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世界は、私が思うほど不幸ではないのかもしれい。

はじめまして。双蝶です。
信じてはいませんが、占いを学んでおります。

さて、今日の私は、
「私を含んだこの世界のしあわせ」を願っているのですが、
少し前までは、
世界が幸せであるために、私をしあわせにする
と意気込んでいました。

私がしあわせなら、
世界の幸せの総量を増やすことができる。
私のしあわせが、世界を少しだけ平和にする。
なんて思っていたからです。

その前は、
世界の幸せのための自己犠牲や
他者に迷惑をかけてしまう自分の幸せ
との境がわからず、戸惑っていました。

その前は、
幸せを望みながらも、
幸せになってはいけないとか思っていたりして。

世界に感謝することはあっても、
しあわせに貢献しようとは思えませんでした。

ずっと、私自身の幸せと、周囲の人が幸せであること。
そのバランスが取れる立ち位置を探していた気がします。


個人のしあわせの総量が、世界の幸せ。

その是非はともかく、
世界のしあわせを願うからには、
しあわせの総量を増やしたい。

それは、日々の私がしあわせであること。

これが、重かったです。とてつもなく。

しあわせであることに執着して
不幸せでもないフラットな状態さえ
不満に感じていたのでしょう。

あの執念は、なんだったのでしょう?

この世界をしあわせにしたい。

けれど、この世界はそもそも
不幸せでもないのかもしれません。

対極に分かれる世界なら、
しあわせと同等の不幸せが生み出され、
願うほど、願いから遠ざかることになるはずなので。

私という自我からしたら、
とてもそうとは思えないけれど、
もしかしたら、この世界は完璧なのかも。
完全に調和しているのかもしれない。

私のしあわせは、誰かの不幸せであり、
私の不幸せは、誰かを幸福にする。
私たちは、無自覚に幸不幸を共有している。

そんな思いつきに至ったのは、
意味を反転させるタロットの【逆位置】に
馴染んできたお陰かもしれません。

タロットの大アルカナは、魂の成長を描いたもの。

その説からしたら、
全てのカードは、魂の成長に必要な要素になります。

嫌な意味も、不吉なカードも、人の本性。

どれだけ聖人君主に見える人でも、
人である限りは奥底に秘めて、隠されているだけ。
そう思って、安心したことを覚えています。


あからさまなだけに、容赦のないタロットですが、
魂のあるなしとか、善悪とか、正誤なんかを考えなければ、
相対的な考え方のバランスを取るための
よいツールになるかもしれません。

精神世界に正解はなく、
明日には、全然違うことを熱く語っているかもしれません。

なので、私の言うことなど、信じないで下さい。

辻褄が合わなくなることが、
人としての成長だったりもするので。

ただ、今日の私の想いが、
いつかのあなたに繋がり、
変容のきっかけになれたら、幸いです。

本当か、嘘か。
あるか、なしか。
正しいが、間違っているか。

そんな相対的な世界に肩入れせず、
どちらも眺めていられる場所で、
いつかお会いしましょう。



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