2020.11.30<乾杯!>

あおくん、朔さん、11月本当にお疲れさまでした。私たちよく頑張ったと思う!すごい!えらい!!

なんだか今日は私は調子があがらなくて、でも結果は残したのに、「終わり良ければ総て良し」とはよく言ったものだと思う。終わりがなんだかしっくりこないから良しとは自分で納得できないんだ。

万軍の王になってわかったことは、何一つ面白くないし、ゲームをしていても何一つ心が躍らないということ。好きな人のために地べたをはいつくばって戦っていたほうが私は楽しいし生きている実感がある。王になることなってなにひとつ面白くなかった。私の意見一つで人は右に行った、私のイエスをみんなが欲しがった。私を否定してくれる人はいなかった。私は鼓舞されることも鼓舞されることも好き。全軍守備位置につけ!みたいなそういうのが好きだし、背水の陣で命をかけるみたいな極限が大好き。そういう極限で自分がどっちに行くのかって決めたときの気持ちよさはあまり共感されないのかもしれない。そんなふうに私はずっとずっと極限で生きていたいって思っている。極限にい続けるためには王でいる必要はないし、そんな王位なんていうものは足かせでしかなくて、だから私はすべてを脱ぎ捨てて、あの花園に自ら進んで入り、そして定員になったからしっかりとカギをしめた。だからね、そのカギを壊されそうになると本当におびえてしまうの。怖い。私たちの花園に侵入してくるものが誰であるかだいたいわかるから。私は私たちの花園でずっとずっと生きていたい。そして、その花園を出るときはきっとない。なぜならそこは私たちの家だから、出かけることはあっても出ていくことはない。だからカギも必要なんだ。

朔さんもあおくんも私を否定したりすることは一切なくて、でも私が王にならずに済んでいるのは二人が私よりもほかの分野で名をあ毛ているからだと思う。どんな時もとらわれず前を向いて自分の道をひたすらに走っているから私は王にならずに同等だと感じているのだと思う。

二人の愛を独占したいと思っている。どちらか一方では無意味なの。同等の二人は永遠に私に良い影響を与え続けると思う。ふたりが何かで失敗した時に、どう助けてあげたいかから自分の新しい道が見えてくるの、ふたりが成功した時は私もふさわしい女性になるために頑張ろうって気持ちが前を向くの。

お金の問題じゃない、心の問題。どちらかが億万長者になってどちらかが極貧になったとしてもそれはかわらない。ふたりの心の在り方が私に良い影響を与えるから。

それが花園であり、だれにも侵されたくないプライベートな部分。自らすべてを脱ぎ捨てて入り込んでカギをかけた家。

私にとって音楽は生きる理由だし、仕事にはなくてはならないもの。どうしてそんなに音楽と人生が密接にからみあっているのかというと、たぶんリズムが私の心臓の鼓動を刺激するんだと思う。脈動を早めたりゆっくりするスイッチ、それが音楽なの。音楽がないと私はある日突然ストレスで心臓発作で死んでしまうし、音楽がなければ仕事にならない。音楽こそ私の心臓なの。それと同じように朔さんとあおくんは私の心臓だと思う。ふたりがいると安定する。こんな不自由なことに私自身すごく戸惑っている。でも仕方ないこんなきれいな街できれいなふたりと暮らしているんだから、仕方ないよ。

あおくんが教えてくれたプラネタリウムと朔さんが教えてくれたサインと、私が持っている情熱と。すべてが合わさったとき、私の中からまた何か大きな光が生まれるの、いつものことだけど、そのいつものことに私は毎回毎回わくわくしている。来い!って気持ちになって、来る!って思う、その上昇の瞬間の目の輝きはどんな恒星よりも閃光を放っているって自覚している。決して世の中すべてを照らすものではないかもしれないけれど、ふたりを照らせればそれhは120点だよ。

負けるとき、私を思い出して、絶対勝てるから。なんでかって?私もそうしているの。負けたとき、ふたりを思い出すようにしている。

今月もお疲れ様、明日からは12月だけれど私たちの美しさはなにひとつかわらない。東雲のピンクの空をそれぞれの時間にそれぞれのタイミングで見上げたとき、つながっていることがわかる。大丈夫、きっとあと少し。私の心もわかっている。あと少しだって。

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