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題目『でっかい』

 今宵のTwilloの冒険の題目は『でっかい』。
『でっかい』もんは。。いい。なんとも。。いい。

 ワタクシは『でっかい』もの、海とか山とか、樹木なんかもそうだな。。
それから巨大な建造物みたいな人工的なものでも。
とにかく『でっかい』ものが好きですね。。

 好きのものが好きな理由ってなかなか説明しにくいものです。
『でっかい』ものの場合、なんだろう。。
自分まで壮大な気持ちになれる。あとは。。
とにかく「凄い」って自分が圧倒されるのが、
気持ちが引き締まるようでいい。
あとは。。

 やっぱり難しいですね。だけど、「好きなものは好き。それだけだ」
だと、この話は終わってしまう。

  で。。深く潜ってみました。


 どうやら原点は幼少期に眺めていた自然の風景にあるようだな。。
夕暮れの空とか。太古の森とか。。連なる山々とか。
みんな『でっかい』存在だった。。
  そうだ、なにがいいって。
そういう『でっかい』存在を眼の前にすると
「おお、『でっかい』な」と、思わず言葉が漏れてた。。
  その瞬間は。
圧倒的な存在と、それを眼にしている自分を同時に意識している。。
自分の存在と、それから自分が何かを眼にしているってことを意識できる。

  わかりますでしょうか。。

 普段、生活の中で例えばテレビを観ていたり仕事していたり。
その最中に"自分の意識"を意識することってあまりないはず。。
少なくともワタクシはあまりない。
だけど、『でっかい』ものの前に自分があると、
それに圧倒されてる"自分の意識"がはっきりと意識できる。。

 今でも『でっかい』ものを眼にすると、自分はちっぽけなはずなのに。
ちっぽけだとも孤独だとも感じないのです。。
  なぜかって。
自分と"自分の意識"をすぐ近くに感じられるから。。


 どうやらワタクシの場合、自分が「生きてる」って感じられる時が
とても好きみたい。
  Twilloもそう。。
 いちばんはじめTwilloの発想の段階で、とにかく動力なしでやろう、
自分の手足でだけで引っ張りたい、そう考えてた。
ひとつは幸いに頑丈な身体をいただいている。。
もうひとつは自分の手足で引っ張って「生きてる」って実感したい。
このふたつでしたね。。そうしたかった。
その通りにした。。

 『でっかい』ものが好きなのも、自分で"自分の意識"を意識できて
「生きてる」って実感できるから。
そういうことだったんですね。。今さら自分で納得。


 『でっかい』ものそのものがいかに凄いかという話になるかと思いきや、
"自分の意識"を意識できるから、だから好き。
という話になっていきました。。

 この話をもっと大袈裟なものにしていくと

 マクロに向かって旅をしていったら
いつの間にかミクロにたどり着いている
という宇宙的な話になっていきそうです。。


『でっかい』ものを眺めよう。
「でかい」じゃないよ『でっかい』もの、だ。。
きっと気持ちいい。ワタクシが保証しますよ(ニヤリ)。。。



 Twilloでのワタクシのいつもの最後のセリフ。。
「ワタクシは自分では値段を決めていない。のです。。よ。。。」
適当なものを「サポート」のところに入れておいていただければ
幸いです。。。

いつものTwilloでの最後のセリフ。。 「ワタクシは自分では値段を設定していないのですよ。。。」 適当なものをここに置いていただければ。 幸いです。。。