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稲沢市荻須記念美術館「荻須高徳展 画業の変遷を辿る ー新収蔵作品と主要展覧会出品作を中心にー」

先日、稲沢市荻須記念美術館で市制60周年開館40周年記念として開催されている「荻須高徳展 画業の変遷を辿る ー新収蔵作品と主要展覧会出品作を中心にー」行ってきました。


はじめに

稲沢市荻須記念美術館

稲沢市荻須記念美術館は、名古屋にほど近い稲沢市にある公立美術館で、この地の出身でパリを拠点に活躍した画家 荻須高徳の画業を顕彰する目的で1983年に開館しました。
 
前から一度行きたいと思っていたのですが、ちょうど開館40周年の記念展を開催しているとのことで、名古屋に所用で行った際に足を延ばしてみました。

展示概要

今回の記念展は大きく3っのテーマで構成されています。

Ⅰ パリのサロン (1920年代~1930年代)

《モンマルトル》1935年

荻須はサロンへの出品をきっかけに、パリの画廊で初個展を開催したり、批評家によって作品の記事が書かれたりと、フランス画壇で認められていきました。

出品リストより

1927年に佐伯祐三を頼ってパリに渡った荻須は、当初、ヴラマンクや佐伯の影響を受けて筆触の動勢を生かした画風でしたが、1930年代になると、この《モンマルトル》のように少し落ち着いた画面に変化していきます。

Ⅱ 日本での大規模な回顧展 (1950年代)

《線路に沿った家》1955年  愛知県美術館蔵

日本では、1955年に大規模な個展「荻須高徳展」が開催され、主要都市を巡回し、作品が広く紹介されるきっかけになりました。

出品リストより

荻須は第二次世界大戦の影響で1940年に帰国を余儀なくされますが、1948年に再びパリに渡ります。

戦後は、対象が持つ良さを強調したり単純化したりして、街並みの構成を造形的に捉えるようになります。

この《線路に沿った家》は1955年の展覧会の出品作で、今回一番気に入った作品です。
実物は縦150cm近くある大きな作品で、荻須には珍しい黒一色の壁面と、何よりパリでよく見かける風景が、荻須の製作意欲を駆り立てたのではないかと想像してしまいます。

Ⅲ パリ市主催による回顧展 (1970年代)

《金のかたつむり》1978年

パリ市が現役の日本人画家のために回顧展を行うことは非常に稀なことで、その開催は荻須がパリの画家として高い評価を受けた証といえます。

出品リストより

1970年以降は、明るい色彩と直線的な構図により、街並みを軽快に描くようになっていきます。

この《エスカルゴ》は、1978年にパリ市主催で行われた「荻須高徳パリ在住50年記念回顧展」が翌年に日本を巡回した際の出品作で、1981年に荻須本人から稲沢市に寄贈されました。

令和5年度新収蔵作品

展覧会のチラシ

チラシ掲載の作品は今年度の新収蔵作品で、右が《ポスターの壁》1930年、左が《鍵屋》1966年になります。

しかも、驚くことに両作品とも寄贈ではなく購入なのです。
近年はどの美術館も予算がなく、作品の維持管理もままならないと言われている中で、地方の公立美術館でありながら、決してお安くない荻須作品の購入予算を確保している稲沢市の姿勢は素晴らしいと思います。

生前、荻須はこの美術館について「小さくとも日本の一流美術館に」と語っていたとのことで、今もその思いが綿々と受け継がれているようです。

あとがき

美術館の近くにカフェタナカという名古屋では名の知れたお店があり、お昼はここにしようと決めていました。
休日のお昼前だったため、ある程度の混雑は覚悟していたのですが、行ってみると待ち客が一組しかいません。
これはラッキーとばかりに名前を書いて待っていると、あとから予約と名乗る人たちが次から次へと現れて、一向に呼ばれる気配がありません。
そのうち、これ以上待ったら次の用事に間に合わないという時間になり、泣く泣くお店をあとにしました。(ここの鉄板スパゲティを食べたかったです)

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