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好きな人に過干渉になってしまう自分を辞めたい→ゲシュタルトセラピー予約した

今さっき、ゲシュタルトセラピーの個人カウンセリングを予約しました。

先日、「好きな人に自分の思い通りに動いてほしいという不毛な苦しみから解放される考え方」という余裕綽々なnote記事を書いたばかりなんですが。

翌日、思い通りに動いてくれない彼に再び、怒ってしまいました。

実はこんなやり取りを十数年も繰り返しています。

彼はよく耐えてくれていると思います。

でも私の機嫌なんか気にせず、自由に生きてほしいし、私も干渉したくないんです、本当は。

頭ではそう思っていますが、心がついてきません。

鬱で、体が思うように動きません。

好きな人に過干渉になってしまう自分を辞めたい。

心と体が統合されていないときには、ゲシュタルトセラピーが効果的だったことを思い出し、個人セラピーを予約しようとしたら案の定、数週間待ち。

いますぐ、見てほしいのに、待ってられない。

諦められず検索を続けていると、電話で予約を受け付けているセラピストを発見。

電話したら、なんと明日空きがあると言われ、速攻予約を入れました。

ゲシュタルトセラピーは、田房永子さんのコミックエッセイ『キレる私を辞めたい』で知り、2回受けたことがあり、最も手応えを感じるセラピーでした。

その体験談は、はてなブログに詳しく書いてあります。

・・・・・・・

ところでゲシュタルト セラピーって自分にもできるのかな

と思って自分でやってみましたが、結論は「ちょっと難しい」でした:

ファシリテーター(F)どうなさいましたか。

私 彼氏の引越し先のことで、過干渉になっている自分を辞めたいんです。

10年前に借りた賃貸に同棲していたんですが、その部屋は大通り沿いでうるさくて陽当たりが悪くなり、私はストレスで、そこから引越したんです。

彼は不満はなく、まだそこに住んでいるのですが、立退要請が来たので彼も引越しをしないとならなくなりました。

何が不安かというと、彼の引越し条件に、私の引越し条件(陽当たり、静けさ)が入っていないことなんです。

ちなみに彼氏の引越し条件は:
・ベランダつき
・追い焚き機能つき
・5万円以内

そんな物件、いくらでもあるわ!と突っ込む私。

そんな理想が低くては、不動産のカモにされて終わるのが目に見えている。

いい物件を見つけるには、
一に陽当たり
二に静けさ
を条件に入れないと始まらない、と私は思っている。

賃貸探しをしていて、どんなに間取りが良くて、駅から近くても、
陽当たりが悪くて、大通り沿いで騒音が酷かったら、心身が休まらない。

私は、陽当たりが良くて静かな場所に引っ越したらそれだけで、QOLが底上げされて、生きやすくなった。

彼は「別にあなたと一緒に過ごしたくないから、その条件なのではなくて、自分がいいと思う部屋をみつけないだけなんだ」言います。

きっとそうなのでしょう。自分を軸に考えるのは大事なこと。

でも、彼の潜在意識では、引越し先で私と一緒に過ごすことへの優先順位は低いんだろうなと卑屈になってしまい、怒りとして出てきます。

まるで、母親が私にしてきたような怒りに満ちた反応を、彼氏にしてしまう自分が嫌で仕方ありません。

彼は私に対して、束縛や否定をしたことがない寛容な人なのに。

彼が私との時間を大切に思えない気持ちも分かります。私は彼に出会った時からずっと彼を裏切ってきたからです。

例えば、私は浮気をして、彼を女性不信にさせるほど傷つけてしまいました。

彼は「いいよ浮気しても。本当のことを言ってくれれば」という寛容さで、私にはその意味が当時は分かりませんでした。

私は浮気をされるのは絶対に嫌だったから。でも、世の中にはそういう趣味な人たちもいるし。

「浮気は文化だ」と開き直っている著名人だっているほどだし。

男性の浮気へは寛容(一夫多妻とか)だけど、女性の浮気は死刑に値する国があるほど、性別によって、人間としてやっていいことと悪いことの差があるのも理解できませんでした。

そもそもの話、私の道徳観念は4歳の時からグッシャグシャにされていました。

私は4歳の時、両親の間で寝ている際、父親から猥褻をされ、気持ち悪くて、怖くて、逃げました。

でも翌日、母親から「お父さんからいいことをしてもらったんだって?よかったね」と抱き寄せられました。

人生初めての記憶がこれです。もう、何を信じていいかわからなくなりました。

自分の感覚は全否定されるし、父親の犯罪行為は、母親が肯定しているし。

しかも、私がその後初めて嘘をついた日、母親から「嘘つきに育てた覚えはありません」と怒鳴りながら顔を打たれ、お仕置きにされたクローゼットの中に、猥褻媒体が山積みにされていて、私はそれを初めてみたにもかかわらず「父親のものだ」と察した記憶があります。

私の嘘は体罰に値するほど悪いと言い、父親の嘘を喜んだ母親の言動は、私の人間不信をより深刻なものにしました。

もう、自分の感覚も、父親の感覚も、母親の感覚も、世間の感覚も、全て理解不能な環境で、両親から虐待を受け続けながら成人しました。

世の中の矛盾を理解するために、浮気をしてみてみたものの、彼氏を傷つけ、自分も苦しみました。

どんなに寛容な彼氏でも、私みたいな危険な人物から、自分を守ろうとするのが自然であり、当たり前だと思う。

彼がこの世の中で唯一、初めて心を許せる人だから依存してしまうのだと思うけど、それがダメなことだって頭ではわかっている。

この世の中で唯一、自分の味方なのは、彼氏ではなくて、自分だということも。

私自身が私を一番の味方になれれば、寂しさや、不安は無くなるのかな。

この寂しさや不安は、自分の味方に慣れていない証拠なのかな。

自分の味方って、どういうことだっけ。

私が自分の味方になれたこと。

父親から逃げたとき。

実家から逃げたとき。

両親の罪を問いただしたとき。

最悪な住環境の賃貸から出たとき。

嫌なことを嫌と示したとき。

これらは私の代わりに誰かができたことではない。

私はいつだって自分の味方だったけど、周りの価値観に流されて、おかしなことになっていただけなんだ。

私に必要なのは、他人の価値観ではなく、自分の感覚を察知して、それに沿って生きること。

今の私は、相当疲れている。生きることに。死んだら楽になれるのかな。

明日、久しぶりにゲシュタルトセラピーが受けられることは、唯一の希望。

サムネ写真:Image by Tumisu from Pixabay

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