僕が思う法律試験勉強総論①論点や規範は必要ない?

おはこんばんにちわ笑、てん。です。
今回は紹介を抜けば初めての記事ということで、僕が思う法律試験勉強のコツのようなものを書いていこうかなと思います。本当は具体的な問題、各論をやろうかなとも思ったんですが、これからの各論の読み方というかベース理解の部分を共有しといたほうがいいかなということで総論と題うって初めての勉強記事を出すことにしました。
下の方に刑訴法の話があるのですが、自信作なのでぜひそこまで読んでくれればと思います。

いきなりですが、問題です。↓

Q1. Aは強制執行を免れるためBに対して甲土地を売ったように仮装し、所有権移転登記手続をした。Bはその後、右事情を知らないCに甲土地を売った。AはCに対し、甲土地の返還を請求できるか。

これは法律の勉強を始めたてで習っただろう虚偽表示と第三者(民94条2項)の問題ですよね。すぐに94条2項が適用されてAはCに返還を請求できない!と分かったかと思います。
では次の問題。↓

Q2. Aは自己所有の甲土地の管理を息子であるBに委ね、そのために必要な書類等もBが管理していた(処分権限はなし)。Bはこのような状況を利用して甲土地の所有権移転登記を自己名義にし、その後しばらくして甲土地をCに売却した。AはCに対し、甲土地の返還を請求できるか。なお、AはBが登記名義をBに変えたことをしっていながら、特に何らの措置もせずこれを放置していたとする。

これもみなさんぱっとみて、94条2項の類推適用だ!と思ったと思います。Cの善意・悪意によって場合わけだな、と。

たしかに、Q1は94条2項の問題だし、Q2はその類推適用の問題です。ただ、法律問題(試験)で重要なのは、その解き方よりも、なぜその問題になるのか、その問題が生じたのかです。
Q1はたしかに簡単な問題ですし、ぱっと答えが思いつくでしょう。それでみんなパパっと処理してしまうのです。しかし、この問題を解くためには本来

①Aの請求根拠は何か
→所有権に基づく返還請求
②なぜAはそのような請求ができると考えたのか
→AB間の売買が虚偽表示であり、94条1項により無効となるから、甲土地の所有権がいまだAにある(売買によりBに移転していない)から
③ではなぜ問題になるのか
→Cが94条2項の「善意の第三者」に当たり、Cに対してはAB売買の無効を対抗できないから
という論理の展開が必要となります。そして、このような展開を丁寧に追っていくことこそが、法律問題のコツだと僕は考えています。このことは、Q2を見ればもっとわかると思います。Q2は丁寧に追えば

①Aの請求根拠は→所有権
②Bに売ったのではないのか→Bが勝手にやったことであり無権代理(双方代理でもあります)だから売買の効力は生じていない=Aに所有権がある
③ならBC売買は無効でありAの請求は通るのではないか→でもC保護しないと可哀そうかも
④法律上の根拠はあるか→94条2項の適用が考えられる
⑤(直接)適用できるか→できない
⑥なぜか→AB間の売買がAがかかわっていない点で通謀がなく仮装譲渡ではないから
⑦ではどうすればいいか→類推適用できるかもしれない
⑧なぜか→94条2項の趣旨は……とすれば本件のように……よって類推適用できる=Cが善意なら……

という論理展開をしなければならないことになります。しかしながらおおくの人が⑥あたりから思考を開始します。①~⑤を飛ばしてしまうのです。
法律学ではいわゆる論点という言葉がよくつかわれますが、これは見解の一致しない可能性のある問題点と言い換えることができると思います。しかし論点は、そこに至る以前の共通認識を出発して、問題処理をするなかでぶつかる壁です。まず、ぶつかる理由を説明しないと、あなたの答案を見た人は急にどうした、問題解いてよ~となってしまいます。
Q2でいえば、特に④⑤を飛ばして考える人が多いです。これはおそらく、予備校等で論点を解くことに重点が置かれているからでしょう。しかし類推適用の問題は、直接適用ができないからこそ生じるものですし、直接適用ができないというのも、なんらかの理由(本件では通謀にかける)があるからです。そしてそもそも、なぜ94条2項を適用しようとするかも明らかにしなければなりません。

というように、Q2の論点⑦⑧=問題となりうる点は、一定の共通認識①~⑥を前提に初めて生じるものですし、①~⑥との関連においてのみその意味が生じるものです。
法律学で重要なのは、論点の解き方ではなく、共通認識を明らかにし、その作業の中で論点が出てくれば、ちょいと処理するという手順です。そうすることではじめて論点を解くことに意味が出てくるのです。そして実は論点を処理する作業は、それ以前の段階においてすでに大部分が終わっています。

このことがよく分かるように、刑訴の問題を使ってさらなる解説をしたいと思います。*刑訴まだやってないよって人も分かるように書いたつもりなので&結構自信作なのでぜひ目を通してみてください。

Q3. 前科を証拠として用いてよいか。

これを見た多くの勉強が進んでいる人は、前科事実がそれ自体顕著な特徴を持ち……な場合はうんぬんかんぬん、と思ったと思います。
しかしこのような論点を論じるためにはまず、一定の共通認識を答案用紙上で共有しなければなりません。

まず、そもそも前科は、その弊害等をさておき一般に証拠になりうるのでしょうか。これについても「前科も事実であるから、一定の証拠価値を有することは否定できない=証拠たりうる(自然的証拠能力が認められる)」という共通認識を介さずして当然の前提とすることはできません(さらに細かく言えば、証拠足りうるのは事実である→前科は事実である→よって前科は証拠足りうる、といういわゆる三段論法がここには存在します)。

前科が証拠になることを確認したら、次に、ではなぜ前科を証拠とすることが許されないかもしれないと考えられるのか。これは、皆さんがよく知っているように、「前科を証拠として利用すれば、実証的根拠に乏しい人格評価(推論)がなされることになり、そのため被告人も前科に立ち入った防御を強いられるなど不要に争点が拡大し、裁判官に偏見を抱かせる恐れもあるから」です。なるほど~と思うかもしれません。しかし右「」内も、当然に共通認識にすることはできません。
つまり、上にいう「実証的根拠に乏しい人格評価」とは、具体的に言えば「被告人に被疑事実と同種の前科があることから、被告人にはそのような犯罪を行う傾向があると評価すること、さらにそこから被疑事実の犯人が被告人であると推認すること」です。このような推認過程こそが実証的根拠に乏しいのであって、別に前科を証拠とすれば常にこのような推認が生じるわけではありません。例えば常習犯の常習性を証明するために前科を用いる場合や、類似犯罪を過去に行っていることから今回も故意があったことを証明するために前科を用いる場合には、このような推認は生じません。
そこで「前科の証拠としての使用が実証的根拠に乏しい人格評価を生じる」というためには、①前科を犯人性の認定のために用いること②この場合には前科→犯罪傾向→犯人性という推認が行われることを前提としなければならないのです。

さらに「裁判官に偏見を抱かせる恐れ」を証拠否定の理由にできるかも問題となります。裁判官がこのような偏見を抱かないことが現行法上の前提となっているのではないかとも思えるからです(新しい論点が出てきました)。
たしかに裁判官は偏見を抱くことなく、証拠から経験則を通じて認定される事実だけをもって裁判を行うべきであり、法もこのことを前提にしているようにも思えます。
しかし256条6項を始めとして、刑訴法は一定の事実群が裁判官に予断を生じさせるおそれがあることを認めています。裁判官も人ですから、理想論としては偏見など抱いてはいけないとしても、そのような事態が生じないとも限りません(ゆえに「偏見を抱かせるおそれ」と表現するのです)。また現在では裁判員裁判制度の登場から、職業裁判官以外も判決に関与します。そこでそのようなおそれを生じかねない前科を一般論として証拠から排除すべきとの立論が許される=前提にできることになるのです。

ここまできてようやく、前科は犯人性の認定には使ってはいけないのではないかという論点がでてくるのです。やっと憶えた規範が使えるよ、と思った方もいるかもしれません。しかし論点が登場するときには実は、もうほとんど答えが出ているのです。ここまでの論理を大まかに整理すると

前科は証拠として採用する一定の価値を有している
でも、犯人性の認定に使うには、①不当な推認過程を経なければならず、それゆえ②防御・争点の拡大③偏見のおそれがあるから危険
→使わないほうがいいんじゃないか

となります。つまり一定の価値、しかし弊害(価値vs弊害)という図式が出来上がっており、弊害の根拠としての推認の不当性(推認が不当でなければそもそも偏見ではないし、防御の拡大も不当とは言えませんから)も前提にできるのです。
とすればあとは、価値が弊害を超える場合を考え、それを言葉にすれば次のような規範の完成です。↓
「右のような推認力の弱さが問題なのであるから、前科事実が極めて顕著な特徴を有しており、かつそれが被疑事実と相当程度類似していることから、それ自体によって犯人の同一性を合理的に推認させるため、右弊害が生じるおそれがないといえるときには、例外的にこのような立証も許されると解する。」
*なお、刑訴法の特徴(適正な手続きの強い要求)から、価値の高さ(例えば証拠としての唯一性等)は、比較衡量上あまり優先できないと思います。ゆえに、弊害のなさを強調するという戦略で規範を立てます。

このように、論点というのは、前提となる共通認識を積み立てる作業の中ではじめて出てくるべきものであり、先人たちもおなじようにそのかべにぶつかったからこそ、その論点が論点として私たちに認識されているのです。そして論点がそのような性質であるが故に、論点を解くために必要な要素や論理は、共通認識の組み立ての中にすでに出ています。規範なんてのはこの要素をうまく言葉にしたものでしかなくて、必要なら自分で作ればいいだけのものなのです。そうして次はその論点の解決を、次の論点を解くための前提として答案上用いることが許されるのです。
実際勉強が進んでいる人は、上記の論理が理論展開としては判例と同じだけど、文言やニュアンスが違うなと思ったかと思います。それは僕が、規範を憶えることに力を注がず、なんとなくのイメージで論理を捉えているからです。そして、それだけでこれだけ法的に説得的な文章が書けるのです。
よく司法試験のアドバイスで、できなくてもいい、多くの人は趣旨・規範すらちゃんと覚えていないから、それが書ければ受かるといった趣旨のものを見ます。が、趣旨・規範を文言的に憶えてそれを吐き出しているだけの人は、たぶんプロの採点官から見ればすぐばれます。そうして、こいつはなんもわかってないな、と低評価を受けるのです。趣旨や問題意識を意味的にさえ理解していれば、あとは現場でなんとかできるし、ただ憶えたよりも積極的な答えにつながるのです。そして、そのような意味的理解は一度得てしまえばなかなか忘れません(実際僕はこれを書くのに法文以外の資料はみてません)。


ここまで読んでくれた人には論点の答えよりその前提、論点が論点である理由が大事で、それこそが本質的というのがよくわかってもらえたのではないでしょうか。うえのQ2の⑧についても、上では特に書かなかったので、このような視点から分析してみれば、こうすれば理解が深まるというのを実感していただけるかと思います。

今回は初回ということもあり細か~くしましたが、これを答案として書く時には、どこまで書くのが必要か等を考え、必要に応じて削りながら表現していくことになります。しかしこの作業も、上記のような論理展開を把握していれば、問題との関係でどこまで必要か、どの程度必要かがわかるのでそれほどむずかしいものではありません。

新しい論点を勉強するときにはぜひ一度、このような方法を試してみてください。きっと「あ、理解できた」という瞬間があるはずです。

では、どうすればこういった考え方ができるのでしょうか。やるべきことはわかったけど、どうすればこうできるの?という疑問が浮かんだ方も多いことかと思います。そこで、次の記事で具体的にどうすればいいのか、について書いていこうと思います。
ここまで見てくれてありがとうございます。それでは一旦、さようなら。


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