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『いろはに千鳥』名物ディレクター 岩津正洋 ロングインタビュー【無料記事】

TV Bros.が追い続けるバラエティ番組いろはに千鳥(テレ玉)。本誌取材のたびに千鳥の口から「番組を好きすぎて気持ち悪い」と、その名が飛び出す、名物ディレクター岩津正洋氏が、この夏をもって番組を卒業するという。『いろはに千鳥』のことは沢山知っていても、我々は岩津さんの事をあまり知らない――今回、番組卒業&DVD第10弾発売記念に、岩津氏にロングインタビューを敢行した。

取材・文/やきそばかおる 編集/土館弘英 撮影/津田宏樹

いわつ・まさひろ●1975年8月22日生まれ。鹿児島県出身。(株)よしもとブロードエンタテインメント東京に所属する映像ディレクター。人気番組『いろはに千鳥』を立ち上げ、約6年間番組のディレクターを担当。『いろはに』きっかけで、’19年に匡洋→正洋に改名した。

ファンクラブ2

――先日は『いろはに千鳥ファンクラブ オンライン』お疲れ様でした! 無観客での公演でしたが、とても楽しかったです。

 ありがとうございます。2月からの開催延期ということで今回、当初の予定通り広い会場で行いましたが、実はテレ玉のスタジオからこじんまり放送する案もあったんです。でも、それだと普通のテレビ番組を観ているのと同じになるのが嫌で、年に一度のお祭りだし、お客さんはいなくても客席は絶対あったほうがいいと思いこの形になりました。本来は音楽フェスみたいに開演前に僕が選んだ曲を1時間くらい流して、お客さんには待っている間も飲んだり食べたりしながら楽しんでもらおうと思ったんですが、今回は色々あって諦めました。それだけが心残りです(笑)。

――本日は『いろはに千鳥』内で行った「TV史上最長!千鳥のロングインタビュー」(#211~#214)の如く、岩津さんにじっくりとお話をお訊きします。岩津さんの写真はモチロン、放送と同じくモノクロで(笑)。

白黒インタ00000000

 本当にいいんですか? 僕に「インタビューしたい」って言ってきたり、『いろはに千鳥』の8本撮りの密着取材をしたいって言ってくるのはTV Bros.だけです。ブロスは変態ですよ(笑)。

――褒め言葉としてありがたく受け取ります。ところで、コロナ禍で以前のようなロケができない中、どう折り合いをつけてお仕事されていますか?

 実は何がなんでもロケをやりたいというわけではなく、やっているのがロケ番組であって、普通にスタジオ収録もやりたいんです(笑)。ただ、ロケ番組なのにスタジオ収録となると、普段はやるからにはめちゃくちゃ面白いことをやらないといけない。ハードルが高いんですね。その点、今のコロナ禍の状況下では「仕方ない」という理由がつくといいますか。この状況を逆に楽しんで過ごしてます。おかげで直近では「実は今仕上がってた芸人特集」「いろはに千鳥応援企画!ソラシド本坊&武将様登場」のような企画を行うことができましたし。

――すごい前向きですね。

 リモート収録が一般的になったことで、企画の自由度も高くなりました。以前は画質が悪かったり、動画が止まってしまうと大騒ぎでしたが、そこに目をつぶってもらえるというか。おかげで今、山形で活躍してるソラシド本坊さんにも自然な形で登場いただけましたし。

――「実は今仕上がってた芸人特集」でも抜擢してますが、最近『いろはに千鳥』は5GAPに大注目してますね。

 コロナ禍で吉本が無観客ライブをすると聞いて「どうなるんだろう?」と気になって偶然に観たのが5GAPでした。もともと知ってはいたけど、改めて観て腹を抱えて笑ったんです。それですぐに声をかけて「実は今仕上がってた芸人特集」に出てもらいました。有名無名に関わらず、実力のあるベテラン芸人は面白いんですよ(笑)。今年は最年長で「キング・オブ・コント」準決勝まで残って。またこれからの活躍に期待したいですよね。

最新DVDに収録。人生史上一番のテロップ

――9月23日には『いろはに千鳥』の第10弾となるDVDが発売されます。岩津さんが特に印象に残っている回は?

いろはに千鳥ジャケットくやま3巻立体『いろはに千鳥』DVD第10弾 
『く
3巻同時リリース!

 全部好きです(笑)。移動販売(#127)はこの時ハマってたし、スパイス王国の回(#142)とか、AD中村が番組を振り返る回(#145)も好きですし、佃煮の店の回(#143)も最高で。あとは番組内の千鳥の衣装を提供いただいてるバーニーヴァーノの方々(#131)には今も本当によくしていただいています。販促用のオリジナルのボールペンもめちゃくちゃ書きやすくて品質が凄い。「走る千鳥~シーズン7開幕~」(#141)もお気に入りで、この回で表示したテロップはめちゃくちゃ自信があります。

――最新DVD『ま』に収録されてる、スポーツメーカーを訪れた千鳥が脚力アップのトレーニングをするためにトレーニングウェアに着替えた回ですね。

 二人ともタンクトップで登場するんですけど、なで肩のノブさんの登場姿が面白くて「特にノブ!!」というテロップをあてたんです。色々と省いてこの一言したんですけど、これを思いついた時は雷に打たれたような気持ちでした。このテロップを出したことを誇りに思っているし、僕のディレクター人生で一番のテロップですね(笑)。

特にノブ00000000

――シンプル・イズ・ベストですね! 10月11日にはDVDの発売を記念して「武将様とのオンライン1on1トーク会」も行われます。

 コロナ禍でDVDの発売を記念した公開イベントができない中で、ミサイルマン岩部さんと相談して「武将様とのオンライン1on1トーク会」を開催することになりました。武将様と1対1でビデオ通話が出来る特典会で、参加したお客様には武将様のサイン入り「いろはに千鳥プレミアムフォトブックレット」もプレゼントされます。武将様は日頃からファンを大切にしていて、開催するバスツアーも即完するそうです。人気だからバスの台数を増やすこともできるんでしょうけど、「それだと自分が乗っていない方のバスのお客さんが可愛そうだから…」って言ってて。ほんとサービス精神の塊ですよ。番組にもよくしてくれる、武将様は『いろはに千鳥』のヒーローだと思ってます。

岩津正洋『いろはに千鳥』卒業の真相

――そんな中、岩津さんが『いろはに千鳥』を卒業すると聞いてビックリしたんですが、なぜですか?

 サラリーマンの宿命です(笑)。同じ番組を2~3年担当したら後輩に任せるのが通例で、これまで僕が降りることに抵抗し続けていただけなんです。ただ、僕もそろそろ新しいことを模索した方がいいし、千鳥が優秀すぎるから、誰が演出をしてもできてしまうのも確かだし、いつまでも僕がやっていたら自分も周囲も成長しないと思ったんです。

――寂しくはないですか?

 やり尽くしたからそれはないですね。それに、ロケには出ないものの、企画によっては演出をしたり編集をしたりと、今後も何らかの形で関わると思うので(笑)。

――完全に卒業するわけではないんですね? 安心しました。

 僕の跡を継ぐディレクターも『いろはに千鳥』が始まった頃からADをやっていた後輩なので全く心配していません。

――さすがに映像やテロップの雰囲気は変わるかもしれませんね。

 無理にこれまでのやり方を引き継がず、人が変われば内容が変わってもいいと思うんです。おこがましい言い方だけど、僕が『いろはに千鳥』でやってきたやり方は僕にしかできません。それにあくまでもメインは千鳥だから、これからも絶対に面白くなりますよ。

――岩津さんは「ガチンコ卓球バラエティ」シリーズや、タレにまつわる回など、一度ハマると同じテーマで何週もやり続けるところも面白かったんですが、そのあたりも変わるかもしれませんね。

 いや、そこは変わらないと思います。なぜなら今まで通り1ロケで8本ほど撮らないといけないから、面白かったら数回にまたがないとやってられません。あと僕は職人の仕事が好きだから台車とかマネキンとかそういうモノづくりの現場に注目してきたけど、スタッフが変わるとそのあたりの路線は変わるでしょうね。つまり、『いろはに千鳥』は千鳥に僕の“癖”に付き合ってもらっていただけなんです。

鹿児島から福岡へ、カルチャー漬けの学生時代

ここまで読んだアナタは、『いろはに千鳥』に対する岩津氏の思い入れが尋常ではないことが分かってきただろう。果たして彼をここまでにさせたのはどんな要因があったのだろうか? 岩津氏のルーツを探った。岩津氏は1975年生まれ鹿児島出身。子どもの頃から大のテレビっ子で、ドリフの影響を大いに受けたそうだ――

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――典型的な昭和っ子という感じですね。

 鹿児島は田舎だからお笑いの舞台を目の前で観る機会もなかったし、前日の夜に観たテレビ番組を再現しただけで大爆笑されるほど、お笑いに対してチョロかったんです。『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)を観た翌日も、あたかも自分が考えたかのようにみんなの前で披露したらウケてました。部活は小学生の時は陸上部。中学、高校、大学とサッカーをやってました。その頃から友達は多い方だったけど、この仕事を始めてからは忙し過ぎて友達が一気に減りましたね。知り合いの結婚式にもほとんど行けてません…。

――業界の悲しい“あるある”ですね…。

 あと、子どもの頃の楽しみといえば、小学生の頃から映画がめちゃくちゃ好きで、週末は映画が大好きな伯母の家によく泊まりに行ってました。当時は『金曜ロードショー』(日本テレビ系)、『土曜洋画劇場』(フジテレビ系)、『日曜洋画劇場』(テレビ朝日系)が放送されていたから一緒に観たり、当時1本1000円もしていたレンタルビデオを何時間もかけて真剣に選んで借りていました。まだ家にネットがない時代だから、ケースに書かれてある解説文をヒントに何度も読んで厳選して。

――そのほか学生時代にハマったものは?

 昔から音楽は好きで、鹿児島にいた時は『ザ・ベストテン』(TBS系)でかかるような人気曲の情報しかなかったから、もっと無いかと調べて見つけたのがBOØWYで。それと鹿児島県ということで、ある意味、必修みたいな感覚で長渕剛さんも聞いてました。高校卒業して福岡の大学に入ってからは、ちゃんとしたレコ屋もあるし、ライブも見れるしで、好きな音楽の幅が一気に広がりましたね。丁度シブヤ系全盛の頃で、その辺にはどっぷりハマりました。福岡のライブハウスでコーネリアスを観たのも自慢で、12月の公演だったんですけど、ライブが終わって外に出たら小山田さんが屋上から人工の雪を降らせてくれたんです。その嬉しさが忘れられなくて。そういった見に来てくれた人を全力で楽しませようという心意気は、自分も番組作りに活かしたいと常に思っています。

――岩津さんは学生時代からTV Bros.の大ファンだったそうで…

 ブロスは鹿児島には売っていなくて、福岡で初めて手にして以来、ずっと買い続けてます。当時は小山田圭吾、スチャダラパー、電気グルーヴ、忌野清志郎などが連載していることにビックリして。学生時代の僕の部屋には『TV Bros.』と『STUDIO VOICE』が積み上げられてました。どちらも文字がギュッと詰まっているところが好きなんです。中でも清志郎さんと爆笑問題の太田光さんとの投票をめぐる対談(※)を読んだ時は衝撃でした。同誌の他の連載に物申す!という。連載されてる方も、雑誌を一緒に作っているという横の連帯感が強かったんでしょうね。

※太田がコラムに「選挙に行かなくてもいい」と書いていたことに激怒した清志郎が太田との対談を要望。太田は「怒られる」と思いながら、現場に向かったが、清志郎は照れ臭さからかホラ貝を吹きながら登場し、現場は爆笑。その後、二人で選挙や政治について話し合った。

『フロム・エー』から吉本へ

大学卒業後は映画や映像にまつわる業界に入りたいと熱心に就職活動をしていた岩津氏だが、中々就職は決まらず(ちなみに『STUDIO VOICE』も受けたが落ちたそう)――焦る日々を送っていた。

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――大学卒業後に進路が決まらず、結局どうされたんですか?

 当時は新卒で就職しなかったら“人生終わり”みたいな風潮が特に強くて、もう普通の人生を送るのは無理だから好きなことをやろうと思って、京橋の「映画美学校」に通いました。ある日『フロム・エー』というアルバイト情報誌に吉本が映画『岸和田少年愚連隊』を制作するということで人員募集のお知らせが載っていて、大きな会社に入ったら映画を作るチャンスがあるんじゃないか?と思って吉本でバイトをすることにしました。

――そこで現在勤める吉本につながるわけですね。

 余談ですけど、当時、吉本本社は溜池山王にあって、本社の近くを歩いていたら目の前でダフト・パンクの二人が、あのヘルメット姿で写真を撮っているところに遭遇して気持ちがぶち上がったことは覚えています(笑)。

――あははは、今だったらSNSで大拡散されそうな風景です。

 残念ながら『岸和田少年愚連隊』にまつわる仕事には就けなくて、当時、新宿の「スタジオアルタ」で吉本が週末だけ開いていた舞台の裏方をやることになりました。稽古の場所をおさえたり、台本を配ったり。ただ、僕が映画(映像)の仕事をしたいというのは周囲に伝わっていて、当時、日テレの深夜に1カ月完結のドラマ枠があって、それを担当することになりました。吉本に所属している歌手Fayrayが主役のドラマを作ることになって、2カ月オール台湾ロケ。二人の監督に助監督が一人。右も左も分からないのにADは僕一人という。予算がないから、撮影、音声などのそれぞれのセクションのチーフだけが日本人で、他のスタッフは全て台湾の人でした。

――想像するだけで大変そうな環境です…。

 大変でしたけど、良い経験でしたね。まず、台湾のスタッフが時間通りに来ない(笑)。通訳はいたけど、そもそも僕は日本の業界用語も台湾の業界用語も分からない。監督が言っていることすら上手く伝わらないから、めちゃくちゃ怒られるんです。さすがに台湾のスタッフが僕を可哀想だと思ったようで「今日から俺たちに任せろ! お前の事は俺たちが守るから」って言ってきて、それ以来は遅刻せずに支えてくれるようになったんです。しかも、みんなが「俺の家に来い!」って言ってくれて毎晩、色々な家を泊まり渡りました。当時、台湾の映像業界はバブルでみんな豪華な家に住んでいました。モデルを呼んでDJパーティーとかもやっていて、あまりにも楽しかったからクランクアップの時は号泣して。空港で別れる時も「帰りたくない!」って言って台湾のスタッフと抱き合いましたから(笑)。そんな強烈な出来事を経て、バラエティ番組に関わるようになりました。

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番組作りの師・藤井隆との出会い

――初めて携わったバラエティ番組はなんですか?

 テレビ朝日系で放送していた藤井隆さんの番組『BEST HIT TV』です。僕が20代中盤の頃で、初めはADとして入って、後継番組の『Matthew's Best Hit TV』からディレクターになりました。「自分はできます!」っていう感じでめちゃくちゃアピールした結果、3年ほどでディレクターに昇格しました。

――すごいスピード出世ですね!

 王道の企画をやらない番組で、深夜に放送していた時代は特にマニアックなことをやっていましたね。「パンステーション」といって、『Mステ』のような階段のミニチュアセットを作ってパンを並べて、食べ比べをしたり。手作り感のある演出や、細かい部分で攻めるのが好きで、それは『いろはに千鳥』にも活かされていると思います。今でも王道の企画・演出に対しては少しアレルギーがあるんですよ。出自がサブカルなので(笑)。

――仕事をご一緒して、藤井隆さんはどんな印象でしたか?

 僕みたいなAD(当時)にも、きちんと演者の気持ちであったり、番組の雰囲気作りなど、細かいところまで直接、教えていただいて――私にとってのバラエティ番組作りの師匠のような存在です。藤井さんご自身もゲストへの気の使い方など仕事ぶりが細やかで、番組が終了するまでのおよそ6年間、たくさん勉強させてもらいました。

――番組は形を変えて『oh♪dolly25』『悲宝館』『業界技術狩人 ギョーテック』(全てテレビ朝日系)に続きましたね。

 『oh♪dolly25』は、めちゃくちゃぶっ飛んでいたから、今こそ観て欲しいんですよ。歌手が出演してショーのように歌うんですけど、藤井さんはいつもバックダンサーとして後ろの方で踊るんです。曲ごとに違う振り付けをやっていたからダンスのリハーサルが大変で、ずっと練習をやってました。今考えると先取りしすぎた番組ですね(笑)。『~ギョーテック』はプロの細かい仕事に注目する番組でこれも『いろはに千鳥』でやってることにも近いです。藤井さんがMCで、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、麒麟、森三中、ハリセンボンもよく出ていて、今考えるとめちゃくちゃ豪華! そのほか『あらびき団』(TBS系)、『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』(テレビ朝日系)、パンサー、ジャングルポケット、チョコレートプラネット、スパイクらが出演していたコント番組『パワー☆プリン』(TBS系)などにも関わってました。

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ド肝を抜かれた千鳥との出会い

――すっかりバラエティ番組に染まっていったわけですね。ちなみに千鳥に初めてお会いした頃の印象はいかがでしたか?

 2013年にBS日テレで『BS吉テレ イベンジャーズ よしもとイベント事業部』が始まることになって千鳥がMCをすることになりました。自分で企画を発案して、番組枠を担当するのは多分これが初で。当時、東京進出したての頃で、お二人のことは正直詳しくはなくて、M-1で知っていた程度だったんですけど、初めて仕事をした時からド肝を抜かれました。二人ともボケができて、こちらが「OK」と言うまで爆笑をとり続ける。何なら歩いてるだけで面白い、ハッキリ言って衝撃でした。

――犬の心・押見さん(現:押見トランス)のホクロを取った番組として、『いろはに千鳥』ファンでは有名ですが、『イベンジャーズ』は芸人が行っている変わったイベントを紹介してましたよね。

 麒麟の田村さんと天津の木村さんと、とろサーモンの村田さんによる「ムラムラムラ」のトークライブに潜入したり、ムーディー勝山と若井おさむの鉄道にまつわる営業に潜入した際は、居酒屋で吉本の担当者が「今回のギャラはこのくらいです」って教えているシーンまで放送したりして(笑)。これらVTRを観た時の千鳥の目のつけどころがまた鋭くて。今の『相席食堂』(ABC)にもつながるというか、こちらが意図してないところや気付かないところに目をつけるから、VTRを2倍にも3倍にも面白くしてくれました。色んな事情で、番組は終了してしまいましたが、この番組は『いろはに千鳥』に引けを取らないほどの最高傑作だと思っています。

――その後、2014年に『いろはに千鳥』がスタートするわけですが、そのキッカケは?

 テレ玉で企画の募集があったのと、吉本内で東京進出した千鳥を売り出そうという動きもあって、自分でイチから企画書を書いて通った形です。

――『いろはに千鳥』の初回放送では、その番組名を「めちゃくちゃダサい!」と千鳥が嘆いていましたが、事前にお話したりはしたんですか?
 
 『イベンジャーズ』を放送していた頃に打ち合わせで、「テレ玉でこういう番組が始まりますよ」と話をしたら二人とも「はい。分かりました」という感じで。特に多くは語らず、そのまま収録が始まった形です。

――じゃあアレは本番で飛び出した本音だったんでしょうね。でも事前に多くは語らず、全ては本番でというのは聞いていてカッコいいです。

 大悟さんは芸人気質で「芸人ならできて当たり前」という考え方の持ち主で。ほんと“男前”で、全てを受け入れてくれます。こっちの意図を読み取る嗅覚も凄くて、すぐにビジュアルを描いてくれるから無駄な説明は一切不要で。去年、Audibleという音声サービスで、大悟さんが喫煙家にタバコの思い出を聞き出す大悟の煙草百景というコンテンツを作ったんですけど、その企画の話をした時、企画書に書かれてある『煙草百景』という文字を見て大悟さんは「そういうこと、ですね」と笑ってくれたんです。

――事前に多くは語らず本番でとなると、上手くいかなかったみたいなのはありませんでしたか?

 そこが千鳥の凄いところで、全く無いですね。進行するノブさんも、事前の打ち合わせは全くなく、本番のカンペ見た瞬間に全てを理解して、必ずいい方にもっていってくれる。番組ではお二人よりも、登場してくれる一般の方に説明する時間がどうしても長くなってしまって。2時間待ちになっても文句を言わず――いや、本番では言ってきますけど(笑)。こうした番組作りに付き合ってくれて本当に感謝してます。そこに自分がちょっと甘えちゃってる部分もあるのかと思いますが、ギスギスしたり、本番で上手くいかなかったことはこれまで一度も無いです。

――『いろはに千鳥』は放送がシーズンで分かれています。最近は気になりませんが、初期の頃はシーズンを跨がず、番組終了っていう可能性もあったんですか?

 そうですね。放送されている通りで、初期の頃は終了の可能性があった上で、復活・延長しています。こうして続いてるのは、視聴者や色々無茶を受け入れてくれるテレ玉さんのお陰です。

――今や全国25局で放送される人気ローカル番組になりました。『いろはに千鳥』の番組の認知度が上がっていくのは、どういったところで感じましたか?

 番組のリサーチの段階で、お店や施設などに連絡をした時の反応ですね。どんな番組でも始まった頃は仕込みがめちゃくちゃ大変なんです。お店に電話しても「『いろはに千鳥』って何ですか?」と言われて断られることが多かったけど、シーズン3くらいから「ぜひ来てください」というお手紙まで頂くようになって、番組もやりやすくなりましたね。あとは千鳥が、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)をはじめ、色々な番組で『いろはに千鳥』を弄ってくれたのは本当に大きかったです。

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岩津正洋にとって『いろはに千鳥』とは?

――TV Bros.では、’16年に15時間に及ぶロケ密着取材をさせていただきました(#97「TV Bros. を逆取材!」でもその模様を放送)。ド早朝から大変ではありましたが、楽しい記憶しかありません。改めて、ロケの間に心掛けていることがあれば教えて下さい。

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 千鳥のお二人が滞りなく進むよう、何があっても、撮影中も二人の動きを制限しないというのは決めています。ガンマイクが見切れているのをそのまま放送すると「マイクが見切れてる」とTwitterなどでご指摘を受けることがありますが、それは動きを制限していないからで。確かに見切れない方がいいですけど、見切れることと面白さとは全く関係ありませんから。後者を優先している訳です。

――岩津演出の一つの特長でもある、テロップに関しては、こだわりはありますか?

 テロップを闇雲に入れればいいという考え方は好きではありません。演者さんに向かって「おい!」みたいなツッコミを入れる番組がありますけど、テロップでツッコんだり、演者の笑いを奪うようなものは嫌いで。影響を受けているのは『ウンナンの気分は上々』(TBS系)のテロップで、状況をただサラリと説明するだけ。でもそれが最高に面白いみたいな。そういうものを目指してます。一時期、なんでもかんでもテロップみたいな時期がありましたが、そのカウンターみたいな気持ちで作ってるところもありますね。

――同じく岩津さんが担当した『千鳥のロコスタ!』(GYAO)では、MOROHAのアフロさんやスチャダラパーのANIさんがナレーションを担当されたり、カルチャー遍歴を知るに、音楽への並々ならぬ愛を感じます。

 テレビ番組と音楽は切っても切れない関係だと思っていて、良い番組は良い音効さんが携わってます。僕の場合は音楽が好きすぎて自分で色々やってますが、例えばテレ朝で明石家さんまさんの師匠、笑福亭松之助さんのドキュメンタリーを撮った際は、志人さんの「LIFE」(※)という曲を絶対使いたくて。全く面識の無い志人さんに「曲を使わせてください!」って依頼のメールを送って、ご了承をいただいたり。

※ヒップホップ・ユニット、降神(origami)のMC、志人の1stソロアルバム『Heaven's 恋文 ~ヘブンズ・レンブン~』(‘05年)に収録。

 みんなが知ってる曲とか、他の番組でよく使われている曲は、イメージが共有しやすいとは思いますが、僕は安易には使いたくないんです。バラエティ番組でバトルのシーンになると、未だに『仁義なき戦い』を使うとか。きっと別の正解が今の音楽であるはずで。『ベイビー・ドライバー』(’17年公開)という映画では、僕の大好きなジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの「ベルボトムズ」って曲が使われていて、とてもショックでした。僕が大学生時代にたくさん聴いたバンドで、絶対にバラエティ番組で使いやすいのに、僕が知っている限りまだ一度も使われてなくて。映画で使用されているのを知った時は「先を越された!」と思いましたね。

――めちゃくちゃ熱いですね。固定概念を超えるという意味では『いろはに千鳥』も、これで30分も無理だろという内容を、見事に形にしていて。例えば、公園だけでロケを行った回(#32「そうだ、公園へ行こう!」)は衝撃でした。普通の公園で千鳥とADが滑り台で遊ぶだけで1本という。

 もともと、千鳥の二人に長い滑り台を滑ってほしいと思ってて、これも“癖”ですよね(笑)。だからといって、いきなり滑ったら面白くない。滑る前に公園を歩く段階からロケを始めたら、結果的に公園だけで30分いきました。本来はその後うどんを食べに行く店も用意はしてたんですが、滑り台が楽しくなり過ぎちゃって。僕がどんなに理想を描いて計算したところで、千鳥は何十倍も面白いので勝てません!

――最後にあえてお聞きします。岩津さんにとって『いろはに千鳥』とは?

 千鳥の二人には知られたくないけど、これまでの『いろはに千鳥』は“岩津の癖”そのものです。自分の“癖”を千鳥の二人にぶつけて「これが格好いいと思ってるの?」とか言われてバカにされるのがこれまでの『いろはに千鳥』でした。本物の芸人を前にしたら、借り物の考えや、嘘は見透かされちゃいますから。もう“岩津”で向かっていくしかなかったんです。

――ますます卒業が惜しいと思ってしまいますが、最後に千鳥のお二人にメッセージを。

(しばらく考えながら)ありがたいことに『いろはに千鳥』以外でも千鳥と仕事をさせていただくことも増えましたが、ずっと一緒に仕事をしたいし、今の千鳥の動きを1ミリも見逃したくないんです。千鳥の他のレギュラー番組を見てても『いろはに千鳥』の時よりもいい顔してるなーっていうのを見ると、いちいち嫉妬しちゃいますからね(笑)。これからも宜しくお願いします。

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