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03 観覧車とメリーゴーラウンド

[編集部からの連載ご案内]
白と黒、家族と仕事、貧と富、心と体……。そんな対立と選択にまみれた世にあって、「何か“と”何か」を並べてみることで開けてくる別の境地がある……かもしれない。九螺ささらさんによる、新たな散文の世界です。(月2回更新予定)


ずっと、観覧車を倒すとメリーゴーラウンドになるな、と思ってきた。
それは空想建築家的というかガリバー的視点というか、一人王様的というか身勝手な妄想というか……。

でもこれは、近景にメリーゴーラウンドがあって、遠景に観覧車がある場合の遠近感のもとでの発想だろう。実際に観覧車を倒したら、山手線くらいになってしまうからだ。

これは大げさな言い方だけれど、とにかく観覧車を倒したら、とてもメリーゴーラウンドでは済まない。馬たちはもっと大きな円を回ってしまう。それくらい、観覧車は倒したら場所を取る、ということだ。

自転車の車輪を考えてもらえればイメージが湧きやすいだろうか。
タイヤを本体からはずして玄関にメリーゴーラウンドのように置いてみると、靴をどかさなければならないほど場所を取る。
しかし観覧車のように立てれば、うまくすると壁と同化して何事もなかったかのような事なき景となるであろう。

このように、観覧車というのは遊園地における収納上手さんなのであり、メリーゴーラウンドは、こんまりに診てもらうべき、収納下手さんなのだ。

ちなみに、きっと誰もがメリーゴーランドと言ったり書いたりするため検索でも「メリー」と打った時点で候補にメリーゴーランドが上がってくるが、正確には「メリーゴーラウンド」である。

メリーがぐるっと回るのであって、メリーゴーランドだとメリーがコロンブスになって新大陸を発見してしまう。

たくさんの人類が一斉にメリーゴーランドという言霊を念じて打つと、時空が誤変換を起こして、卵がコロンブスを発見してしまう。
場合によっては、世界中のスーパーの卵からコロンブスが孵ってしまい、この星は永久に新大陸を発見できない。

コロンブスの仕事を奪わないためにも、わたしは心して「メリーゴーラウンド」と打とう、と思う。

絵:九螺ささら

九螺ささら(くら・ささら)
神奈川県生まれ。独学で作り始めた短歌を新聞歌壇へ投稿し、2018年、短歌と散文で構成された初の著書『神様の住所』(朝日出版社)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。著作は他に『きえもの』(新潮社)、歌集に『ゆめのほとり鳥』(書肆侃侃房)絵本に『ひみつのえんそく きんいろのさばく』『ひゃくえんだまどこへゆく?』(どちらも福音館書店「こどものとも」)。九螺ささらのブログはこちら

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