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酒井宏樹とトヴァンの思い出

この五輪で、酒井宏樹とフランスのトヴァンがオリンピック・マルセイユ以来の旧交を温めたことが話題となった。

私は、DAZNがJの放映権を得た年末に、翌年から始まるJ放送の下見としてDAZNに加入していた。どんな番組を見るか迷っていたころ、サッカー番組表を見るとおそらく放映権を安く買えたであろうリーグアンが目立っており、日本人がいるということでなんとなくマルセイユを見ていた。それが私とマルセイユの出会いである。

当時のマルセイユは売却されたばかりであった。旧オーナーは売却時の評価額向上のために現金資産を欲しがっており、移籍金が取れる選手は片っ端から売却し、不足した選手をフリー移籍、レンタル、ユースからの昇格で補ってチームとしての体裁を整えるという手段を取り、シーズン開始時の監督は内部昇格で済ませたもので、前シーズン13位、チームとして期待値は最低の状態から始まった。

酒井、マルセイユへ

酒井宏樹は2015-2016シーズンはハノーファーに所属していたが、チームは降格、契約は残っていたものの給料が高い酒井は双方合意のうえでフリー移籍となった。そこにマルセイユからオファーがあり、本人としては挑戦のつもりで即決したとのことである。なお、当時のマルセイユ側SDへのインタビューによれば、もともと補強リストの一端には入っていて、前述のようなチーム事情から、偶然フリー放出された酒井に白羽の矢が立ったものであったようだ。

酒井は1年目終了後のインタビューで「マルセイユへの挑戦が実らなければ日本に帰る」というつもりであったと語っていた。結局定着には成功するが、その後も「マルセイユをヨーロッパ最後のクラブとし、マルセイユを辞めるときには日本に帰る」という気持ちはずっと持っていたそうである。彼の代表での働きを見て「まだヨーロッパでやれるはず」とコメントする人は多いが、当時から見ていた私としては、野暮なので言わないでほしいと思っている。

マルセイユに来たときに、ここが僕の最後のヨーロッパのクラブになると決めていましたし、今でもその考えは変わっていません。
日刊スポーツ 2021年5月24日

トヴァンという男

フロリアン・トヴァンは、2016年当時23歳で、若手から中堅に差し掛かる選手だった。マルセイユへの所属は2013年からで、有望株としてニューカッスルに買われたもののプレミアでは出場機会を掴めず、マルセイユ愛もあったのかレンタルで戻ってきていた。最初に書いた事情から当時のマルセイユはレンタル選手が多く、当時のマルセイユの都合にもあっていた。

当時の酒井のインタビューによると、彼はマルセイユにやってきた酒井に最初からコンタクトを取り、スマホのメッセンジャーアプリで連絡を取り初フランスとなる酒井を公私ともにバックアップを申し出た。右サイドでコンビを組むことになるであろう間柄であるほか、主力をまとめて売却した当時のマルセイユは単年契約できるベテランとユース上がりの若手に極端に偏っており、数少ない中堅年代の同僚という関係でもあった。

彼は酒井の私的な友人になることに積極的でもあったようで、クラブ公式動画でもそのことを語っていた

マキシム・ロペスという男

オーナーが変わり、監督にリュディ・ガルシアを迎えると、チームは回りだすようになる。監督は徹底した攻撃重視が特徴であり、サイドバックの酒井は当然積極的なアップダウンで攻撃に絡んだ。

この時重要だったのが、右ボランチのマキシム・ロペスである。彼は数合わせにユースから昇格させられたばかりの選手だったが、酒井・トヴァンと絡んだことで才能を引き出される。彼は以下のような特徴を持った選手だった:
▸サッカー選手としては比較的小柄(167cm)
▸ショートパスのセンスがあり、ギャップを見つけ出す目もよい。
▸ドリブルやシュートはあまり得意ではない。
▸守備は上手いとは言えず、特に競り合いで負けることが多く、止め損ねた相手のシャツを手で引っ張りファールを貰う悪癖がある。
これらの特徴はどこかで見たことがあるだろう――しばらく前までの日本によくいた"攻撃的ボランチ"に似ているのだ。

マルセイユは年末にかけて、トヴァン・酒井・ロペスのトライアングルが(当時の)日本代表でよく見るようなショートパスで相手をかわしながら持ち上がり、クロスをあげるかトヴァンのカットインで仕留める攻撃を武器として勝ち点を積むようになる。特にトヴァンの積んだ数字は目覚ましく、キャリアハイの2018–19シーズンには35試合で22ゴール、アシストも2桁に乗せ、フランス代表にも召集され、CLを争うクラブへの移籍の噂も出た。

酒井宏樹もフィニッシュに絡まないことこそ課題であったが、守備の個人戦術を改善すると守備力が評価されるようになり、体を張ってネイマールやムバッペとやりあい、攻めてはプレスをかわしてボールを持ち上げることに貢献したため、ファンのお気に入りとなり、「サムライ」「戦士」と様々に呼ばれた。トヴァンにとっても欠かせないパートナーとなり、当時SNS上で酒井を「私の兵士」等と紹介していた。

マルセイユの復活と限界

オーナー交代後、マルセイユはフランスを代表するクラブとしての威厳を取り戻すべく、補強をしていく。サンソンを買い、マンダンダやパイェを買い戻し、レンタル帰りのオカンポスも重要な戦力となった。ただ、ライバルのパリ・サンジェルマンにはなかなか勝つことができず、CLにはぎりぎり出られない程度の成績が続き、2019–20シーズンにコロナ中断もあって2位に滑り込んだのが直近の最高成績である。特にCL賞金がないのはなかなか痛く、CLに出られるような補強をしようとしてもFFPに引っ掛かりなかなかうまくいかないという状態が続いた。

監督選びもなかなか難航した。リュディ・ガルシアは攻撃戦術には定評があるが、少なくともマルセイユにいた際は攻撃的すぎて同格・格上相手で脆いところがあり、PSG戦ではしばしばスコスコ抜かれて大量失点を招いていた。SBも攻撃的にしたかったのか、右SBにSHのブナ・サールをコンバートしたり左SBに攻撃的なジョルダン・アマヴィを置いていたが、守備力に難があり酒井を左SBに移動させファイナルサードでの攻撃精度を捨ててまで守備補強をすることがあった(サールのバイエルン移籍後の評価は当時のマルセイユを見ていた身としては残当と思う)。

その後任となったビアス・ボラスも、コロナ中断した19-20シーズンこそ2位で終わるものの、CLはふがいない成績で20-21シーズンも満足な組織が作れず勝ち点を落とし続け、サンパオリに替わって今に至っている。

トヴァン・酒井・ロペスのトライアングルはザックジャパン的な攻撃一徹の気風があったガルシア体制では主力として使われることも多かったが、ロペスの出場は安定せず、2019年にトヴァンが怪我で離脱し、監督がビアス・ボラスになって以降は、鳴りを潜めることになった。

僕とフロー(トヴァン)ともう1人のボランチ(マクシム・ロペス=昨季からイタリアのサッスオーロに所属)がいたんですけど、その3人であればどんな相手でも崩せるような、そういう関係性だった。彼ら2人を失った後は僕も不安定でした
――フットボールチャンネル 2021年07月29日

酒井の到達点とJでの期待

サッカーの歴史では、最初期の5人攻撃5人守備の分業から始まり、ミッドフィールダーの誕生、トータルフットボールなど徐々にフィールド全員の多能化が進み、アタッカーはポストプレーやファーストディフェンスをこなすようになり、ボランチは守備型・攻撃型などと言わず全員が肉弾戦とパス捌きを求められ、CBはフィードで攻撃の要となるなど、各ポジションの多能化が進んだ。

その中でサイドバックの役割も変化していた。サイドハーフがカットインしてトップ下の動きも兼任するようになると、代わりにサイドバックが従来のサイドハーフ並みに直接ゴールに関与するプレー(ゴール、アシスト)を求められることも増えた。また一方で、いわゆる偽サイドバックのように、ボランチが守備やドリブルなどデュエル重視の方向を強めたのを補う形でボランチの位置まで上がってパス捌きを行うパターンも出てきた。3バックでCBラインの一角として守備しつつも攻撃時はサイドバックのように持ちあがるポジションもよく見る。(このあたりの役割変化は長友が最近のロングインタビューで語っていたと思う)

酒井宏樹はガルシア時代はボールを前に運ぶアタッカーの一角を占めていたので、ファイナルサードでのクオリティ不足がよく指摘されており、守備力よりゴールやアシストを求める際にはSHからコンバートしたサールが使われることもしばしばあった。

トヴァンが怪我をしてからは、CMFに守備力を求める最近の風潮にロペスがついていけず欠場することが多かったこともあり、ファイナルサードで働くSBとしても偽SBとしても十分には働けず、(一ファンではあるもののあえて言えば)ここが彼の限界であったかなとも思う。20-21シーズン後半のサンパオリ時代に3バックの左CBとして使われたことがあったが、この時はうまくいっており、最近の戦術的流行の中では、体格が良くCBとして働けつつ旧来のサイドバック的な働きができるここが彼のベストポジションであっただろうと思う。

また、もう一つ特別なのは、ショートパスを多用する日本代表に戻ったときである。この時は酒井の才能をいかんなく発揮することが出来、フランスで改善した守備能力と合わせて別格の選手と言わざるを得ない存在感を見せる。彼はJリーグに戻ってくるが、Jのパス距離はスペインやフランスに比べれば短く、ショートパス主体の環境で彼の能力は存分に発揮されるだろうと期待している。

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