見出し画像

日本人はアフリカサッカーを勘違いしていないか?

日本のサッカー解説などを聞いていると、「ヨーロッパは戦術、南米は個人技、アフリカは身体能力」のような雑な偏見がよく聞かれる。しかし、私個人としてはその見方は偏見が多すぎると思う――特にアフリカ勢に関してはそうである。

アフリカサッカーは得てして日本より戦術的である

まず、アフリカは得てして日本より戦術的である。アフリカは国内サッカーの基盤が弱く、旧宗主国のヨーロッパにおんぶにだっこの状態になることがしばしばあるため、かなりヨーロッパ色が強い。

アフリカの代表チームはヨーロッパの監督を迎えることが多い。例えば日本代表監督であったフィリップ・トルシエはそれ以前にナイジェリア、ブルキナファソ、南アフリカを率いて「アフリカの魔術師」と呼ばれていたし、ハリルホジッチはコートジボワールとアルジェリアを率いていた。日本が「フラットスリー」という言葉でディフェンスラインコントロールをやっと覚え始めたころには、アフリカのチームでは当たり前にそのような戦術はやっていたわけですある。

また、アフリカでは親は一攫千金を夢見て子供を簡単にヨーロッパに送り、あわよくば自分もヨーロッパで職を得ようとする(ウガンダ五輪代表選手が脱走したような例はいくらでもあるということである)。これが横行して人身売買まがいの移籍が多発した結果規制が行われ、そのとばっちりで久保建英は日本に帰ってくるのだが、規制が行われるくらいには大量にジュニア・ユースの選手を送り込んでいたわけで、久保君やピピ君(あえてこの書き方をする)のような選手がゴロゴロいるのがアフリカのサッカー代表である。

・セネガル代表メンバーの3分の1以上がヨーロッパ出身者で、「アフリカの才能の還流」は他のアフリカの代表チームでもみられる
・そこにはヨーロッパにおける人種差別の影響がみられるが、同時に「アフリカの才能の還流」はアフリカ各国の代表チームの底上げにもなる
・ただし、それは結果的に、ヨーロッパでプレーすることを夢見る子どもを食い物にする闇ビジネスを加速させかねない

「久保君やピピ君のような選手がチームの1/3を占める」と書けば、かなり強そうだし戦術的にもしっかりしていそうというイメージに変わるだろう。ブラジルで日本がコートジボワールに敗れた際も、敗因は主に相手のSBをフリーにしてしまった戦術的な面であり、その結果日本でも守備戦術を学ぼうという機運が高まった。

ただ、それが安定的に強いとは限らない。ロシアワールドカップでは、アジア勢は5か国で4勝3分8敗の成績を収めた一方、アフリカ勢は5か国で3勝2分10敗であった。もちろん誤差もあるだろうが、20年前ならアフリカ勢はベスト8以上に進出する飛躍が見られたが、この数大会はアジア勢と互角かそれ以下にとどまることが普通である。久保君やピピ君に夢中になる人は多いが、そのような選手がチームの1/3を占めるようなチームに対しても、国内育成が底上げされれば強さはあまり変わらないか若干それより良くなることには注意が必要である。

アフリカサッカーは身体能力で勝負しているわけではない

サッカー解説で「アフリカは身体能力が高い」というのはよく言われることであった。いわゆる黒人が陸上競技のトップ層を占めることは確かで、短距離ではジャマイカやアメリカ、長距離ではケニア勢が強いし、遥か昔はエムボマやスーパーイーグルスが身体能力を見せつけていたこともあった。

だが、現代のサッカーは身体能力だけで勝てる世界ではなくなっている。アフリカ予選を見ても2018年大会はモロッコ、エジプト、チュニジアと欧州に近いアラブ人の国(人種的にはサウジやイラクと一緒)が出場しており、サブサハラの黒人主体の国の比率は大きく減っている。

身体能力そのものを比べても、アフリカ選手権の記録日本の記録を比べると、短距離スプリント部門では成績があまり変わらない。個別の国で見ると、ナショナルレコードで日本が上回っている場合さえある。人種による違いなるものはこの程度の差なので、年齢の違いに簡単に埋もれる。人口サッカー人口が少なかった昔ならいざ知らず、現代ではアフリカのU19と日本のU23が対戦すれば日本のU23が身体能力で相手を圧倒する。東京五輪は1年遅れたためU24の強化試合の相手がパリ世代になることが多かったが、身体能力の違いは明らかで、日本が身体能力で圧倒していたほどだった。これは同じ年齢の土俵に落とし込んでも同じであり、東京五輪の総括でも、1対1の強化が言われた結果、その点では勝てるようになった(戦術面で負けている)というのが現場及び周囲の評価である。

日本代表がアフリカ勢と対戦すると、解説から「アフリカの選手は手足が良く伸びてくるのでパスが引っかかる」というようなコメントが聞かれることがしばしばある。しかし、それは本当にそうだろうか?例えば五輪では日本はスペイン代表相手にパスが全然通らず引っかかりまくっていたが、それに対して「スペイン人は手足が良く伸びる」と解説した人は一人もいない。皆「スペインの配置が良くて/パスを出す動きを監視してパスコースをうまく塞いでいたからだ」と言っていた。

ここで思い出してほしいが、アフリカの選手はヨーロッパの戦術を仕込まれていたり、ヨーロッパの育成で育っていたりすることが普通で、日本より戦術的なことが多い。ならば、アフリカ勢と対戦した時にパスが引っかかるのは、戦術の違いによるものとも考えられないだろうか?私個人としては、これは「アフリカは身体能力が高いが戦術が弱い」といった偏見によって相当誤って理由を帰属させられているように思う。


現代ではサッカーのアスリート化が進んだと言われる。ただそれは、プレスバックなど戦術的な要求で走力の要求量が上がったという話なので、戦術なき身体能力だけで勝負しているわけではない、というこは留意しておく必要があるだろう。

ともあれ、10年前に言われていた「日本は遺伝的に個の力で勝てないので集団戦術で対抗する必要がある」という神話は東京五輪を経て打ち破られたと言っていいだろう。個の力で互角まで追いつき(ここは大前提、1対1のドリブルでスコスコ抜かれるようだとほとんどの戦術が成り立たない)、その先を語れるところまでは来た、という所だというのが私の感想である。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?