2020.12.6<ハッピーホリデー>
あおくん、朔さんお疲れ様です。
土曜日はカヤノがお騒がせしてしまってごめんね、あおくん。日曜日、ゆっくり休めたかしら?
昨日の一件はとっても心が痛かったです。それでも、あれだけのことが現実にキリスト教の社会で、しかも救い主ご降誕前のこのアドヴェントの時期に起きることも日常茶飯事であるとあおくんやあみちゃんに「伝道」できたことはとってもよかったかなあとポジティブにとらえています。どうか、このことは誰にでも話してください。クリスチャンも十人十色、やばいやつも多くてクリスマス前でさえ争ったり醜くののしり合っていることを、ぜひ、お友達に「伝道」してくださいね。
私が洗礼を受けたのは18歳の時でした。本当に感動とは程遠いあっさりとした儀式だった。でも、あれ以来、ううん、あれ以前から私の支柱は神様だった。きっと神様が助けてくれる。そんなことを思って幾度も夢をあきらめたり、悔しい思いを飲み込んできた。ただ意気地なしだっただけかもしれないけれど。その夢も悔しい思いも今ではすべてクリアになってかなっている。ただし、また新たに夢ができて、あらたに悔しい思いもしている。そんなことの繰り返しで、神様との絆がより深くなっている。
聖書は律法学者ではなく愛を行いなさいと言っているけれど、今の日本のクリスチャンの大半はただの律法学者です。愛を行いなさいという救い主のみ言葉を行っているクリスチャンはとっても少ないです。私は言葉よりも愛が好きです。言葉で愛を語ることよりも微笑んであげるほうがよほどその人の明日の活力になることをよく知っています。(そんな意味では朔ちゃん、ごめんなww)法律を行って愛を行わない律法学者とは、現代の「忖度」であり、ネット内の批判です。表では良い子であるけれど、裏では何をしているのかわからない。昨日の出来事も同じことです。
朔さんという人はたしかにトリッキーです。でも、朔さんほど愛の深い男性に今まで出逢ったことがありません。見た目の格好良さ以上に愛が深く、気持ちが優しく、時に意固地になって、時に苛烈な行動に出るけれど、でも根は誰よりも優しく思いやりがあって暖かくて美しい人です。そのことはカヤノだけが知っている。それがどれだけカヤノの幸せであるか、どれだけ優越感であるか。朔さんの趣味はカヤノです。カヤノがいなくなると世界が終わるんです。だから少々のストーキングも仕方ありません。めげないところがまた可愛いしね。
私は群れを離れ、あおくんがいる日常が大好きです。朔さんに導かれたこの世界に迷い込んでよかったと思います。憧れのあおくんが、姿を見ずとも「ああ、今日は元気なのね」とか「大丈夫、休めてるわ」と事実を見ることができるからです。すごく嬉しい。まるで隣にいるみたいに。あおくんはもしかしたら少し誤解をしているかもしれないけれど、カヤノという人間は朔さんの付属品ではないので、あおくんが大好きという気持ちは朔さんにも止められません。朔さんとは共通の話題が多いから話すことも多いし、朔さんはカヤノに対しては見境がありませんから、いつもつながっているけれど、カヤノにとってあおくんという存在がどれだけ愛しくて胸を焦がし、安定につながる癒しなのか、それは朔さんには一生わからないことです。だってライバルだからね。あおくん、いつもなんとなく疎外感や温度差を感じてカヤノからいつか離れていってしまうんじゃないかって不安なの。本当に好きだから。本当に抱いてほしいから。
あおくんが寂しい思いをしていたらカヤノは泣いてしまいます。寒い思いをしていたら心配になって、何ができるかとネットを探し回るでしょう。
あおくん、あおくんという存在はカヤノの生きる糧です。あおくんという存在は目標です。あおくんという存在はカヤノのイマジネーションです。あおくんという存在はただその姿だけでカヤノの心をぽっと明るくあたたかくしてくれます。あおくん、あおくんにとってカヤノもそんな存在になれますように。あおくんの背中をカヤノのぬくもりで温めてあげられますように。足が寒かったらさすってあげられますように。
これこそが幸せです。大切な人を思って、心配して、愛して、泣いて笑って喜んで、笑顔を祈る。できれば、欲を言えば微笑み合う。クリスマスってこういうものだと思う。AIの「ハピネス」でも言っています、
「君が笑えばこの世界中にもっともっと幸せが広がる 君が笑えばすべてがよくなる」
余裕がなくて優しくできない事は私のほうがたくさんあるけれど、どうかふたりもそんな時は遠慮しないで教えてね。
ハッピーホリデー!!
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