疲れた身体と心に『ヘヴィメタル』
ヘヴィメタルという音楽は古来から、教室の端でオタク仲間と好きなことを永遠に喋っていた人や、女の子と話したことがない、休憩時間はひとりで寝ているフリをしている、ずっと本を読んでいる、こういう人がハマる。
例にもれず僕もそうであるが。
未だに学生時代にサッカー部のキャプテンで、マネージャーの可愛い女の子と付き合っている人がヘヴィメタルにハマるという例を見たことが無い。
つまり、
ヘヴィメタル=弱者の音楽なのだ。
ヘヴィメタルとは武器と同じ。
すると反対側は
ポップロック=強者の音楽になる。
強い人や満たされている人は武器などいらない。
同じことをテーマにしてもポップスとメタルでは大きく違う。
例えば、曲のテーマを『僕たちはずっと一緒だよ』というものとする。
ポップロックとメタルでは下の写真のようになる。
ポップロックは、
みんな友達だよ!卒業後もまた会おうね!(ふわっとした願望)である。
ヘヴィメタルは、
「俺たちは群れだ!組織だ!一個師団だ!永遠の兄弟だ!」になる。
みんな一緒の意味も重さもまるで違う。
「together」と「united」の差である。
学生という多感な時期、とても心に刺さるのがヘヴィメタル。
子供から大人になる転換期は、外からの影響や衝撃はその後の人生に深くかかわる。
では、学生時代に強者側だった人はヘヴィメタルを好きになることはないのか?
否、断じて否。
冒頭にも言った通り、ヘヴィメタルとは弱者のための音楽である。
人は常に強者でいられるわけではない。
自分の環境や立場、世の中の流れの変化により生きるのが辛くなったり、何もかも嫌になることもある。
一見満たされているようで、内面は薄暗くなっている人もいる。
人生に一抹の不安を感じている人は一度歪んだギターサウンドを聴いてみてはいかがだろうか?
学生時代にバカにしていたヘヴィメタル、今のあなたが聴くと心に刺さるかもしれない。
もしかするとツーバスのリズムがパラダイムシフトを起こしてくれるかもしれない。
こういう風に書くと、「その理論なら、ヘヴィメタルを好きになったら自分が弱者と認めることになるじゃねぇか!」と憤慨する人もいるだろう。
本当に強い人間なんて地球上にわずかである。
弱さを認めて乗り越えることができて初めて人間である。
我々は群れである。
誰もひとりでは生きられない。
ヘヴィメタルという最も攻撃的な音楽は、万人を受け入れることができる真にやさしい音楽なのである。
最後に我らがヘヴィメタルウォーリアー、MANOWARのジョーイ・ディマイオ閣下の名言で締めたい。
「ポップス?あぁ、あれはゴミだな。」
サポートいただければツインテールの活動がより円滑に動きます! それはつまりジャパニーズヘヴィメタルが動くということだ!