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題目『むきだし』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『むきだし』。

(「剥き出し」にすることは。。
  ぼくにとって。
血を流すようなことなんだ。。 )

 若かりし頃、たぶんまだ20代だった時代かな。
当時の日記にこんなこと書いてあった。。
  泥の中を。
 転げ回っていた時期でした。。
当時はよっぽど苦悩していたんでしょう。
 自分を確立したい。。人に確立していると認められたい。
そんな心境の中で書いたような気がします。。

 それからは、少しは歳を重ねましたが。
冒頭の一節で言わんとしていたこと。。
  その感触は。
今でもよくわかります。。


 自分を「剥き出し」にすること。さらけ出すこと。。
  それは。
やっぱり勇気がいることなんじゃないかな。。
  ワタクシは特に。
自分の感情や思考を滅多に表に出さない性格なので。。
 余計に「剥き出し」にすることには。
勇気が必要だった。。

 どうしてもそれが嫌だったら、やらなきゃいいのに。
それでも「剥き出し」にしたいものがあったんだね。。
  そうすることが。
 どうしても必要だったのです。。


 "窮鼠猫を噛む"ではないけれど。
どうしても窮地に陥った時というのは。。最後には。
「剥き出し」にするものなのです。自分を。。
  もうなりふり構わず。
自分のすべてを「剥き出し」にする。。

 ネズミの場合は、歯を「剥き出し」にして猫に襲いかかる。
まあ、"火事場の馬鹿力"みたいなものです。。
 周囲でも、自分でも、思ってもいなかったような。
力を発揮することができる。。
  ことも。ある。。


 「行き詰まっちゃったな」。そんな時は。。
どうしても下向きになってしまって。
  自分でもどんどん自分を追い詰めていく。。
 考えが悪い方、悪い方へ、と向かいがち。
  いよいよ。。どうするか。

 これ以上は固く縮こまるのはやめよう。
下向きだった発想を。。上向きのものに変えるんだ。
  これで。。
 底を打ったんだ。これより下はない。。
  もう。
守るべきものなんて自分の中にはない。。
  すべてを。
 「剥き出し」にしてやろう。。自分のすべてを。


 そうかと言って、ただ開き直って無鉄砲なことをしては。
  いけませんよ。。
それは上向きなことじゃない。

 心の向きを上に向けなくては。。
ネズミの場合は、自分が"歯"という武器をもっていることを。
  思い出した。。
 そしてその武器を「剥き出し」にしてみたんだ。
はじめて積極的に。。攻撃に転じた。
  これは。。上向きです。

それは猫もびっくりしますわな。。
 もうすっかり諦めて縮こまって動かなくなると思ってたのに、だ。


 自分の持てる武器、つまり何らかのいい部分。。
  なんでもいいんだよ。
それを「剥き出し」にしてみよう。。
  恥ずかしい?
もちろん。
  勇気が必要だ。。
 自分が自分で気がついてはいるけど、表に出していなかった。
隠された武器。。初めて表に出す時は。
 勇気が必要なのですよ。。そこは。頑張れ。。


 冒頭の一節を書いた頃の、20代だったワタクシは。
  どこか。。
悲愴感のようなものが漂ってましたね。
  まだ。。青かった。
その言葉にも、血を流すことを少し恐れているような感触がある。。

  それでも「剥き出し」にしようと。
 その勇気を持とう、としていた感はあります。。


 あれからもう何十年も経って。その間に。。
どこかの時点で「剥き出し」になることができた。
  その勇気をもつ覚悟ができた、という訳です。。

 勇気をもって「剥き出し」になることができたら。
  そこには。。
もう悲愴感はない。


 「剥き出し」になって前に進んでいこう。。
  それでも敵わない相手だったら?
誰かに、馬鹿にされたら?
  そんなことは気にしない。「剥き出し」になる勇気があれば。。
 そんなことは気にならない。

 多少、時間がかかってもかまわないのですよ。
ワタクシもだいぶかかったしね。。


思い切って「剥き出し」の自分になってみる。

  そして
 

 「脱いだら実は凄いんです。。」などと言ってみてはどうかね(ニヤリ)。。。



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。


いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。