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私の不妊治療歴。その4

さて2016年の年始。長い不妊期間に悩む私は、母方の祖父母が眠るお墓におりました。

義母から「家族運に恵まれない」と言われた名前がどうしても気になってしまい、藁にもすがる思いで通称名の表記を変更しようと相談したところ、占い師さんに「変える場合はご先祖様にも報告するように。」と言われたからです。

指示通り、お墓の四隅の土に小豆を3粒ずつ埋めて(これで結界を作るんだとか)「これこれこういう理由で、親から頂いた名前の漢字表記を変えることにしました。つきましては何卒どなたかそちらからお遣わしくださいますよう…南無南無云々」今から思えばかなりのオカルトちゃんです。普段全然そういうタイプじゃないので、オカルティックになっている自分を客観的に見ている自分もいました。でもいいの。万が一これで授かるなら! というか、なんでもいいから気分を変えたかった。まぁ人生そういうときもあるよね。

そして2月、5回目の胚移植。判定までの日々、微かな症状に「すわ妊娠か!」と一喜一憂するのに疲れ果て、フライング検査も何もせず漫然と判定日を迎えました。この時は、病院での尿検査による判定です。

医師「おめでとうございます。妊娠してますよ!」→ 私「へっ?」→ 医師「ほら、しっかり陽性のライン出てます」 → 私「えぇー…すごい…(感涙)もう妊娠しないと思ってました…」 → 医師「いやいや、そりゃいつかは妊娠しますよ!」(←ホントか?)ってな会話をしたと記憶してます。

診察室を出て、旦那氏にメール。すぐに電話がかかってきました。大興奮の旦那氏。私は、まだ安心は出来ないけどね、と言いながらも、もちろん大嬉しい。結婚してから5年。紆余曲折の不妊治療の結果、採卵1回、移植5回目にしてようやく出た結果でした。改名の効果なのか、どうなのか。当たり前だけどそれは分かりません。でもタイミング的には、正に変えたらすぐに妊娠した、というのは確か…。それ以来画数に関してはちょっと信じてる。(義母は「和牛ってコンビ名はダメ、絶対に1位は取れない」と宣言していた←完全な余談ですが)

ここからの妊娠期間はまぁ人並みにつわりなどもありつつも順調に。しかし予定日から一週間過ぎても出てこないのんびりな娘。陣痛促進剤の投与から始まり、それはもう壮絶な痛みと2.6リットルの出血(妊婦じゃなければとっくに死んでる)という代償を払い、更に吸引分娩からの鉗子分娩、これでダメならもうお腹切ります!というところまで追い込まれ、「ここまでやって更にお腹も切るなんて勘弁してくれぇぇ〜(だって既に会陰切開もしてる! お腹も下も切るなんてぎゃぁーでしょ)」と思った最後のチャンスで、どうにかこうにかずるんとこの世に現われ出でた、のが3400gのビッグな娘でございました。おっきいやん!というのが第一印象。疲れすぎてて、正直感動とかはあまり…

めっちゃめちゃ大変だった! けど出産てみんなこんなもんなのかしらんとか思ってたら、助産師さんに「今年立ち会ったお産で一番大変だった…」(ちなみに11月でした)と言われて、あらまぁやはりそうでしたか。と思いました。出産は多分、人が最も死に近づく瞬間です。分娩室の部屋の隅には、常に死神が鎌を持って立ってますよ。本当に、死ぬかと思ったな。

出産翌日にスタスタ歩いている若いお母さんたちを横目に、とにかく鉛のような身体を引きずり引きずり入院を1日延ばしにして、どうにか木造くらいの感覚になった…くらいのところでやっとこさ退院したのでした。

第一子を授かるまでの不妊治療歴と出産については、ここまでで終わります。長々とお読みくださりありがとうございました。次は、第二子を考え始めてからの紆余曲折を書いていきますので、よろしければ!

ではまた。

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