読書家は偉いのか

 私は最近小説や自己啓発本をよく読むようになった。本自体は幼少期から好きで、よく市や学校の図書館に行って様々な本を借りては読んでいた。しかし、中学生に入ってからは、勉強や部活などが忙しくなったこともあり、本自体ほとんど読まなくなってしまった。高校生になってからは、二次元オタクと化したので漫画やライトノベルなどをよく読むようになったが、文豪が書いた小説や、現代の長編小説などには興味が無く、全く手を出さなかった。
 しかし、大学生になると、大学の授業で参考文献を借りなければいけなかったこともあり、必然と図書館を利用する機会が増えた。そのついでに、たまたま見かけた本を借りて帰ったり、立ち読みなどをする回数が増え、次第に小説など漫画以外の本も積極的に読むようになった。今は、谷崎潤一郎や宮沢賢治などの文豪が書いた小説や童話や詩などを好んで読んでいる。いざ読み始めてみると、思ったよりも文体が読みやすく、そこまで堅苦しい内容でもない。やはり文豪であるから、表現技法や独特な言い回しには、他の小説家には無いキラリと光るセンスがあり、所々で感心する。なぜこれらをもっと早くに読まなかったのだろうと後悔する毎日だ。
 所謂読書家の友人が私にはちらほら存在する。彼女達は、自分のお気に入りの作家の本は勿論のこと、哲学や様々な時代や外国の文化についての本など、本当に多ジャンルの本を数多く読む。そうして日々様々な雑学を身につけているのだろう。私はある一定のジャンルの本しか読まないので、その点で私と比べて彼女達は明らかに好奇心や視野が広く、知ろうとする意欲や行動力が私よりも遥かに高いのだ。私はそれに感心すると共に、「自分も今よりさらに多ジャンルの本を読まなければいけないのだろうか」「もっと頭を使う本を積極的に読まないと頭が良くならないのではないだろうか」などという不安も感じる。
 ここで一つの疑問が生じた。果たして本を沢山読むからその人は偉いのだろうか。本を読むことは、知識や雑学などが蓄えられるのは勿論のこと、想像力なども育まれるらしい。しかし、何度か読書家の人々と話す機会があった際、「なぜそのような無神経なことを言うのだろう」と疑問に思う程の、読書で鍛えられているとは思えない、想像力に欠けた発言をされたことがチラホラある。また、ごくたまにだが、「私はこんなにも本を読んだんだ。どうだ。凄いだろう」などと言ってエヘン、と周りに対して威張るような態度を取る人間もいる。確かに本を多く読むことは素晴らしいことなのだが、たかが人よりも多く本を読んでいるという事実だけでそこまで威張れるようなものなのだろうか。(そのようなことで威張るような人間はその時点で偉くはないと思う)
 このように、たとえ本を沢山読んでいたとしても、想像力に欠ける発言をする人はいるし、精神が幼い人もいる。確かにたくさんの本を読めるということは偉いと思うが、どのように本を読むのか・何を読むのかによると思う。
 

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