自由への「覚悟」と「世界平和」の実用的な意味

「香港は変わってしまった」

一昨日出会った香港人のHさんが話してくれたことで、私が日頃悩んでいることと、数年間も意識を背けていたことの共通点に向き合わされた。

私が悩んでいたことは、言論の自由を実践することの対価には、身柄を拘束されるリスクという不自由さも含まれること。

行動の自由を失う不自由さを恐れて言論の自由を放棄していると、生きている目的を失い生きた心地がせず、終いには自殺や他殺さえ犯してしまう危険性を孕む。

自分の不自由を恐れることによる怠惰こそが、自分を含めた民衆の自由を危うくしているループ。

だから責任は漏れなく自分にもあるけど怖い。けど言論の自由を実践しないともっと怖いことになるという不安がつきまとう。

私の憂鬱は、言論の自由が国家権力によって侵害されていることよりも、身柄の拘束というリスクを背負ってでも言論の自由を訴えきれていない自分への嫌悪感が根源となっていることに気づいた。

だから胸を張って生きられず、息を潜めながらコソコソとしか生きられないのだ。そんな自分が好きになれなかったのだ。

どの時代も、権力者は民衆の言論の自由を奪ってきたし、民衆は命をかけて闘ってきた。その構図はこれからも変わらないだろう。

問題は個人がどこまで自由を実践するか。民衆に自由の意味が響けば響くほど、比例するように身柄の自由が奪われるリスクが高まることを覚悟しながら。

中国政府を批判する香港唯一の媒体「蘋果日報」の創業者ジミー・ライさんが2019年-2020年香港民主化デモでも最前線で、100万人規模の民衆と「逃亡犯条例改正案」に反対し続けた末、逮捕・勾留されていることは私も知っていた。

実は私、元社員というご縁があり、ジミーさんには公私共にお世話になっていた。なのに、問題の背景を詳しく知ろうとせず、複雑で理解できないことを言い訳に向き合わずにいた。

そのため、2年前の2021年に会社の資金を凍結され、廃刊に追い込まれたことを恥ずかしながら先日、Hさんから知らされたばかりだった。

そしてようやく、ことの重大さに実感が持てて、問題の背景について調べていたら、ドキュメンタリー『The Hong Konger: Jimmy Lai's ExtraordinaryStruggle for Freedom (ザ・香港人:ジミー・ライ氏の並外れた自由への闘争)』に辿り着いた。

億万長者としての暮らしや家族との時間を犠牲にしてまで平和的に闘い続けた挙句、中国を批判する唯一の媒体のトップとしての知名度と影響力が群を抜いているために見せしめにされているが、それも覚悟の上だったということが伝わる。

どうやって生きていけばいいのか分からないと思い悩んでいた私にヒントを提示してくれていた。

"I don't have a sense of fear, especially if I know I'm doing the right thing."
私は、自分が正しいと思うことをしている時は特に恐れはない”

"If I say this, what are the consequences? If I do this, what are the consequences? I can do nothing. My life is finished. I'm not going to think about this. I just do what's right. And go on with my life."
「こんなことを言ったら、どういう仕打ちがあるだろう?こんなことをしたら、どんな仕打ちがあるだろう?そんなことを考えていたら、生きられない。だから考えないで、正しいと思ったことをやって生きている。」

"It will be so boring just being a businessman. I want to make my life more meaningful and interesting, and that's why I got into the trouble I got into today, and I'm happy to have it, to be honest."
「単なるビジネスマンとして生きるのは退屈だ。私は自分の人生を意義あるものにしたいから、今日のような事件にも巻き込まれた。受けて立ってやろうと正直に思っている。」

"If we use violence, we forfeit the moral authority we have."
「暴力を使えば、道徳的な権威を失ってしまう。」とJさんは言った。

「世界平和」とは世界から争いがなくなる超理想的な状態などではなく、仮に暴力を振るわれても暴力で返さない平和的な精神を保つ訓練の大切さが根源にある概念ではないだろうか。

私は「鬱だ」「死にたい」「生きている意味がわからない」と日頃から嘆いているが、命を手放してもいいのなら、逝ってしまう前に、仕打ちを考えずに本音で生きてみれば、生きた心地を味わえるかもしれない。

現状維持を保持しようとする権力者に睨まれるのは想定内。自分の自由が奪われたということは、それほど人の心に響いたという証。そう思えば怖いものは何もないはずだ。

"I can support you. "
「君を支援することもできる。」

当時の私はまだピンと来ていなかった言葉だが、今なら分かる。

Jさんは中国の牢獄からであっても私に勇気を与えてくれている。
その十分過ぎる支援に感謝している。謝謝妳。

ドキュメンタリー『The Hong Konger: Jimmy Lai's ExtraordinaryStruggle for Freedom (ザ・香港人:ジミー・ライ氏の並外れた自由への闘争)』


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