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【幼児期】身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私が学んできたこと❷

はじめに

物理的に恵まれた環境

おそらく誤解しか招かないだろう自己紹介を始めます。


アメリカ東海岸にある世界都市で1980年代、日本人の両親の間に生まれました。



「帰国子女?」
と、よく聞かれるので念の為、疑惑を晴らしておくと「日系アメリカ人2世」です。


自分の境遇を理解してもらううえで、出身地や国籍は重要な要素。


妥当な質問であると頭では理解しています。


ただ正直にいうと、年齢や性別と同じくらいどーでもいい、と内心毒づいてしまう。

でも、そんなひねくれたところにこそ「私っぽさ」があるのかな、なんて思ったりもします。


私の表面上のステータスを知っただけで、憧れの眼差しを向けられるたびに壁を感じ「なにも知らないくせに」と、劣等感の塊が刺激されるからだと思います。


この歪んだ感性が育まれた背景は後でじっくり説明するので、今は「ふぅん」と聞き流していただければ幸いです。


さて、私が生まれた街は、当時は今よりも治安が悪かったため、数年後には都心から約1時間離れた上位中産階級の住宅街に引っ越したそうです。


育った家は二階建ての一軒家(4LDK+サンルーム+地下室)で、前後にある芝生の庭には背の高いカエデの樹が数本自生していて、リスや小鳥が観察でき、夏には蛍が飛んでいました。


父親は日本食料品店を営んでおり、両親ともに料理が得意でした。


きょうだいは2歳下と3歳下の弟がいます。


平日は現地校に通い、幼稚園から中学生まで土曜日だけ日本語学校に通っていたので、物心つく頃から英語と日本語を使い分けていました。


控えめに説明してもやっぱり、物理的に恵まれた「幸せな家庭」で育ったように聞こえてしまうんじゃないでしょうか。

少なくとも私は、客観的にみようとして、必死に、そう思い込もうとしてきましたので、わからないでもありません。


実際、4歳くらいまでは、本当に幸せだったハズなのです。


私専用の分厚いアルバムが、両親の家には今もきっとあるのですが、最初の方のページに、首が座ったばかりの赤ちゃんが満面の笑みで映っている写真があります。


「......これが、私?......なにがそんなに嬉しいんだろう???」


と、物心ついた頃から、自分であることに全く実感が湧かなさすぎて、薄気味悪く感じていたので、そういう意味では思い出深い一枚です。


ちなみに、このアルバムは5センチ以上の分厚さで、写真はほとんど父親が撮影したものなのですが、他のページを開く時も気持ちが悪くなっていました。
 
いずれにせよ、その写真は「幸せだった時期が私にもあった」という証拠ですし、このアルバム自体「愛されて育った」象徴のようなものなのです。
   

他にも家族での海外旅行とか、「自慢している」と勘違いされそうな経験もしていました。


でもその「幸せな家庭像」は、なぜか自分一人の犠牲の上で成り立っているようにしか思えず、心は常に薄暗い靄がかかっているような重苦しい状態でした。


私に感謝の気持ちはなかったのか?
いえ、ありました。感謝していました。
でも、心の奥底は常に置いてきぼりだったのです。


側からみると、恵まれた家庭と生い立ち。


そのイメージが強くなればなるほど、反比例するように、心が荒んでいく感覚。


なんとなく、わかるでしょうか。


幼児期


空白が多い幼年期の中で、鮮明に覚えている記憶がいくつかあります。


その中で最も古く、思い出す回数が最も多い記憶について話します。

(フラッシュバック注意の部分が始まります、ご注意ください。)

①実父からの猥褻


それは、父親からの猥褻の記憶です。

両親の寝室のベッドで、父と母の間で就寝中、私が目を覚ますところから始まります。

真夜中に不快感を覚えると、私のパンツの中に入っている手が、陰阜を撫でていました。それは父親の方から伸びていました。

お父さんは寝ぼけているのだろうか? と私は疑いました。

それなら、手を振り払おうと、寝返りを打つように母の方を向きました。

するとパンツの後ろを握られました。


恐怖。混乱。恐怖。


その場に居ても立ってもいられなくなり、

なるべく素早く、
なるべく静かにベッドから抜け出し、


トイレに駆け込み、


水だけ流しました。

直後の記憶はありませんが、
きっと子どもの寝室に戻って寝たんだと思います。


ここまでなら、単なる「怖い夢」として処理できたかもしれません。

ですが、まだ続きがあるのです。




翌朝、母親から

「お父さんにメゴメゴしてもらったんだって?よかったねぇ」

と言われ、

ギュッと抱き寄せられました。


???


お母さんが......喜んでる?

余りにも混乱し、声が出ませんでした。

お母さんの機嫌がいいってことは、

アレは「よかった」?

のか......?


直後の記憶はありません。


ある日突然、数時間の間に天と地が一回......二回......とひっくり返り、一見、何事もなかったようでもありました。

でも、その日から燻り始めた言葉にならない違和感は、どうやっても完全には消し去ることができなく、ことあるごとに思い出すことになります。










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【☆ゲーム☆】 否定 & 忘却♬

ハイッ☆ 突然ですが、ここからゲームがはじまりまぁ〜す♪

私が今お伝えしたことを、ぜ〜んぶ忘れる♫というゲームでーす☆

幼児の記憶とやら?をとことん疑ってみるのでもいいですよ!

大丈夫、私は傷つきませんから♡

あ!そうだ!

コメント欄に

「嘘つき」

「売名、乙。」

とか書いてもらったら、

臨場感があって面白いかもしれませんねwww

そ・こ・は・お任せします♡

いやい〜や、そもそ〜も、

私から「信じないでください」なんて頼まれなくても

信じられない、ですよね?

気持ち悪すぎますもんね?

信じて何か得しますか?

しませんよねwww?!

なら、疑えますね!

否定できますね!

急に言われても〜モジモジって方には

疑う材料もちゃーんと用意していますよ☆

私の父親は:

優しかった。
面白かった。
働き者だった。
私を特に溺愛していた。
家族との食事の時間を大事にしていた。
美味しいものをたくさん食べさせてくれた。
私が生まれた日のことを何度も嬉しそうに話していた。
なーんて記憶もあるんですよ〜。

しかも私ずっと、お父さん子だったんです!

お父さんと仲良しだったの!

ね?私の話がたちまち疑わしくなってきたでしょ〜?

そんなにいいお父さんが、あんなことする訳ないですよねぇ?

お父さんからは、殴る蹴るもなかったしね!

そろそろ私の話が信じられなくなりましたか?

いいのですよ、それで♡

ふふふ

人生は楽しい♪ことがたぁくさん♡

ねっ♪

そういうことに時間を使って

本当かどうかもわからない不気味な話はいっそ忘れましょ♪

私のことも忘れてくださいな☆

ここまで読んでくれて、ありがとうございました〜〜〜!!!









PS
あ!ごっめ〜ん
大事なことを言い忘れてました!
てへ☆

話はまだ始まったばかりで、
まだまだ続くのですが(続くのよ〜)
万が一読み進める場合は、
ずーっと疑い続けていただきたいのです!!!

なんでそんなにしつこいかって?
わかった、じゃあ
タネ明かししちゃうとね?
疑ってもらわないと、
私が伝えたいことも結局、
伝わらないと思うからです☆
なんとなく!
ほら、
私自身が自分のことを信じられないまま
生きてきたから〜
いきなり私の話を信じてもらっちゃったら、
私の「信じられない」感覚も伝わらないんじゃないかな〜って。

だから、読み進めるなら、
私の話を信じないでください♬
間に受けないで♡
それに〜
フィクション・作り話だと思った方が気軽に読めるっしょ☆

ご協力、お願いしますyo♡

幸せ♡楽しい♡ことだけに意識を向けて生きよー☆

あとは全部
否定して、忘れよぜー♪♪♪

さよーならー☆

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幼児期「初めて嘘をついた日」につづく
リンクはしばしお待ちください

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