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鬱と本

(手書きで書く時、鬱って書けない、)
人それぞれの鬱についての記述を読んだ。それならば私のも存在するのだと筆を執った。

私の場合:私も生きている限り、大なり小なりの鬱に出会い続けている。毎年、夏の暑さが緩み始めると、鬱の香りがやってくる。大小はあるものの少々の波がやってくる。

 大きなものは困りもので、大好きな本が読めなくなる。文と文の間の行間の余白の白さがまぶしくて、思わず本を閉じてしまう。脳がパンが詰まっただけのようになり、話をしてくれない。自分の声がどこかに行ってしまったようだ。また、ご飯が食べれなくなって、コーヒーだけを摂取するだけの生活になる。

 そんな鬱がかぶさってきた私は何もしなくていい。常に何かをして成長しなければという私は置いておいて、何もしなくていい。不安も置いておこう、生きて息をしているだけでいい。何時間も眠ってしまっても、何もできなくて寝転んでいても。

 それを認められる私がやって来れることに期待している。また私に鬱が来た時に私がこれを読むことも期待している。

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