ネットプリント『半透明な花と翅』一首評
花浜紫檀さんと展翅零さんのネットプリントを読みました。『半透明な花と翅』ってぴったりで面白いタイトルだと思います。「半透明」の語彙の選択。よく透明人間をテーマにした物語では、自己の存在の根拠が視覚化されることにあったりして、それを失う(見えなくなる)ことによって起こるアイデンティティの揺らぎや悲哀が描かれます。でも、お二人の連作を読んだ後の感覚としては、半透明な彼女らはむしろ光を透かすことでその存在感を強めているように思えました。ひょっとしてこの世界には半身しか置いていないから、存在の薄まった分半透明なんでしょうか。自身の半分をこの世に、もう半分をどこか別の次元、この世界によく似ているけれど、ここよりもずっと夕暮れが長くて、細く温かい雨がよく降る場所に置いている、みたいな。前置きがめちゃくちゃ長くなりました。以下、一首評もとい、一首ずつ取り出しての感想です。
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1.
標本展会場を出る晩秋は現在進行形で褪せつつ
/花浜紫檀「わたしの美しい手紙調」
切ないまでの標本への憧れの歌だと思いました。「標本展/会場を出る」という句跨がりは、特に扉を介した場面転換でめっちゃ効果的と改めて感じます。「褪せる」という動詞の主語である「晩秋」は広義の意味とも、「晩秋(の私)」と省略した形とも、あるいはその両方とも読めます。前者で読むなら、時間を凍結させて閉じ込めてく標本の在り方と、滅びながら色づきながら痩せていく晩秋の風景との対比がとても美しいです。後者で読むなら、標本たちに囲まれている中で、生者だけが老いを手にしているという感覚を研ぎ澄まされた主体の意識、そこへの焦点の当て方が素敵だなと思いました。両方に読めるということは、読みのぶれを招きかねないですが、この一首においてはプラスに働いています。私が読みを迎えに行きすぎということもあると思います。この一首を境に短歌の内容が主体の意識に位置するものへ移行していくのもいい。意外性のあるモチーフや表現を敢えてとらず、「褪せる」という現象を一首かけて追いつめにいっている印象。韻律に関して、進行形の動作を表すときの下の句8・7音も効いています。全然関係ないんですが、仙台には蝶の標本が一万点以上収められた美術館があるので、短歌研究新人賞への応募が終われば行きたいです。
2.
甘え方与え方きゅうにおもいだし洗濯物が顔に当たった
/展翅零「だ から 騒ぎ」
甘え方も与え方も分からない状態では洗濯物は顔に当たらないのかな、と思いながら読みました。甘え方と与え方はなんとなく対っぽいようで、でも与える動作が甘える動作を内包していることもあると思います。甘えることがそのまま与えることを意味するような。そこから考えるとこの語順は意味のクレッシェンドも効いていて練られていると感じました。「きゅうにおもいだし」の部分の動作の進行速度と、ひらがなに開かれたことによる読みの進行速度とのずれも面白いです。主体の意識の範囲外から来たために急だと感じたけれど、動作として噛み砕くようにゆっくりと思い出したのでしょうか。洗濯物が顔当たる場面は、映画『インセプション』における回転ゴマ(転倒する場合)や、『マイ・ブロークン・マリコ』のトモヨの出ていった時のままの自室のような、主体の意識が現実世界に引き上げられる役割を担っていると解釈しています。甘え方と与え方を思い出して、主体は存在の形を増やせる切符を手に入れたのではないでしょうか。
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書いてる内に読みが少し深くなってもっと連作全体のこととか色々書きたくなりました。時間が無限に欲しい。素敵なネプリだったと思います。ありがとうございました。
2023/01/26
アナコンダにひき
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