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【はじめに】身内から子どもへの性犯罪:被害者から加害者になった私の否定と忘却ゲーム❶


⚠︎注意

気分や体調が悪くなると感じたら、直ちに読み進めることを止めて、ご自愛ください。

あらすじ

4歳以降、父親からの強制わいせつや、母親からの体罰などが「愛情表現だ」と教わった私、斎氣意(さいけ・こころ)が、身近な人を虐待してしまうほどに感情のコントロールが効かない症状を含む精神病(複雑性心的外傷後ストレス障害/C-PTSD)を治療しながら、性被害と性加害の経験を語り、学びを発信することで、子どもの心身が尊重される社会に貢献し、安楽死をするまでの道のりを綴る自伝的セルフセラピー。

はじめに

初めての記憶=初めての猥褻


両親の間

(本来は最も安心できるはずの場所)で、
寝ている最中
(本来は心身共に最も安らぐはずの状態)、
父親
(本来は最も信頼できるはずの存在)から、
性器を勝手に触られる猥褻
(自分の最も大事な場所の侵害)を受け、
逃げましたが、
(自己防衛本能が作動)
翌朝、母親
(本来は最も信頼できるはずの存在)から
「お父さんからメゴメゴしてもらったんだって、よかったねぇ」
と抱き寄せられ、

(自分の感覚や感情や認識とは真逆)
本心
(不快感、恐怖、混乱)を
完全に無視された記憶を
自ら否定することから始まった人生が、
4歳以降いかに狂ってしまい、
性加害者にまでなってしまったことが、

家族以外の人との交流、
両親の束縛から逃げたことや、
精神治療の過程などで
少しづつ明らかになったという私の体験談です。

幼児期から成人した後まで、
継続的な虐待を「愛情表現」と主張する両親から受け続けながら、
被害を現実として認めることができず、
逃げることも他人に助けを求めることも大幅に遅れ、
精神疾患(複雑性PTSD)を35年以上患っています。

3つの気づき

現在進行形で、あらゆる症状に苦しまされてわかったことを3点に要約すると:

①家庭内で子どもへの性犯罪が、加害者の「無自覚」のうちに起きている。

②性被害を否定することは、自己防衛本能が正常に作用しているからだが、否定し続けても苦しみは増す一方である。

③被害を認めて精神治療を初めないと、自分も「無自覚」のうちに加害者になって自他を傷つけてしまう。

これらは実体験に基づく気づきですが、決して珍しくない人類共通の社会問題であることが調べるほどに明らかです。

性被害を認めるまで


幼児の時から父親にされてきたことを「性虐待」として認識できたのは、私が30代半ばに受けたセラピーで、父親への怒りを封印していることが明らかになってからのことでした。

23歳の頃、性被害について話してくれた男性につられて、自分の記憶について初めて話しましたが、まだ自分の記憶を否定している部分がありました。

10代の時、門限を破る私に母が何時間も説教し、私の顔を引っ叩く度に、父親からの猥褻に関するフラッシュバックの頻度が増しましたが、事実だとすれば墓場まで持っていくと決心しました。

保育園児の私が初めて嘘をついた日、母親から頬を打たれ、お仕置きにされたクローゼットの中で、猥褻な雑誌の山が目に入り「お父さんがついた『嘘』はなんで『よかった』の?」と冷静になって涙が引いたのを覚えています。

このように、性被害を受けた証拠が増える度に、あらゆる方法で無意識的に事実を否定してきました。

・記憶を否定(悪夢であり現実でない)
・心的操作(負の感情を感じないよう過食する)
・考える隙を作らない(仕事に没頭)
・矮小化する(大したことではない・体に傷を負った訳ではない)
・他人と比較する(もっと辛い人がいると自分に言い聞かせる)
・麻痺する(私は気にならない人間と思い込む)
・加害者の弁護(両親は私に愛情を持って育ててきたと言っている)

両親の元を離れ、ようやく自由になれたと思った矢先、交際を始めた彼氏にDVをしてしまう自分の言動が、過干渉で暴力的な母親そっくりで、反省しているのに辞められず、自分の中に「治すものがある」と初めて自覚しました。

女性ホルモンに原因があると思い、誤診によって処方された低容量ピルの副作用で死にかけました。

その後は瞑想や漢方、精神作用のある植菌類などを用いた古今東西に伝承される民間療法を試し、潜在意識へ作用に手応えを感じたものの、それ以上に、自分のトラウマの根深さに打ちのめされました。

彼氏へのDVを辞めるためには、母親への怒りを解消する必要があると思って受けたゲシュタルト療法では、父親への怒りを押し殺していたことが判明。

その後も、良かれと思った言動で、大切な人間関係を滅茶苦茶に壊してしまうことに耐えられなくなり、解決法を模索。

自分の存在に向けてきた呪いと憎しみを、両親に向けるという発想に救われました。

それでも状況が改善しなかったため、人生を根本からやり直そうと、最も恐れていたことを実行しました。

それは、両親の罪を問いただすこと。『毒になる親』の著者スーザン・フォワードの勧めでした。

誰しもが憧れる南国に出向き、その清々しい空気とは対照的な重苦しい荷物を抱え、足をひきづりながら、恐怖でしかない実家へ届けに行きました。

個別に向き合い、まずは母親に告白しました。幼児から成人した後も続いた父親からの性被害について。

次に、父親に罪を問いただしましたが、責任逃れをしようとしたため、絶交。

両親から授かったゴミの山を下ろし、心の負担が若干軽くなったのも束の間。

一番辛いことに向き合わざるを得なくなりました。

それは、自分が年下のきょうだいに性的な侵害や、精神的な加害をしていたという事実。

父親からの猥褻や、母親からの体罰が「愛情表現」と教わり、釈然としたことはなかったのですが、それを受け入れようと、その神経を理解しようと、年下のきょうだいたちに、自分がされてきたようなことをしていたのです。4歳から10代後半まで。

何が原因であれ、やったことは変えられません。

私はただの性被害者ではなく、私が最も嫌いな、みんなも大っ嫌いな性加害者になっていました。

私はその事実を一生、背負っていかなくてはなりません。

自分が忘れてしまいたいほど嫌だったことを、大好きなきょうだいにしていたという事実は、自分が性被害を受けていたこと以上に辛いことです。

きょうだいに謝罪し、許しを得ましたが、私自身が自分を許せません。

世界からいなくなってほしいと願う性加害者に自分がなっていた以上、早く死にたいと思っていますが、皮肉にも、きょうだいや彼氏がそれを望まないというため、すぐには実行に移せずにいます。

スイスで安楽死することは諦めていませんが、それができる日まで、自分の人生を見せしめにし、子どもの心身の健康が尊重される理想の社会に貢献すると決めました。

生き方を改める


①自分が体験した性被害と性加害を洗い出す。
②精神治療を一生続けて、学びを発表する。

具体的な事例/問題/対策


父親は、幼児の娘に性犯罪を犯した自覚がなく、その後も猥褻行為を続けた
(娘に愛情があれば、一方的に性器を触っていいという正当化ができる思考回路)
→防犯の性教育/性犯罪者が正当に罰せられる裁判/性被害者が守られる法律の改正

・父親が正当化した性行為に混乱し、理解しようと、幼児の私は弟の性器に触れた
(性犯罪者の子が性犯罪者の予備軍になる危険性が高いのは、大人の言動を子どもは手本にするため)
→性犯罪者のマネをしないために、言葉が理解できる段階から自分の体を守る・他人の体を侵害してはならないという意識があり、言語化でき、実践できる大人が必要。

・猥褻が「面白い」「望ましい」とする情報にも影響され、きょうだいへの性加害は暴力的になった
子どもの「NO」を尊重する、包括的な性教育と法律が欠如している環境で、一方的な猥褻を肯定する漫画・アニメ・テレビ・猥褻媒体などの情報が溢れていると道徳観が狂い、犯罪が助長される
→防犯の性教育/法改正/猥褻メディアの規制:強制的な性行為を含む表現が、性犯罪を助長・加担する危険性を意識する必要がある。

・母親も、私に体罰を加えた自覚がない
「昔は当たり前だった」という理由で、子どもを平気で叩き、自分の犯罪には無頓着
→ここまで認知が歪められてしまった心の傷を癒すために、感情を聞くことに長けたセラピストが必要。

・子どもは「大人に劣っている」という思考
子どもの感覚・感情・意見が無視・否定され続けると、自己を肯定できない人として成長し、生きるのが一向に苦しくなり、自ずと犯罪にもつながる。
→子どもに一人前の感情や人権があるということを知る。

・両親ともに、私を溺愛しながら虐待を続けた
虐待と愛情表現の違いが分からなくなって人間不信になり、他人にも愛情と称して虐待をしてしまう人間が出来上がる。
→親に愛情があったとしても、虐待行為は正当化されないことを理解する必要がある。

私の理想の社会

・全ての人間が包括的な性教育を通じて、自分の体の守り方と、他人の体の尊重の仕方を学ぶ。
・子どもや性被害者の人権が守られるように法律を改正する
・性被害者にアドバイスなどせず、感情に耳を傾けることができる人が増える
・性加害者の自主が相次ぐ社会現象が生まれるほど、牢屋でのセラピーが充実する。
・精神障害者も死ぬ時くらいは苦しまなくていいように安楽死の選択肢がある。

生い立ち

につづく

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