。

あんなに勉強したのに落ちる時は一瞬で終わるんだな…と感じました。

この年、一緒に頑張ってた友達が最終合格しました。
彼は元々この年受けるつもりはなくて、私の「受けようよ!」の一言で出願を決めて、見事最終合格を勝ち取りました。

他の人の人生を変えるきっかけになれたんだな、と嬉しく思い、この年の受験は終わりました。彼は今北海道で飛行訓練をしています。

ただ、ストレートに合格を決めた彼とは違い、私には物理の勉強、アレルギー値をどうするか、など問題が山積みでした。
不安な気持ちを抱えたまま次年へ突入します。

この友達と一緒に見た飛行機。A320のパイロットが手を振り返してくれて、2人とも一瞬で320が好きになりました(チョロい)

・地獄の手術、絶対に最後まで諦めないと誓う。(2022新春)

色々ご縁があって、航空身体検査医で有名な耳鼻科の先生に診てもらえることになりました。
検査の結果、非特異的IgE値がかなり高い。慢性鼻炎のせいで鼻の中も荒れてる。合格は相当厳しい。と判断を下されました。

IgE値は先天的な要素もかなり関わっているため改善できるか分からないけど、鼻の中の荒れ具合は手術で改善できる。
との事だったので、1週間入院して手術をお願いしました。この事は別の記事で書いてるので、気になる方は覗いて見てください。

この手術がほーーーんとにキツくて、術中は全身麻酔なので意識ないんですけど、術後は頭痛と吐き気と意識が朦朧とした感じが同時に襲ってきました。
何回も血を吐きながら(汚くてごめんなさいね)、「こんな辛い思いしたんだから絶対にパイロットになってやるぞ」
と誓いました。

何事も、乗り越えちゃえば 武勇伝
私の好きなフレーズです。笑

・奇跡が起こったR5年度受験。(2022)

術後、IgE値は半減までして、学科の成績次第では最終合格を目指せるラインに達しました。

前年度の友達の最終合格を目の当たりにしたのもあり、手術の想いもあり、また、大学4年生という節目の歳で、受かれば卒業後すぐ入学できるとのこともあり、気合いを入れて勉強しました。

研究室が終わってからも絶対に毎日21時までは残って勉強してました。これを後2年間繰り返すだなんて、この時はまだ思ってなかったんですけどね…

試験直後は手応えも悪く、「落ちたな。またダメだったか」と思いました。
しかし8月、学科試験合否発表。まさかの通過してました。

そして9月の身体試験。身体検査はみんなで一緒に行うのですが、女子のパイロット志望に初めて会いました。みんな魅力的な子ばかりで楽しかったです。身体検査は毎回、出会いを楽しんでます。笑

まあアレルギー悪いしダメだろうな…と思い期待せずに見た11月の合格発表。

え…自分の番号がある…

まさかの身体検査を通過しました。
航大は身体検査が鬼門で、ここで半分は落とされます。
そして身体検査を通過すれば後は最終試験。倍率は1.5倍ほど。つまり、受かる確率は一気に上がります。

そして脳波試験も無事突破し、最終試験対策へと突入しました。

・夢にまで見た宮崎。憧れの世界。(2023/1)

最終試験は他の受験生と一緒に対策していました。
全国の仲間と毎晩のようにLINE通話で顔を合わせながら面接対策を行っていました。
ここで出会った仲間の存在が私にはすごく大きくて、みんな数少ない合格の座を奪い合うライバルのはずなのに、お互いに協力してフィードバックをし合って、全員で合格するぞと意気込んでました。

私は「夢を目指すきっかけとなったその人だけのエピソード」を聞くのが好きで、みんなの志望動機を聞きながら、素敵だな〜といつも思っていました。
シミュレータの練習にもちゃんと行きました。

そして迎えた本番。
航大の最終試験は、宮崎本校で行われます。

外の訓練機のエンジン音が響き渡る試験室での最終試験。
まさに、あと一歩で夢の世界へ行ける。そんな気持ちが湧いてきました。
面接は想定外の事を聞かれましたが、平和に終わりました。午後のシミュレータも1つミスをしましたが、すぐに修正して難なく終えたつもりでした。

休憩時間にみんなで見に行った、先輩方の訓練機。
フェンス越しには夢の世界が広がっていました。
その日の受験生ほぼ全員で飲み会。
試験後にみんなで飲んだビールは最高でした!
空でまた会おう、そう約束して各々の地へ帰りました。
後泊組でレンタカー借りて行った鵜戸神宮。

・絶望。人生最大の挫折。(2023/2)

そして迎えた最終試験合格発表日。
震えた手で画面を開きました。

ない…
ない…
落ちた

最終試験は108/156の合格率。私の番号はありませんでした。
一気に涙が込み上げてきました。

その数分後、周りの仲間がほぼ全員合格しているのを知りました。
・あと一歩だったのに落ちた悔しさ
・最高の仲間と同期になれなかった悔しさ

2種類の悔しさでいっぱいで、この日は一日中泣いて目がパンパンになりました。

最終合格した、面接対策を一緒にしてた子が「俺はまだ正直喜べない。落ちた仲間の分まで頑張らないといけない責任の重さをすごく感じてる」って言って一緒に泣いてくれて、それにも感動して更に泣きました。笑

私が「みんなが受かってくれて本当に良かった。○○くんも本当におめでとう。」と言うと、「でも、受かった仲間の中に自分がいないのがすごく悔しいんだよね」って言われて、それがグサッと心に刺さりました。今でも覚えてるなあこの言葉。彼は本当に尊敬している友達です。今パイロット訓練生をしています。

そして泣き疲れて眠った夜、この一夜のことをすごくよく覚えています。
飛行機に乗って、雲を突き抜けて青空を飛んでいる夢を見ました。

翌朝目が覚めて、そっか。私はまだ諦めきれてないんだ。と思いました。

そして、一緒に面接対策を行ってた子で落ちちゃった子が居たのですが、その子が落ちたその日からもう次年度に向けて勉強を始めたと聞いて、「そっか。他の子はもう動いてるんだな」と思いました。
私は彼ほど強くなかったので、勉強始めたのは合否発表の3日後になってしまいましたが…

彼は無事次年度で最終合格を掴み取りました。本当におめでとう!

・大泣きした伊丹。絶対に負けないと誓う。(2023/3)

私は元々伊丹空港脇の千里川土手という場所が好きだったので、次年度の気合い入れに行くことにしました。
関西に仲間が多かったので、みんなの合格祝いも含めて行きました。
どんどんフッ軽になってきて日帰りで大阪行けちゃうんですよね…

私はパイロットを目指してから、「なんであの人が受かって私が落ちるの」みたいな事を思ったことは1回もなくて、一緒に面接対策していく中で素敵だなって思う子ばかりだったし、みんなが受かったのは私も自分の事のように嬉しかったです。

ただ、みんなとお別れをする時に一気に悔しさが込み上げて来ちゃって、受かったみんなの前で大泣きしました。泣きすぎて帰りの飛行機の中で鼻血出ました。笑

帰りの飛行機の中で、「泣くのは今日で終わりにしよう。今年の経験は絶対忘れないし意味があった。来年は絶対合格を勝ち取る」と心に誓いました。

みんな私が搭乗するまでずっと手を振ってくれていました。
辛くなった時はこの画像をよく見返して、負けないぞ。って気合を入れてました。私のタカラモノ。

後日、試験結果開示により、シミュレータで不合格がついていた事が判明しました。
10分の試験で1年間の努力が全て泡になってしまったこと、とても悔しかったです。

・神様なんて居ないと悟ったR6年度受験。(2023)

この年は気合いの入りようが違いました。
前年度、あと一歩まで行けたという悔しさと自信を胸に、ひたすら勉強しました。

でも、メンタルは不安定でした。
毎日夜遅くまで残って勉強してたけど、帰り道に苦しくなって息が詰まってしまった事もありました。
帰りの電車の中で1人で泣いた日もあったな。

ただ、動き続けないといけない。今止まったら絶対後悔する。という衝動が私を突き動かしていました。

学科試験は無事突破。しかし300人中180位という低い順位だったので、身体検査で良い判定をとることは必須条件でした。

縁があり、航大卒の先輩と羽田で会った日の写真。
「夢は追いかけている時が一番楽しい」という言葉、
ずっとずっと忘れません。

そして9月の身体検査。
この年は女子受験生が過去最高人数でした。この時出会った子達も素敵な子ばかり。みんなでお昼一緒に食べて、終わったら1タミのロイホ行って語り合って。楽しかったな。

試験後の展望デッキ。
毎回試験後、飛行機を見ながら仲間と語り合う時間が大好きでした。

そして迎えた11月の身体検査結果発表。
前年度身体検査通過してたのもあり、体質改善の結果IgE値がベストを更新してたのもあり、何となく大丈夫だろうと思ってました。

画面を開く。

ない…
あ、終わった

自然と涙が溢れてきました。
この日、大学で講演会があったんですけど、マスクで顔隠しながら2時間ずーっと泣いてました。

まだ学科試験を死ぬほど努力して勉強してないので、こんな事言える資格がないのは分かってます。
でも、この時「そっかそっか神様なんて居ないんだな」と悟りました。
神社に行っても何をお願いすれば良いのか分からなくなっちゃいました。

この時期は本当に辛かったな。あまり思い出したくありません。笑

その後、就活をガチりM1の12月末に内定を頂き、一旦メンタルは回復します。
ただ自分の中で「このまま終わっていいのか…?」とモヤモヤは残ったままでした。

・ラストチャンスの1年、吹っ切れてたR7年度受験。(2024)

就活も無事終わり卒業まであと1年ちょい。
ラストチャンスに挑戦しないという選択肢はありませんでした。

毎年落ちた後は千里川に行ってるので、この年も行きました。

私は元々飛行機を眺めるのも好きだったんですけど、昔は純粋に楽しめていたのに、今は「自分はあそこに本当に辿り着けるのかな…」と一歩俯瞰して見るようになっちゃったんですよね。
飛行機見ると、昔好きだった人に道端でばったり会った時のように、何とも言えない感情が湧き上がってきます。これ理解してくれる方いるかな。笑

就活で納得のいく会社から内定を頂けたこともあり、大分メンタルは安定していました。
「パイロットになれなくても、この会社で働く自分の姿も楽しみだしどっちに転んでもいいや。」と考えられるようになりました。

それに、あんまりのめり込みすぎちゃうと、またダメだった時のダメージが大きいでしょ?

「パイロット以外の職業は考えられない。これ一本。」って人達を何人も見てきました。
それももちろん大事な事だし、強い気持ちがないとなれない職業というのは痛いほど理解していました。

ただ、私はそれだと苦しくなっちゃう。
理想に届かなかった自分に絶望してしまう。

だから、一歩引いて物事を考えるようになりました。
「最後までやり切って後悔なく終えられればそれでいい。」
そんな思いで過ごしていました。

当時読んでいた本。この時期に出会えて、本当に良かったと思います。
「孤独がきみを強くする/岡本太郎」

この年は、ただ淡々と勉強していました。今年でこの長い戦いが終わると考えて、最後の力を振り絞りました。
時間があった分、勉強量は過去1でした。これだけやって落ちたらしょうがない、そう思えるところまで自分を追い込みました。

そして迎えた試験当日。
完全に捨てていた数3が何問も出題されました。
手応えは微妙でした。でも、やり切った。達成感はありました。

試験後に訪れた羽田。
この4年間でこの場所に沢山の思い出ができました。

1次試験の結果発表日。
私の番号はありませんでした。

そっかそっか。。もう全て終わったんだな。

不思議とすんなり受け入れることができました。去年と一昨年、落ちた時はあんなに泣いたのに。今年は涙が一滴も出ませんでした。(仲間からのメッセージには泣きそうになりましたが笑)

自分の中でパイロットへの気持ちが少し冷めていたんだと思います。
今年から学費が値上げして、受かっても入学できるか分からなかった。
それに身体の不安もあったし、受かったとしても不安を抱えながら訓練するのは嫌だなと考えていました。

私の席を、私より適性のある方に譲ることが出来た。そう考えました。

もちろん悔しかった。せめて身体で落ちて終わりたかった。
ただ、これが自分の実力だった。
言い訳はしません。努力不足だったし私にパイロットは向いていませんでした。

不甲斐なさはありますが、今はやり切ったという晴れやかな気持ちです。

・この4年間で感じたこと。そして新たな目標。

4年間、エアラインパイロット訓練生になろうと頑張ってきましたが夢は儚く散りました。
2025年4月からは別業界の、内定先の企業で働きます。

ただ、私はこの4年間の沢山の経験と出会いは人生の宝物だと思ってます。
努力が報われない形となってしまいましたが、目指した事に後悔は何一つありません。
この4年間、心が動く瞬間を沢山体験出来て幸せでした。
特に2022年度の宮崎へ行った思い出は一生忘れないと思います。

長い長い受験生活を経て、忍耐力、根性、挫折から這い上がる力、最後まで諦めない力など沢山のことが身につきました。

タイトル画像にした御守りたち。
手術の時も持って行ったし、面接の時もスーツのポケットに入れてたし、勉強する時のペンケースに入れていつも持ち歩いていました。
本当は御守りは定期的に新調しないといけないのですが、私はこの子たちに情が入っちゃって換えられません。
これから先、人生でまた乗り越えなければいけない壁が現れた時に私を守ってくれると信じて、大切に持っておこうと思います。

そして、新たな目標ができました!
「夢を叶えた仲間が操縦する飛行機に乗ること」
これが私の長期的な人生の楽しみです。
みんなが腕に金色のラインが入って一人前になった時に、私も胸張って再会できるように内定先の企業で頑張ろうと思ってます。
まだまだ負けないからね〜!

・最後に、晴れてパイロット訓練生になる事ができた仲間たちへ

これを読んでくださっている方の中で、パイロット訓練生の方がいれば、この事を頭の隅に置いておいて欲しいです。

身体不適合というどうしようもない理由で散った人達が沢山いること。

私自身もアレルギーに苦しめられました。そして、私だけじゃないです。この4年間で身体が理由で泣く泣く諦めた人を沢山見てきました。
だから、身体が適合してる方には私たちの想いも含めて、訓練を頑張って欲しいと思っています。

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長々と語ってしまいました。これが私の4年間の記録です。
こうしてまとめると、かなり密度の濃い時間を過ごす事ができたんだな、とちょっぴり誇らしく思います。

後々自分で見返せるように、気持ちが新しいうちに書いた文章ですが、もしこれを読んで「パイロット目指してみようかな」と思ってくださる方がいれば光栄です。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

最後に。
勇気を出して挑戦してくれた過去の自分、ありがとう。
23歳の私より。


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