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音楽理論が楽しい話

音楽理論はとても人工的なものだ。どんな理論でも人間が作ったものなので当たり前の話なのだけど、音楽理論はその扱う対象も人間が恣意的に作ったものだという点で物理学の理論などとは大きく異なる。

物理の場合はまず現実の世界が存在して、そこで起きていることを上手く説明できるものが良い理論とされる。理論は更新されていくが現実は変えられない。音楽理論の場合、まず説明されている音楽そのものが人間の作り出したもの、しかもほとんど偶然の結果のようなものだ。実際にある音楽やあり得る音楽の総体からすると、ある理論、西洋音楽理論とかジャズ理論とか、が扱えるのはそのほんの一部でしかない。しかもその対象は常に移り変わっていくもので、理論の「正しさ」を厳密に議論する方法は存在しない。

音楽の理論は創造の道具でもある。というかその側面の方が強いだろう。音をどんな組み合わせで並べると音楽的に聞こえるか。突き詰めれば経験則と主観でしかないものを度数や音階といった概念や譜面のような表記方法を使ってシステム化する。このシステムを学ぶと似たタイプの既存の音楽を理解しやすくなり、また自分でも作り出せるようになる。無限にある組み合わせの中から音楽的に面白いものを見つけるための補助線のようなものだ。創造の為の道具なので新しい音楽を作るためには新しい理論を作っても良い。実際に音楽の歴史、特に近代以降の西洋音楽の発展は音楽理論の更新、拡張の歴史でもある。

ポップス、ジャズの世界で用いられるコード(CとかAmといった和声表記)を用いた理論は20世紀の大発明と言っても良い。元々クラシックで行われていた和声の機能を分析する手法を記号化して、その記号が音楽を駆動するようにしてしまった。コード進行があってその流れの上に音を載せるというある意味乱暴な単純化、十分な解釈の幅や自由度を残しながらみんなで一斉に音を出しても崩壊しないようなシステムは音楽の大量生産や即興演奏を加速した。

なんの話かというと、最近音楽理論の本を読んでいて楽しいということだ。音楽は感性でやるもので耳で聞いて自分の出したい音を出せばOKみたいな考え方も別に否定しないが、理論は理論で様々な工夫に満ちていてとても面白い。無味乾燥なものではなく、人が音楽を理解して新しい音楽を生み出すために考える、そのプロセスの結晶だ。絶対の理論なんかは存在しないし、どの本を読んでも少しずつ違うことが書いてあったりする。で、自分なりに解釈したり試したりする。そういう遊び。今まで読んだ中で一番ヤバくてわからなかったのはこの本。


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