2024/04/06

※虫の話です。苦手な方はお気をつけて

頭部のない蠅を初めて見ました。顔の掃除に力を込めすぎるあまり自ら頭を取り外してしまうことがあるのは知っていたのですが、彼ないし彼女もそうだったのでしょうか。頭部と左前脚が欠損していました。そして、頭部を失うとバランスが取れなくなり飛べなくなるのですね。眼もない身体でどこへ向かうかも分からないまま、飛ぼうとして首の断面をぶーんとテーブルへ押し付けていました。何が蠅を動かし、あまつさえどこかへ飛び立たせようとするのでしょうか。もう口もなくあとは餓死するばかりだというのに。飯田茂実『一文物語集』(e本の本、2011、旧題『世界は蜜でみたされる』水声社)に対して「美しい徒労」という紹介がされていたのを見たことがありますが、こちらはそれよりもそもそもの意思が見つからない点で根源的。どちらかと言うとアニメ『ダンジョン飯』OP、BUMP OF CHICKEN『Sleep  Walking Orchestra』の

どうして体は生きたがるの
心に何を求めているの
肺が吸い込んだ
続きの世界
何度でも吐いた
命の証

という歌詞の方がしっくりときて見えます。頭部と脚の欠けた身体が生存のわずかな可能性にかけて、羽ばたきながらテーブルへ首の断面を力の限り押し当てているのだとしたら、それは小指の爪にも満たない全長とはとても思えないスケール感の出来事なのでは(「首なし鶏マイク」の例もありますし、おそらく運良く食物が首の穴に入り続ければ生存は続くのではないかと想像されます)。合理選択としてカロリー消費を厭わず運動する生存本能への畏怖と、あまりの望みの薄いことによる憐れさで、蠅を始末することができずお店を後にしました。

書いている今は布団の中で、私の生存を脅かす要素は限りなく無いと言えるでしょう。あとは体の求めに従って眠るだけです。食事をながく楽しむために歯を磨くのを忘れないようにして。

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