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アト・ザ・バー
一年前くらいに、地元に唯一ずっとあるバーのマスターが亡くなった。いわゆるマイノリティが集まるバーで、僕も心底悩んでいた頃、仕事が終わった後に初めて行った。
店内は薄暗かったけど、マスターは優しくて、特に何を話したか覚えてないけど、そこからたまに通うようになった。
本当に様々なことに疲れていて、未来も不確かで、どうやって生きていったらいいかわからなかった。本当はダメだと思うんだけど、ある日あんまりにも悲観する僕に、お守りだと言ってマスターが精神安定剤をくれたこともある。
マスターの恋人は僕と同年代で、その頃からたまに遊ぶようになった。亡くなった時も連絡がきたので、あわてて会いに行った。
マスターの最期の言葉は「頑張って生きろよ。さらば」だったと言っていた。
皆、その子がマスターの家に一緒に住んでいたことを知っていたから今後のことを心配していた。
とりあえず追い出されないことを知って安心したけど、でもこれが異性との結婚だったらこんなことで心配しないのになと思った。彼らは15年以上も一緒にいたのに、家族じゃないないなんて、一体誰に裁けるだろう。
20代の僕は仕事を辞めて、部屋のものを全部売って世界一周に出て、そこから長い間地元には帰らなかった。
何人もの人に出会って、話したり、泣いたり、もう会わなくなったりした。人生で知り合った何人かは亡くなった。
あったけれど、触れたけれど、今は形を変えて別のものになったもの。もしかしてそれは自分だったかも知れない。僕はたまたま生き延びて、今日を生きている。
前に生産性がないとか、そんな話もあったけど、何も残さない人なんていない。バーで会った人はみんな笑顔で、どこか寂しそうで、そして自分の人生を懸命に生きていた。
今幸せだなって本当に思うけど、悲しみが、喜びで見えなくなってしまわぬようにしたいなと思う。その傷跡からじゃないと、見えないものがきっとある。
マスターが亡くなった冬、バーからの帰り道、街の冷えた風があまりに澄んでいて、息が白くて、目を閉じるとそのまんま星空に溶けていってしまいそうだった。
今でもたまに、ぐっと目を閉じて宇宙にいるような想像をしてみる。まだ行ったことのない向こう側で、喜びや悲しみが届かない星の流れを見つめている。
僕は今日を生き延びている。でも、抱えきれずにこぼれ落ちたものの何かが、忘れてしまってもう思い出せない寂しさが、まるで亡霊のように、あの冬の日の冷えた街のどこかに、まだいる気がする。
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