不在の輪郭

うつくしい兄などいない栃の葉の垂れるあたりに兄などいない
/佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』

失われたそれは、失われたというまさにそのことによって特権化された(それの意図に反して)。
それは、求めても得られないがゆえに、いつまでも求め続けることが可能な存在になった。
/二階堂奥歯『八本脚の蝶』

二階堂奥歯さんの文章は過去に存在していたものに対する内容だから文脈が少し違うけれど、存在にしていないものに対する視点は違わない。そこにいないものはその不在によって存在を色濃く意識され、求められる。画家が理想郷を描くことを止められないように。私が服に合うトートバッグをいつまでも探してづけているように。

うつくしい兄は存在しない。ましてや栃の葉の陰には見つけられない。しかし何者かはそれをもう意識してしまっている。その姿を木陰に見出そうとしている(いないことによって浮かび上がってくるという点は「scpー55[正体不明]」が否定形によってのみ語られることとも似ているかも知れない)。そこにはうつくしくない兄や、うつくしいが兄ではないもの達によって縁取られた輪郭がある。その空白の影から、ほんのひととき目を離せなくなる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?