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ショートショート:シャボンの姉

    千草が飛んだ。
 屋根まで飛んだ。
 屋根まで飛んで、壊れて消えた。
 
 十一年前の夏、私と姉の千草に生まれて初めての夏休みが訪れた。私達は双子だった。
 夏休みのほとんどを、私たちはある場所で過ごしていた。それは私達以外は誰も知らない二人だけの秘密基地だった。

 秘密基地は家から少し離れた雑木林の中にあった。そびえ立つ木々の間を抜け、夏の青々とした雑草をかき分ける。それから小川を一つ越えると、まるで雑木林の中に出来た十円禿みたいな空間に辿り着く。そこには木はおろか、雑草すら生えていない。あるのはまっさらな土と、ぽつんと佇む小屋だけだった。

 私達がその小屋を見つけたのは、夏休みが始まって数日後のことだった。ふと、千草が「遠くまで冒険しよう」と言ったのがきっかけだった。小屋を見つけた時、千草は獲物を見つけた肉食獣のような瞳で小屋の中に入って行った。そして、大声を上げた。何かと思って私も小屋の中に入ると、目を疑うような光景が広がっていた。小屋の中には、沢山の銃が眠っていた。

 「ねえ、凄いよ。花」と千草は目を輝かせていた。私は初めて目にした凶器に一瞬戸惑ったものの、気付けばその非日常的な光景に心を奪われていた。それから、私たちは小屋を秘密基地と名づけ、入り浸るようになった。毎日毎日銃に囲まれた小屋の中でお弁当を食べ、銃を持って雑木林を冒険した。そんな刺激的な日々が、いつまでも続く気がした。
 しかし、そんな日々はぷつりと消えた。

 いつも通りに秘密基地で遊び、家に帰ろうとした時、千草はふと思い出したように言った。
 「お弁当箱置いてきちゃった。ちょっと待ってて」
 そう言って、千草は秘密基地に駆けて行った。そんな千草の後ろ姿を、私はぼんやりと見ていた。


 その時は、唐突に訪れた。


 大きな爆発音。熱風。そして、宙を舞う千草の姿。
 秘密基地の屋根まで飛んだ千草は、そのまま無慈悲にも地面に叩きつけられた。血まみれで、もう息はなかった。
 
 後々聞いた話だが、あそこは戦時中に軍事施設として機能していたようだった。その名残として小屋には銃が置いてあり、地雷が埋められていた。そのせいで、千草が死んだ。
 
 
 「明日から夏休みになるが、あまり遊び過ぎるなよ。受験や就職に向けて、各自準備を進めるように」
 教壇に立ち、担任の先生は言った。禿げていて、面白みのない先生だった。夏休み前最後のホームルームが終わると、その禿げた先生に呼ばれた。職員室で、禿げた先生は言った。
 「花、お前だけだぞ。まだ進路希望出していないのは。どうする気なんだ」
 呆れたような、馬鹿にするような表情だった。
 「これから考えます」
 「これからって、もう夏休みだぞ。もう受験勉強を進めているやつもいるし、希望する職場に履歴書を出してるやつもいる。それなのに」
 「わかってますよ」
 表情を変えぬまま言うと、禿げた先生は小さくため息を吐いた。
 「本当に、頼むぞ」
 私は軽く頷き、職員室を出た。
 
 学校を出た私は、暑苦しい外の空気を吸い込み、大きくため息を吐いた。そしてゆっくりと歩き始めた。しばらく歩くと十字路に差し掛かった。私はそこを右に曲がった。そして秘密基地に向かった。
 
 雑木林を突き進むと、十円禿げみたいな空間に辿り着いた。そこには今もなお、一部が焼け落ちた秘密基地が立っていた。私は焦げたドアを開けて中に入った。以前は沢山あった銃達も今は全て回収されてもぬけの殻になっていた。私は重たい身体をどさっと床に降ろし、焦げた壁にもたれかかった。そして、大きくため息を吐いた。

 「ねえ、また何かあったの?」
 隣から、私によく似た声がした。「千草」と私は声の方を向いた。
 「この様子じゃあ、私が成仏できるのはいつになることやら」と千草は困ったように微笑んだ。「で、今日はどうしたの?」
 「んー、なんか担任の先生が進路を早く決めろだって。別に夢も何もないのに、どうして先生は無理やりにも先に進ませようとするんだろうね」
 私は両腕を前に出してぐっと伸びをしながら言った。
 「そりゃ、先生だって自分の生徒はプー太郎になって欲しくないんだよ。そういう花だって、このまま何もしないで生きてく訳にはいかないでしょ?」
 千草は私の横顔を見つめた。私はそんな千草に目を合わさず、ぼんやりと正面の焼け焦げたドアを見つめていた。
 「うーん。でも、特にやりたいこともないんだよね」と私は千草に顔を向けた。
 「そっか」と千草は言った。
 
 それから、私は夏休みの多くを秘密基地で過ごした。私が秘密基地に来ると、千草はいつも何かをしていた。ある日は小枝を擦り火を起こしていたり、ある日は小川に足をつけていた。今日はドラム缶を秘密基地の前に運んでいた。何でそんなことをしているのかと訊いても、千草はいつも「何となく」と答えた。けれど、その答えの理由を私は知っていた。きっと千草は暇なのだ。呪縛霊のようにこの地に留まってしまった千草は、遊びに行くことも、何処かに逃げることも出来ない。ただ、ここに居ることしか出来ない。
 私はたまに考える。それがどれだけ苦しいことか。本当なら、早く成仏するように伝えるべきかもしれない。でも、成仏して欲しくない。私はまだ、千草と一緒にいたい。

 「ねえ、今日はこっちに行ってみない?」
 千草は太陽の光を閉ざし黒々としたオーラを放つ雑木林を指差した。
 「いいね」
 雑草をかき分け、枝を折る。時々、足元の虫を踏んでしまう。そうして、私達は今日も冒険をする。

 「わ、こんな所に泉があったんだ。知らなかった」
 黒々とした雑木林の奥には、金の斧が落ちていそうな美しい泉があった。泉の縁にしゃがみ込んだ千草は、そのまま泉の水を一口飲んだ。

 「千草、ろ過もされてない水飲んだら死んじゃうよ」
 「大丈夫だよ。だって私、もう死んでるし」
 千草は私を見て笑った。
 「なんか、千草が死んじゃったって感じがしないや」
 千草の隣に座り、空を見上げた。美しい青空だった。
 「でも、私は死んでるんだよ。だから、花もこんな死人を相手にしないで、やりたいことやって、好きに生きたらいいよ」
 へらへらとした私とは対照的に、千草の声は妙に真剣だった。
 「でも私だけ好きに生きるのも悪いし、千草といれればそれでいいよ」
 私は軽い口調で言った。それに対して、千草は何も言わなかった。少しの時が流れ、千草は口を開いた。

 「ねえ、私達の名前の由来って知ってる?」
 知らない、と私は言った。千草はぼんやりと泉を見ながら、話し始めた。
 「昔お母さんに聞いたことがあるの。私達が生まれた時、ふとお母さんの頭に草原の光景が浮かんだんだって。そこには千の草があって、辺り一面に素敵な花が咲いている、そんな光景。それで私達は千草と花になった。単純だけど、素敵な由来だよね」
 「そうなんだ」それは私が初めて知ったことだった。

 「でもね、その時私は思ったんだ。千の草なんて、結局雑草じゃないって。どんなに美しい草原でも主役は花で、私はその辺の草でしかないんだって。ねえ、私が何を言いたいか分かる?」
 私は首を振った。千草は真剣な瞳で私を見つめた。
 「私が言いたいのは、花は名前の通り人生の主役になって欲しいってこと。だからこんな所にいないで、もっと外に出た方がいいよ」
 「主役なんてなれないよ」
 私は眉間に皺を寄せた。
 「なれるよ。そのためにはまず進路を決めて」
 「千草も先生みたいなことを言うんだね」
 まさか千草にそんなことを言われると思っていなかった私は、露骨に嫌な表情を見せた。
 「そういうことは先生だけで十分なの。もう気分悪いから帰る」
 私は千草の顔を見ないまま、ぷんと臍を曲げて歩き出した。「花」と背後から聞こえた声に、私は反応しなかった。その声は何だか、悲しそうに聞こえた。
 
 
 数日後、私は秘密基地に向かった。千草に謝ろうと思った。謝って、また冒険に行こうと思った。しかし、物事はそう上手く行かなかった。私が秘密基地に着くと、千草は銃を待っていた。
 「あれ?銃はもう撤去されたんじゃ」
 おどおどとした声で私が言うと、千草は「くすねてたの」と言った。
 「ねえ、花」
 「何?」
 「今日でお別れにしようか」
 その声が耳に届くまで、酷く時間がかかった。それに理解するまでその倍かかった。

 「え、どうして?」困惑した私を、千草が見つめた。
 「だって、私が居たら花は前に進めないでしょ?だから私は成仏する」
 そう話す千草の声は優しかった。私は何度も、首を振った。
 「嫌だよ。私はもっと千草といたい。別にほら、将来の夢も何もないし、だからさ、ずっとずっと一緒にいようよ」
 気づけば、私は泣いていた。泣いて、千草の腕を掴んでいた。
 「それが問題なの。ここに居たら、花は名前の通り素敵な花になれなくなっちゃう。私はね、それが一番嫌。だって、大切な姉妹には素敵な人生を歩んで欲しいから」
 「でも」
 千草は優しく微笑みかけて言った。
 「ねえ、花。秘密基地で遊ぶの楽しかった?」
 千草の唐突な質問に、私はただ頷いた。
 「私もね、秘密基地で花と遊ぶのが大好きだった。正直に言えば、ずっとここで遊んでいたかった。でも、私は死んじゃった。私ね、花の事が心配だったの。一人ぼっちにしちゃって大丈夫かなって。だから呪縛霊としてここに残った。でも、最近思うんだ。結局、私は花をここに縛り付けてるだけだって」

 話し終えた千草は私に銃を渡した。
 「花、秘密基地の前にドラム缶があるでしょ?そこを目掛けて撃つの。中にガソリンが入ってるから、撃てば爆発して秘密基地は燃える。秘密基地を壊して、私達の門出にしよう」

 「嫌だよ!」

 私は千草の両肩を掴んだ。そして、震える声で言った。
 「千草は、私と一緒にいたくないの?」
私の声は震えていた。涙越しに見えた千草の唇も震えていた。
 「いたいよ。でも、いれない。だって、私はもう死んじゃってるから。私ね、いつも思うの。どうして死んじゃったんだろうって。本当はもっと生きていたかった。花と大きくなりたかった。でも、私にはもう出来ない。だからねえ、お願い。花はしっかり生きて。私の見ることの出来なかった世界を沢山見て。素敵な人と出会って。花の子どもを優しく撫でてあげて。優しいお婆ちゃんになって。私の生きれなかった未来を精一杯生きて」
 千草はぼろぼろと涙を溢した。酷く辛そうな表情だった。その姿を見て、私の中で「千草の死」という何処か空想的な事柄が現実という衣を纏っていった。そっか、私は千草の死を受け入れないといけないんだ。
 「分かったよ」

 私はゆっくりとドラム缶に向けて銃を構える。

 「これで本当に、お別れなんだね」
 「そうだね」
 あと一㎝、千草の足がずれていれば、私達は一緒に高校に通っていたかもしれない。男の子の話をして、どの大学に行くか話していたかもしれない。ずっと、ずっと、二人で笑っていたかもしれない。でも。

 「千草、一緒にいてくれてありがとう」
 「こちらこそ」

私は銃を持つ手に力を入れた。そして思い切り、引き金を引いた。
 ぱん、と渇いた音が響く。ドラム缶に穴が空く。ぼう、と秘密基地が燃える。

 「花。ありがとう」
 千草はポケットから銃を取り出し、空に向けた。
 「二人の門出を祝って」
 そう言い、千草は空に向かって銃を放った。クラッカーのような音と共に、千草の身体は薄くなっていった。

 「ねえ、千草。私は人生の主役になれるかな」
 「大丈夫。私が言うんだから、間違いないよ」
 千草はもう泣いていなかった。私は涙が止まらなかった。
風が吹く。千草の身体が、まるで陽炎のように揺れる。風よ、吹くなと思う。
 「ねえ、花。素敵な花になってね」
 そう告げて、千草は消えた。まるでシャボン玉が壊れるみたいに、ぱんと消えた。かたん、と地面に銃が落ちた。
 
 
夏休みが終わり、二学期を迎えた。
 「私、大学に行こうと思います」
 職員室で、禿げた先生に向かって言った。
 「そうか。大学で何を学びたいんだ?」
 「人生の主役になる方法です」
 「お、おう。そうか。まあ、進路を決めてくれて良かったよ」
 禿げた先生は酷く困惑しているようだった。けれど、私はそれで良かった。
 下校時間になり、私は帰路に就いた。その足取りは軽かった。途中で十字路に差し掛かった。私はそこを左に曲がった。家に帰って、勉強をしようと思った。
 家に着いた私は参考書を開いた。そしてシャーペンを持った。
 
 何処かで、千草が微笑んだような気がした。

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