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一歩を踏み出すとき

今年の2月末・3月頭くらいに突然振ってきた「ツインレイ」という繋がり。

それまでも、「すべての出逢いは偶然で必然」というモットーで生きてはきたが、こんなに深い繋がりのある人と、実は出逢っていたなんて。

もうそれは10年前のことで、この10年間は全く別々の人生を歩んだ。

表面上はいまもまだ、それは続いている。


じっくりじっくり内省する期間(ちょうどコロナ自粛期間と重なった)と経て、少しずつ執着を手放す段階を歩み、今はなんというか、「ニュートラル」な状態にたどり着いた。


実はこの夏、彼の住む街を一人で訪れた。

もちろん、偶然彼に会えたらいいな、という思いは強くあった。

でも、もちろん、そんなヨコシマな思いでは果たせないのが、この再会。

その街は、彼が住んでいると知る以前から何度も訪れていて、大好きな街。

今回、久しぶりに訪れてみて、やはりあの街が大好きだと思ったし、彼が住んでいる街だと思うと、なおさら親しさも感じるようになった。


私はわかっている。

自分の方の準備が出来ていない、ということを。

何をするべきか、どう一歩を踏み出すべきかはずっとわかっていたのに(それはずっと、この10年間)、私はいつも躊躇をしていた。

その一歩を踏み出さない限りは、自分の使命を果たせないということをわかっているのだけれど、自分の中の恐怖心がいつも勝っていた。


もう、時間が待ってくれない、ということをひしひしと感じている。

「いい加減、動け」

そう背中を押されているのもひしひしと感じる。


一歩踏み出してしまえば、それはあっけないくらい簡単なことだった、と思うであろうことは容易に想像ができる。


すべてを止めているのは自分。

逆に考えると、すべてを始められるのも自分。


私はゆっくり、かもしれないが、助走を開始したいと思う。




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