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【5月号 天久聖一 連載】アベノマスクをノベライズする『ノベライズジャパン』

アベノマスクをノベライズする


あれほど馬鹿にしていたマスクに、いまは恋焦がれている。

後手後手に回ったウィルス対策の末、安倍首相が国民全世帯へのマスク配布を発表したとき、世間は「はあ?」と呆れ返り、一斉に不満を爆発させた。

完全に時期を逸していた。

たしかに当時はマスク不足で、買い占めや高額な転売が深刻な社会問題となっていた。
が、多くの企業が量産に乗り出し、市民の間でも手作りマスクが流行るなど、マスク問題に関しては、とりあえずの見通しが立ち始めていた。

それよりも、自粛要請に対する補償はどうなるのか、PCR検査の体制はいつ整うのか、世間の関心はさらなる不安とともに、次なる局面へと移っていた。

そこに来て、まさかの布マスクである。

なに今頃のんきなこと言ってんだよ!
布なんてウィルスには効かねえんだよ、しかも一世帯二枚て!

国民は、政府の思惑とは真逆の連帯を強めた。
件のマスクは「アベノマスク」と揶揄され、怒りを通り越した失笑を買った。

しかし、そうなると俄然そのマスクが欲しくなった。
政府がやらかした、愚かな策の証として。

その日から、今日か明日かと待ち構えているのだが、アベノマスクはいまも我が家には届いていない。

最初のうちは余裕があった。

本当はそこまで欲しくないマスクを、さも心待ちにしているかのように郵便受けを覗き、「なんだ、まだかよ」と毒づいてみたり、「マスクに合った着回しコーデ、考えないとな」と言いつつ、妻と笑い合ったりした。

そのうちチラホラと、SNSでは届いたマスクの画像が上がり始めた。
と同時に、アベノマスクの悪評はさらに高まった。

マスクの中に虫や毛髪が混じっている、カビが生えていたなど、不衛生な報告が相次いだのだ。
おそらくは急遽決定した国家規模の発注ゆえ、検品もままならない粗悪品が出回ったのだろう。

マスク欲はさらに強まった。

むしろ不良品が欲しかった。
虫や毛髪では物足りない。カレーがべっとりついたもの、ゴムひもが異常に長いもの、マスクの裏にフジツボが群生したもの……。
一刻も早くそれらを手に入れ、全力の皮肉を込めたツイートと共にアップしたかった。
STAY HOMEのストレスが高まるほど、そのはけ口は迷走する政府へと向かっていた。

ところが一向に、マスクは届かなかった。

次第に焦りも感じ始めた。このままではネタの賞味期限が切れてしまう……。
じりじりと焦燥感に駆られる私を尻目に、総理は新たなネタをドロップした。

星野源氏とのコラボ動画である。
STAY HOMEを支援するため、星野氏が公開した「うちで踊ろう」という動画に、安倍総理が家でくつろぐ自身の動画を並べてアップしたのだった。

もともと「うちで踊ろう」はコラボを推奨した企画で、一国の首相と言えど、その主旨に賛同することは決して悪いことではない。
しかし、踊りも演奏もせず、ただ漫然と愛犬を撫でたり、テレビにリモコンを向ける姿は、国民感情と著しくかけ離れていた。

動画は「アベノコラボ」と呼ばれふたたび失笑を買い、権力からの一方的コラボという新しいハラスメント(コラハラ)を生み出した。

まったく……こっちはまだマスクも手つかずだというのに、次々と新鮮な笑いを繰り出しやがって!

すでに余裕はなかった。
毎日マンションの集合ポストを祈るような気持ちで開き、そのたびに深い落胆に襲われた。

お目当てのファッションアイテムはついぞ見当たらず、ガスや電気の料金表、保険会社の封筒が、申し訳なさそうに入っているだけだった。

ただ水道会社のマグネットには、心が動いた。

普段なら「ああ、またか」と、なんとなく自宅に持ち帰り、いつの間にか紛失する水道工事のマグネットが、なぜか特別尊く思えた。

不要不急の外出が禁じられたいま、果たしてマグネット広告のポスティングが必要か否か、配った人にも、それを指示した人にも、想像以上の葛藤があったに違いない。

しかし、水のトラブルはいつなんどき、誰に起こるか分からない。もしそのとき頼れる人がいなかったら……。
ひとり暮らしの老人、上京して間もない女子大生、全国民のライフラインを守るため、水道工事のマグネット広告は必要不可欠……!
おそらくはそんな決断のもと、使命感に燃えたポスティングだったに違いない。

私はマグネットをためつすがめつ眺め、そこにいるはずの松村邦洋がいないことに気づいた。
水道工事のマグネットと言えば、私の中ではずっと松村邦洋と柴田理恵のコンビが定番だったのだが……。

柴田理恵はいた。そして松下由樹、上田悠介という見慣れない若手俳優の三人が明るい笑顔を向けていた。

すぐさまネットで調べた結果、親会社のホームページに掲載されているのは上記の三人のみで、松村氏の姿はない。
単なる契約切れか、あるいは水のトラブル以上のトラブルがあったのか。

松村邦洋氏の身をここまで案じたのは、2009年彼がマラソン中に倒れ、心肺停止状態になって以来だった。

マスクが届かないのなら、いっそこのマグネットをマスクにしてやろうか……そんな気持ちが、一瞬よぎった。


アベノマスクへの想いは、当初の意地悪な好奇心から、切実な欲求に代わり、いまでは純粋な憧れへと変わっている。

以前はアベノマスクの画像を見つけるたびに押していた「いいね」も、嫉妬が邪魔して押せなくなった。
すれ違う人のマスクを盗み見ては「いまのはひょっとして?」と訝しんでみたり、「本当は来てるんだろ!」と妻に詰め寄ってみたりした。

自分だけが流行に取り残されたような気分になり、国民として失格の烙印を押されたのでは、と怖ろしくなった。

ひょっとして嫌われたのだろうか。いくらなんでも一国の首相を、馬鹿にし過ぎたのではないだろうか……。

できることなら直接会って謝りたい。誰もいない密室で、マスクなしの至近距離で……。

STAY HOME生活五十日目──。

今日も私は、まるで恋文を待つ乙女のような気持ちで、郵便受けを開いている。
安倍総理の体毛入りパンティが、狂おしいほど、欲しい。






<プロフィール>
あまひさ・まさかず●ブルボンのオリジナルアソートにハマってます! ルマンドやエリーゼなど、ブルボンの代表菓子が七種類。ひとつひとつに話しかけながら食べて、ハーレム気分を味わってます。


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