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トラウマ治療の進歩は、セルフケアで測れる

真っ新な紙をグシャグシャに丸めたものに
「ゴメンね、もうしない」と言って、
平に伸ばそうとしても元通りにはならないのと同じで、
トラウマは一生かけても、回復が約束されるような生やさしい話ではない。

私は治療と絶望を繰り返す中で、完全な回復は諦めています。

でも治療(否定しない人に気持ちを聴いてもらうだけでいい、
薬やアドバイスは不要)は早いに越したことはないし、
遅れても挑み続けることが重要だと確信を持って、
どうにか生き続けています。
(私は事情があって安楽死を今はまだ実現できずにいますが、
自殺という勇気ある行動を否定している訳でも推奨している訳でもありません。)

良かれと思ってしたことが全て裏目に出る、
物事が好転したと思ったら再び絶望。
深いトラウマを抱えていると日常茶飯事。

この治療と絶望を繰り返す過程の苦しみのことを私は、
「好転反応」と無理やり自分に言い聞かせてきたけど、
実際、心の傷がどこまで癒えたか、どうやって解るのだろう?

その答えを分かりやすく回答してくれた
性被害当事者の言葉が響いた。

一言でいうと、セルフケア。

自分自身の身体的、精神的、感情的な健康と幸福を
維持・向上させるための活動や習慣のこと。

要するに、日常的なことができるかどうか。

英語の動画で語られていたので、和訳する。

「セルフケアがどれだけうまく行っているかで分かります。

なぜなら、トラウマを経験した人々は非常に頻繁にセルフケアに苦労することが多いからです。

車のタンクに十分なガソリンを入れること、
冷蔵庫に食べ物を用意すること、
睡眠の確保など重要なことをするために頼まれごとを断ること、

癒されるにつれて、自分が必要としているモノやコト、
それらが満たされる価値があるということに気づくことができるようになります。」

精神疾患の専門家らをインタビューする英語のYouTubeチャンネル「MedCircle」より

セルフケアは、フェイスパックやマッサージなどという特別なケアには限らず、
地味だけど些細なことも含むということに改めて気づいた。

確かに、こういう「冷蔵庫に食べ物を用意する」「睡眠をとる」「断る」など、
今よりできていなかった時期がある。

いまだに「断る」ことは特に苦手。

でも、苦手意識があるという自覚があるだけでも
以前よりは進歩していることになる。

私は、人生のほとんど体の洗浄をしてこなかったし、
鬱でベッドから連日起きられなくて、
漂白していた洗濯物をカビらせてしまったこともあった。

洗濯機は回すものの、洗濯物を干すまでには至らず、
彼が代わりに干してくれていたことを数年後に知らされるも覚えていない。

ガスの消し忘れは、10年前から治っていないことを指摘されるも、
記憶があまりない。

だから、シャワーを1週間に一度浴びれただけでも、
セルフケアが以前よりもできたことになる。

健常者にとっては普通であろうことが、
少しでもできる頻度が増えていることに気づけたら、

心の回復が進歩しているという証拠。

それに気づけば、果てしない治療を続けるモチベーションにつながる気がする。

私が今、仕事ができない精神状態になっているけど、
思い返せば、10歳の時からアルバイトを始め、

数年前まで年中無休で朝から晩まで働き詰めだった過去の自分と比較すれば、
そういう生き方を拒絶できている時点で進歩しているように思えてくる。

回復の進歩は、健常者が普通にできている些細なことが
少しづつできるようになること。


原文
'You can tell by how well you take care of yourself. Because people who are traumatized very often really struggle with self-care. Having enough gas in their tank, having food in their fridge, saying ”no” to some things because they need their sleep or have something important to do. As people heal they become more in touch with their needs and that they deserve to have their needs met."

Trauma Survivors Bravely Confess Past Sexual Abuse
https://www.youtube.com/watch?v=-ieJOBvb-FY

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