祭りのあと

 みんな鈴をつけて歩いているので、しゃらしゃらと、りんりんと、そしてその中間の音が常にどこかから聞こえている。例年を知っている訳ではないけど、おそらくねぶた祭りの後の青森駅前はいつもこうなんじゃないか。鈴の音がその人の居場所を明確にするはずなのに、それが複数個合わさると距離感が消え音の中に取り残されたような気になる。鈴の群れに囲まれながら歩き出す。周りにあったものはいつの間にか体内にいる。私の中に涼しい銀色をした樹々が立ち現れてゆく。3分と保たず忘れられる、常銀の森を抱えて進む。

 私が駅に着いたのが遅かったばかりに、友達はもう眠たくなっていて、朝までカラオケする予定は明日へ持ち越しになった。そうなると私は実家までの足を確保しなければならず、Googleマップでは3.1km徒歩で43分。43分かあ。タクシーが見つかるまでは歩こう、と決めてほぼ一直線だと初めて知った駅から家までのルートをなぞり始める。

 人の汗、生ごみ、制汗剤、香水、煙が混ざった、甘いような酸っぱいような大気を顔から纏いつつ進む。人通りはまばらだけど0時を回っていることを思えば多い。ハネト(ねぶた祭りでねぶたに合わせて跳ねながら行進する人)の格好の人が半分くらい。あとは思い思いの普段着、カップルはくずした他所行きの服。歩く人はほとんど駅とその前の飲み屋街へ。私は反対側へ進むのでその表情が全て見え、お酒に酔っているか祭りの空気に当てられているかのどちらかで上気した顔が分かる。

 歩いていない人はみんな思い思いに駐車場や歩道まで席を設けた居酒屋で飲んでいる。この夜に仲間と楽しめたことへの高揚が、店から漏れる光以上に道を明るくし、歩道を膨らませて見せる。交差点のローソン前にはものすごい人がいた。しゃがみ込んで缶のお酒を飲みながら話に盛り上がっている。アルコールが分解されきるまではお祭りの酩酊も引き延ばされて、終わりゆくものにしがみつくような悲壮感はない。大業が為された後のふんわり弛緩した盛り上がりが、空気に弾力を与えるような明るさとなって夜の深度は測れない。

 20分ほど歩くともう飲み屋街も終わって街灯がまばらにあるのみになる。タクシーを探すことは完全に諦めていたし、歩くのが楽しくなり始めてる。車自体そこまで走っておらず、駅前の盛り上がりも遠雷のような希薄さへ変わっていた。それでも時々どこかの駐車場から抜けるような笑い声が聞こえる。少しトイレに行きたい。ここまで来るとコンビニもないな。奴はもう寝てるんだろうか。

 歩き始めて30分くらいになると慣れないマーチンのサンダルで来たために靴擦れが痛い。足が痛いと歩く行為が細分化される。痛みがそれぞれ楔となってなめらかな動作のコマ割りがどこで行われているか教えてくれる。継続するそれは体の構造への理解を助けることもあるから、時間にも空間にも使える定規としての痛みというのもあるかもしれない。とはいえ有難い話じゃないなー

 国道が赤信号になると本当に静かな時間がある。家への道の目印であるガソリンスタンドまで来ると裏道を使った方が早いけど、せっかくなので見慣れた国道沿いを歩く。ベルトを緩めると靴擦れはましになった。履き方が悪かったらしい。周りに人がいないので事象が内省に結びつきやすい。ここまでに私を追い越した自転車:2台。

 中学校卒業後の9年間で潰れていたお店:青果店、蝮料理が売りの中華屋。テレビの受信アンテナがミッキーの顔になっている家の前を右に折れ、さらに進む。以前の友達がいた家は別の誰かが住んでいるらしい。そういえば国道沿いライトは全て暖色系だ。この時間の明かりは降り注がなければ意味がない。どこかで銀色の森に夕ぐれが訪れていればいい。祭りの後の華やかさと生臭さの気配はもうどこにもない。あそこを歩いている時、私は決定的に混ざることがなく、非常にさみしくて落ち着いたいい気分だった。家まではあと5分くらい。

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