認識とはなにか その3

手首が痛いと感じるとき、自分は手首に痛みを感じている。このとき痛みは対象の内容であり、手首は対象の場所である。
ラーメンのにおいを感じたとき、ラーメンのにおいが対象の内容であり、嗅覚が対象の場所である。
ラーメンがおいしいと感じたとき、ラーメンのおいしさが対象の内容であり、味覚が対象の場所である。
UFOを見たとき、UFOが対象の内容であり、視覚が対象の場所である。
17時のチャイムが聞こえたとき、17時のチャイムが対象の内容であり、聴覚が対象の場所である。
このように、自分が対象を把握したとき、対象には内容と場所の認識が必ず伴っている。

赤ん坊は追視をし、大きな物音にびっくりし、くすぐられると笑う。
「びっくりしたわ」、「やめてくださいよ」と赤ん坊は言わないが、これらは赤ん坊が対象を把握したことによって起こる反応と考えられる。赤ん坊には赤ん坊なりの対象の把握が、内容と場所の認識が備わっていると言える。

動物はどうだろうか。動物は獲物を追い求め、天敵を警戒しながら弱肉強食の世界で生きなければならない。空から小動物を発見し、血の匂いを嗅ぎ分け、物音をひそめながら生きている。これらから、動物が内容と場所の認識を獲得し、対象を把握していることは自明だろう。

対象を把握する仕組み、内容と場所の認識を得るしくみはどのようなものだろうか。

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