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【連載】ノスタルジア大図鑑#17|失われつつある食を求めて:篩 編

今回は、時代とともに変わりゆく「食」を独自の視点から観察する、花井直治郎さんの〈失われつつある食を求めて〉第2回目です。

タイトルにルビふってよ、と思ったあなた。
この記事を読んだら、きっともう「篩」の読み、忘れないですよ。

一瞬「文字化けか!?」と思ったみたこともない漢字は、古くから日本の生活に息づき、使うほどに手に馴染み、料理を一段も二段も美味しくする、幻の道具でした。


第1
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【ノスタルジア大図鑑とは】
昭和やそれ以前、物心ついた頃からあたりまえにあったもの。
めまぐるしく移り変わる時代の中で、気づいた時には無くなっていることも。さまざまな理由で「このまま放っておいたらいつか無くなってしまうかもしれないもの」、後世までずっと残して受け継いでいきたいと思う「日本の文化・日々の暮らしの中の物事」を取り上げ、個性豊かな執筆陣による合同連載<ノスタルジア大図鑑>としてお届けしていきます。


第2回:篩

篩。
読めますか?
漢検1級レベルの漢字なので、たとえ読めなくても悲観することはありません。

音読みは、し。訓読みは、ふるい。
でもって、今日のお話は、篩。訓読みの、ふるいの方です。

そもそも、篩って何?
そう思った人もいますよね。大学生のときに買った分厚くて重い『広辞苑 第三版』を開いてみます。辞書を引くってことが、ノスタルジアな今日この頃です。

ふるい【篩】粉または粒状のものを、その大きさによって選り分ける道具。普通、まげ物の底に、馬尾・銅線・絹・竹などを貼ったもの。

ここで、あっ、と思った人は、せっせとお菓子をつくったことがある人かもしれません。お菓子のレシピには「粉をふるう」という表現が頻繁に登場しますからね。お菓子づくりにおいて粉をふるうことは、とっても重要な行程。空気を含ませたり、ごみなどの異物を選り分けたり、細かくしたり……ふるうことでおいしくなるんですよね。
その役割を担う道具が、篩、です。

でもね、あっと思いながら、おやって思った人もいるはずです。
ここで『広辞苑』から再び引用しますね。

「普通、まげ物の底に、馬尾・銅線・絹・竹などを貼ったもの」

いまを生きる私たちが、料理で粉をふるうときに使う道具は、ほぼ100%といっていいほど銀色。ステンレス製がほとんどですよね。
馬?  銅線?  絹?  竹?  
いやいや、そんな篩は見たことないですよね、普通。



新潟に篩職人を訪ねたのは5年と、ちょっと前のことです。目指したのは、日本海に面した寺泊という小さな港町の、かつては篩の生産地として栄えた山田という名の小さな集落。

はて、かつてというのは、いつ頃なのか。現存する資料を紐解くと、篩組合が天保年間にあったことがわかります。天保年間。ノスタルジアを通り越して、歴史です。ちなみに、天保年間は1831年から1845年のこと。

当時、山田地区は山田宿と呼ばれる宿場町で、旅籠屋や飯屋が軒を連ねていたと教えてもらっても、いまとなっては想像することすら難しい風景が眼前に広がっています。見渡す限り、山と田んぼ。古い家並みの少し先には海。

でもね、篩屋はあるんです。一軒だけ、残っています。「足立茂久商店」。十一代目当主になる足立照久さんがいまも篩をつくっています。ちなみに、新潟県内で篩職人は、いまは足立さんひとりだけみたい。

『広辞苑』にあるように、篩はまげ物=曲げ物。篩職人がつくる道具は、ほかに裏漉し、蒸篭、わっぱなどがあるんですよね。

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寺泊は新潟ではポピュラーな海水浴場&漁港。山田地区から日本海を望むと、こんな感じ。
©️小原孝博


ふと、子供時代を想い出します。サンタクロースが実在すると信じていたあの頃。母親がクリスマスケーキをつくってくれたことがあったんですね。母がお菓子の本を見ながら、楽しげにケーキをつくる様子をわくわくしながら眺めていると、「ちょっと手伝って」。

大きな木製の丸い道具を持ってきた母は、そこに白い粉を入れると、子供たちにその道具を揺するようにとお願いしたんです。とは言え、小学校低学年と幼稚園に通う兄妹では、手に余るサイズ。ふたりで両端を持って、必死に揺するんですけど、これがなんともうまくいかない。最終的には全身が真っ白になって、みんなで大笑いした記憶があります。

そう、半世紀近く前の我が家には、確かに篩がありました。『広辞苑』が言うところの篩が、ね。よくよく考えれば、篩の産地であった寺泊は、生家から車で30分ほどの距離。もしかしたら、あのとき使った篩は山田地区でつくられたものだったのかもと、妄想が膨らみます。

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「足立茂久商店」の作業場には、曲げ物がずらり。篩だけでなく、裏漉し、蒸篭、わっぱなどなど。
©️小原孝博


「足立茂久商店」で目にした篩づくりは丁寧で見事なものでした。見ていて惚れ惚れするほどに。

自分用にカスタマイズされた道具を使って、唐檜の柾目の板に切り目を入れ、そこに山桜の皮を通して、手も足も使いながらきれいに丸めていくんですね。

ここで注釈。唐檜と言ってもピンときませんよね。とうひ、と読みます。唐檜はマツ科の針葉樹です。そう聞いても、あぁって思う人もなかなかにいないと思います。ここから先は興味があれば自力で調べてみてください。軽くて丈夫、ということが特徴で、粉をふるうのは重労働ですからね、軽いってことは絶対的な条件になるんですよね。

もうひとつ、柾目。まさめ。木には柾目と板目があるって知ってます? と聞いておきながら、ここでは重要な要素ではないので詳しいことは省略しますね。柾目の方が板目よりも反ったり、収縮したりといったことが少ないから、篩で使うには重宝するんですね。
で、唐檜の柾目がなかなか手に入らない。結果として、高値になる。ということは、篩も高価なものになるわけです。

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チョッキン、チョッキンと切っているのは山桜の皮。丸くした板を留めるために使います。
©️小原孝博


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見慣れない道具類(自作のオリジナル!)を使って、少しづつ完成へと近づいていきます。
©️小原孝博


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ここでつくられる曲げ物はすべて手づくり。いや、足も使ってつくります。時には体全体を使ってつくります。
©️小原孝博


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これは、曲げ物の進化形。電子レンジでも使える「わっぱせいろ」。金属不使用。釘も木製です。
©️小原孝博


果たして、篩を見たことがあるって人はどれだけいるのかな。『広辞苑』でいうところの篩ですよ。と思って、まわりの20代、30代、40代に聞いてみると、10人中ひとりだけが、ステンレス製じゃない篩の存在を知っていて、あとはポカン。ノスタルジアどころか、幻の逸品になっているとはね。

いま、篩を使っている多くは、料理人です。料亭だったり、和菓子屋さんだったり。本物の篩の何がいいかっていうと、修理が可能なこと。仕事道具は手に馴染んだものがいいに決まってます。壊れても、篩職人がなおしてくれることで、長く使えるわけというわけ。

壊れたら、なおす。長く使い続けることで道具に対して愛着が生まれ、より大切にする。なんてことがノスタルジアな世の中なのかな。


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篩の網には真鍮を使います。丸めた板に被せたとき、ハサミが活躍しています。
©️小原孝博


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網を張っていくとき、棒(のような道具→右上にぼんやりと見えますね)で叩きながら、馴染ませます。
©️小原孝博


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完成間近。普段、目にしたことがある篩とは別物に見えますよね。品があって、凛として、美しい。
©️小原孝博


もう一度、『広辞苑』で「篩」を引いてみます。最後にこう書かれているんですね。

―にかける 多くの中からよいものだけを選び出す。

―のところに入る言葉は、もちろん、篩、です。

篩にかける――
篩を読めなくても、本物の篩を知らなくても、この言葉は知っている人は結構いるはずです。その昔、篩が日本人の生活にどれだけ根付いていたものだったか、うかがい知れますよね。

今度、篩を買うことがあったら、篩にかけてみてください。



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イラスト©mappy

【著者プロフィール】
花井 直治郎(はない なおじろう)
1969年、新潟県三条市生まれ。不惑を過ぎてから食のメディアに関わるようになって、いまでは仕事のフィールドが食ばかり。気がつけば体重が20kgほど増えていて、現在も高値安定。好きな言葉は「ベースボール&カレー&ロックンロール」。


「日本全国キーホルダーぶらり旅」を含む、個性豊かな執筆陣による合同連載「ノスタルジア大図鑑」はこちらから↓


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