過ちに心が痛もうとも、その悔いに学びながら Uru「心得」より
今日は、実家に帰省しました。
子供を4人乗せて運転中に、次女が急に言い出しました。
「ママから言ったの?」
「ほら、あの事・・・」
「パパは何て言ったの?」
「うん・・って」
「うんって言ったの?」
次女は、先日まきこさんとした、シェア会の話しを聞いていて(いつも、私が話をしているのをこっそり聞いているんです。)
もしくは、不思議な事に、私が書いたブログの内容を、知っているかの様な事を、時々、言いだすので(もちろん、私のブログは読んでいませんし、知りません)
ブログには、
離婚は、私から言い出し・・・
と書いてあって、
その事を急に、私に聞いてきたのです。
私は、
その話は嫌だ。と感じ、
「うん」と言っただけで、続けたくありませんでした。
そして、そうかぁ。これが、まだ癒えてない
という事なんだ。
笑って話せる様になれたら、癒えてる事なんだな。
そう思い、
なぜ、まだ嫌だと感じてしまうのか?
とみていくと。
子供達と元旦那さんへの罪悪感。
前にも1度、癒した事があったけれど、
その時、ペンジュラムで確認をしたら、
だったので、
今回、もう1度癒やしました。
今、ペンジュラムの使い方を間違って、私の元からいなくなってしまっているので、まきこさんに、作って頂いた、大浄化のネックレスが、ペンジュラムとしても使えると言う事で、確かめてみました。
そして、ペンジュラムに関して、また、使い方を間違ってしまったかもしれないと、思いました。
今回、癒した時点で、私の中には、
これで癒えたのかな?
と言う気持ちがあって、それを確かめる為に、ペンジュラムを使ってしまっていました。
[癒せた]という実感があるから、それを確かめる為に、ペンジュラムで確認するのではなく、
[癒せたかどうか?]の答えをペンジュラムに聞いてしまっていました。
やっと、わかりました。
ペンジュラムも出て来てくれたら嬉しいのですが☆
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