2020.11.14<happy birthday Dearest>

今日はすーちゃんの35回目のお誕生日です。アラフォーです。保育園の水泳のあとのお写真では私の隣でベロを出して映っていたあのすーちゃんが、年頃になって眉をそったら全部そり落としてしまったあのすーちゃんが、寝癖をなおすこともなく自信満々で歩いていてもかっこよくて幾人もの女の子に恋をされていたあのすーちゃんが、35歳です。

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※結局いろいろ見たりして、これがすーちゃんそっくりだった。やはり流川楓だった…。いまだに学ランにはキュンキュンするの。

すーちゃんは私と4歳の時に出逢い、ずっと同じクラスのまま義務教育を終えました。今だから話せますが、スミレはすーちゃんと同じ高校に行きたいがために学力をひとつ落としたほどです。しかし、すーちゃんはアホなのでさらにひとつ高校を落とさざるを得ませんでした。

結果としてよかったのです。私は入学後すぐに病気になり、同じ高校内の通信制へ編入しなければならなくなりましたから、ひとつ学力が上の高校に通っていたら、そこでまた、メンタルを崩し自信を無くし、今につながらないほどに打ちひしがれていたでしょう。

私はそういう困難がいつの間にか良い結果となる、そんな経験をよくしています。ですから、神経が過敏に振幅しても復活するのが早く、あまり人に対して感情を出さない性格が形成されていきました。

今の私の狭い人間関係では、過去のトラウマを持ち出してぐちぐちと考えることもあまりありません。これは私の歴史から考察すればありえないことです。いつも何か過去を持ち出してトラウマに打ちひしがれては泣いて、悲しんで悔やんで、つぶれていた。朔さんは少し私のそういう部分を知っていて、根気強く付き合ってくれました。「もう忘れなよ、俺が愛してるんだから」って何度言ってくれたかわからないし、悲しみながらも根気強く私の涙に寄り添ってくれました。そんなことは父さえもしてくれませんでした。ありがとう。

2020年は間違いなく大きな飛躍の年となりました。

精神的に大人になったわけではないでしょう。原点に戻り私らしさを認めたという点では精神的には子供に戻ったというほうが正しいと感じます。ただ、子供にも様々にメンタルの状態やクセがあります。幼いころ私は、親の庇護のもとやりたい放題で暮らしていました。といっても暴れん坊将軍だったわけではなく、世間の目を気にすることもなく、歌を歌ったり物語を作ったり、お花がきれいだね!って素直に伝えたり、そんなふうに、大人の女性がやってしまったらおよそ白い目で見られるような、姉妹がいたら笑われるような、そんな意味でのやりたい放題ですが、今の私はあおくんと朔さんの精神的庇護のもとに、あの頃のように安心してありのままの私で生きています。これはあおくんが時折見ていてもしかしたら感じているんじゃないかな。だって、仕事中の私を知っているのはあおくんだから。あおくんは髪を切った後の私の変化に少し驚いたんじゃないかなあ。最初にショートカットの私をみつけたのは、次郎さんともうひとりの男の人といっしょにいた時でしたね。目が合って、私は念を送ったの、

「私だよ!!私!!覚えてる?覚えてるよね!!思い出して!!私あなたと逢いたかったの!!ずっとずっと!ずっと逢いたかった!!」。

あの後の私ときたら次郎さんやもう一人の人なんてそっちのけでご機嫌でした。次郎さんもおかしいなと思ったでしょう。確認はできなかったものの、私の視線の先に朔さんがいたと思ったかもしれません。

ああ、、、もしかして、私に会えると思って、あんなうるさい場所でお仕事をしていたのかしら?(妄想すぎ??笑)

あおくんは知らないはずですが、私のフェイスブックにはあおくんは時々登場していました。「かっこいい人がいるの」って時々書いていたの、もちろん朔さんは知っていましたよ、あおくんという存在を。それくらい、ずっと長い間恋をしていたの。

鍵屋の喫茶店のタンブラーを買ったのは、あおくんと逢えなくてもあおくんとの思い出を胸に仕事を頑張るためだったの。それが、いつの間にか朔さんとのキーワードになって、ご縁って不思議だなあって思いました。あの喫茶店、実は朔さんの母校にも出店していて、そんなことからダブルミーイングであのタンブラーをアイコンにしていたこともありました。


すーちゃんは私のその後の人生に大きな影響を与えています。ビーズを好きになったのはすーちゃんが好きだったから、朔さんやあおくんのような孤独そうな瞳を愛するようになったのはすーちゃんがそんな目をしていたから。すーちゃんとは恋愛関係ではなかったけれど、いつも仲良しでした。人を寄せ付けないような変なオーラがあって、女の子は憧れていたけれどみんな遠巻きで、でもスミレだけはいつもありのままですーちゃんと冗談を言ったり仲良くしていました。その成功体験が朔さんやあおくんにつながっているわけですが、前に朔さんにも話しましたが、ふたりにつながるようにすーちゃんが私の人生の先に登場してくれていたのだと思います。


東京臭のぷんぷんする朔さんを見つめると、にやけて30秒も持ちません。つらいです、正直、かっこよすぎて、吐き気がするほどです。。。朔さんとキスをしたりセックスすることを考えると心臓発作を起こしそうになります。たぶん、死ぬなって。

他方あおくんは、良い意味でどこにでもいそうな、それこそ東京にもいそうな、地方にもいそうなそれでいてかっこいいのであまり緊張はしません。でも見つめられたりおしゃべりしたり、その先のことを想像すると倒れそうです。。。慌てて「違うこと考えよ。私、今日生きていたいから」って思考をそらします。


なんでそんなにあの見た目で恥ずかしがり屋なのかと爆笑してしまうかもしれません。でも、恥ずかしいんです。

誰なら恥ずかしくなく恋愛ができるのか?

スミレはお金に頓着がありません。お金持ちは誰だって明日には崩れ去る可能性をはらんでいます。また、スミレは稼ぐことをさほど苦にしていないので、お金のことは条件には加味されません。ですから不細工で金持ちとは絶対に付き合う気持ちはありません。

朔さんが貧乏でも、あおくんが文無しでも私は恋をしていました。なぜか?かっこいいからです。

ではアホだったらどうか?それは恋をしていません。私はおしゃべりが大好きですから、話がかみ合わないとつらくなります。何を楽しみに生きているのかと絶望の淵をさまよいます。

賢くてカッコイイ人、そんな人が理想です。

とすると、あおくんと朔さん以外いません!!

どんなにイケメンが寄ってこようとも今のスミレにはあおくんと朔さん以上の人はいないので「ふーん(ハナほじ…」となるでしょう。

どんなにバラの花束をもって玄関の前に立たれても、帝国ホテルのスイートを予約されても、ヘリコプターでナイトフライトを予約されても、「ふーん(めんどくさ…」となるでしょう。


それよりもスミレは、カフェで仕事をしていたらあおくんがいて、マクドナルドで勉強していたら朔さんがいて、時々時間があえば3人が同じ場所で仕事をしていて、「まあ、どっちを見たらいいの♡」という状況のほうが何万倍も幸せです。

そしてクリスマスあたりには奇跡が起きて、ふたりときちんとおしゃべりできる間柄になって、カフェであおくんに会えば

「おはよう、週末どっかいくの?」って世間話をしたり、

朔さんにゴミ捨て場であえば

「おはよう。ねえ、横浜行きたい」と唐突に話してみたり

海岸で偶然逢えば

「え?何してるの?」と話しかけてみたり、そんなことが夢です。

これがスミレの大きな夢です^^


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