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今まで見たことがない色づいた景色

自分が1番大好きなバンドのvivid undressが、活動終了を発表した。発表を聞いた直後は混乱もしたし、ショックだったし、どうしたらいいのかも分からなかったけれど、YouTubeやkiilaさんのブログでの発言を読んで、ある程度整理してきたので、今感じていることなどを書こうと思う。

vivid undressを初めて知ったのは2018年。ちょうど3年前くらいだった。当時自分は、プルモライトというバンドが好きで、ライブ行きたいなーと思っていたら、大阪で、ツーマンライブをやるということを知った。その時の相手がvivid undress。ライブ前に予習で聞いたらその時点でハマって、ライブ当日、帰る頃には夢中になっていた。今までいくつかのライブを見てきたけど、1番衝撃を受けたライブだった。とにかくすごかった。全員の演奏がレベルが高く、奇跡的なバランスで成り立っていて、ボーカルもその演奏に全く負けていない。特に、“さよならジレンマ“の破壊力は凄まじくて、その日に買ったCDをしばらく聞き込んでいた。音楽の専門的なことは一切分からないけど、とにかくすごかった。もしこれが、お笑いのライブだったら、この人たち今年のM-1確実だなと思うくらい何もかもがすごかった。

またあのライブが見たいと強く思った自分は、翌年3月の東京で行われたワンマンライブも観に行った。岡山に住んでいたのに、ライブを見るためだけに東京まで行きたいと思ったのはvivid undressが初めて。おそらく、自分が他にそこまでして見たいと思うのはあとは、ウーマンラッシュアワーくらい。それほど、自分はのめり込んでいた。(自分の中でウーマンラッシュアワーの存在感がとんでもないということはまた別の機会に)

そして、また翌年の2月、2020年の2月という、ライブができたこと自体がかなりギリギリの時期に行けたのが3回目のライブ。大阪で行われたワンマンライブ。事実、この後の東京公演は中止になったから、本当にギリギリだった。大学の卒業旅行で大阪に行った途中で、抜けて、ライブを見に行った。(ライブの予定が先だったし)そこで聴いた“それでも“は、自分に大きな影響を与えたと思う。

当時、恋愛面でしんどくて、夜中、音楽を聴きながら散歩するときによく聴いてた曲だった“それでも“。最初は聴けたこと自体が嬉しかったけど、聴きながら、その場で動けなくなって、聴き終わる頃には泣いていた。普段から人の心がないとよく言われる、全く泣くことがない自分にとって、初めての体験。色んな要素が重なったとはいえ、ライブ後は与えられたものが多すぎて、しばらくは呆然としてたと思う。

その後、福岡に住んで、またライブに行けると思っていたものの、コロナ禍に突入してしまい、ライブが軒並み中止になってしまった。緊急事態宣言が重なり、直前での中止も体験した。あの時、大阪公演を見に行くことができて、本当に良かったと何度も思った。

話は変わるけれど、去年1年間は自分にとって、本当にしんどい1年だった。教師になったはいいものの、待ち受けていたのは、聞いていて想像していた以上の地獄で、心が死んでいた。

https://note.com/two_siren/n/nac18d3ff0aca

この時、何度もvivid undressの音楽に救われた。憂鬱な毎日の中で、数少ない楽しみは、音楽を聴きながら歩いて出勤すること。憂鬱な朝を音楽を聴くことでどうにか乗り越えていた。何度も、“それでも”を聴きていた。もちろん、他の曲も。

vivid undressの曲の特徴は、弱者側からの言葉、不満、希望みたいなものが多いような印象がある。言語化するのは難しいけれど、現状の不満や、社会への怒り、そんなものが表現されていることが多い。“それでも“や“シンガーソングライター“なんかは希望や願いもある気がするし、とにかく振り幅も多いんだけど、とにかく、辛い時に支えてくれる、背中を押してくれるような曲が多い。インディーズ時代は特に。

ここからが本題。本当に狭いけれど、いくつかインディーズのバンドにハマった経験から、この、社会への不満や怒りを表現するということに関して、大きなジレンマがあるとずっと思っていた。それは、バンドが成功してしまうと、不満がなくなってしまう。どうしても、あの日々の熱量には敵わなくなってしまう。自分がやりたいことを全力で表現しているのに、それでも満たされない。そんな人の魅力って、強いと思うけれど、満たされた時、その武器は消えてしまう。当然、その時になれば、別の武器は手に入れているだろうし、不満がなくても歌詞は書ける、曲は書ける、じゃなきゃ、バンドは長くは続かないんだと思う。

それでも、曲を聴いていくと、どうしても、売れてない頃の、満たされてない思い、不満、怒りなんかが、ストレートに表現されてる歌詞や曲に惹かれてしまう。多分、それも自分が若いからで、そういった歌詞に共感できるっていうのもあるんだろうけど、最近の曲自体は好きでも、好んで聴くのはあの頃のあの曲みたいなのがある。

そういった考えや感覚があるから、kiilaさんのブログでの文章はものすごく納得してしまった。アニメが、全く分からない以外は。

前に解散したバンドが、これ以上は無理だと感じたからと言ってたときには、あの人たちで無理ならと絶望を感じたりもしたけど、vivid undressとして表現したいものが終わったというようなことには、反論の予知もないというか、今は本当に大好きだし、ずっと好きでいると思っているけれど、もし、この先バンドが続いたとして、変わってしまったと思わないか、昔の方が良かったと思わないかと聞かれれば、絶対に思わないなんて言い切れない。なら、その判断を受け入れるしかないんだと思う。vivid undressという物語は打ち切りで終了になったんじゃない。作者が理想とするタイミングで連載を終了することができたんだ。そう思うと、悲しいけれど、受け入れるしかないと思った。

前の方がよかったとか
そんな簡単に言わないでよ
壮絶だった
変わりたかった

“感情戦争”という曲にこんな歌詞がある。受け手側、聴く側の人間は簡単に変わっちゃったなんて言うけれど、変わる側からしたら、相当な決意があって変化をしているのかも知れない。vivid undressの中でも特に好きな歌詞。多分、色んな気持ちが込められているんだと思う。

vivid undressとして、kiilaさんは何度も、死にたいと本気で思ったら、死ぬ前に、どうせ死ぬならと本気で何かやったらいいと言っていた。この言葉があったから、自分は教師を辞めてお笑いに挑戦してみようと決断できたんだと思う。いや、正確には、死ぬことをやめて。

何回も、この考え方に背中を押された。死ななければ、まだなにかができる。死ぬのはその後でいい。どうせ死ぬなら、死ぬほどなにかに取り組んで、その中で死んでもいい。

vivid undressに出会えたから今がある。だから、残りのツアーはなんとしてでも行きたい。最後は絶対に観にいくし、できるなら、それ以外でも見れるなら見たい。

本当に大好きだったし、その分ショックは大きいけれど、今まで救われてきたことがなくなるわけではないし、これからも、vivid undressの音楽に救われていくんだと思う。ただ、絶対に、自分はこれから、もし、万が一、色々なものを発信できる側になったら、ずっとvivid undressっていう最高のバンドがあったんだってことは伝えていきたい。最高のバンドじゃなくなるわけでは決してない。

今はとにかく、最後のライブがコロナで潰れてしまわないこと、それだけを願って、最高のライブが見られることを日々のモチベーションにして頑張っていこうと思う。まずは、お疲れ様でした。最後まで、全力で楽しむので、よろしくお願いします。そんな気持ちです。本当に、ありがとうございました。

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