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《雨水》第6候・草木萌動(そうもくめばえいずる)

「記憶の蔵書点検中」

夢の中でも
仕事中のふとした出来事からも

むかしむかしに、
その時、
抵抗した感情とその場面が
ぷくり、
ぷかり、
意識に浮き上がってくる。

忘れていたと思っていた。

あぁ、そんなこともあったな
あぁ、そんなときもあったな

と、懐かしく思い出すことも、
新たな発見も。

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そして、地球暦ワークシートで1年を振り返る。
私の場合、出来事を通して、心の動きをみている。
冬至すぎたあたりから水面下に動きがあって、それが春分から表面化していて、つながっていっている。
2019年度冬至から2020年度春分~夏至~秋分~冬至~春分へ。
まだ途中だけれど、こうやって円環でみていくと、浮かび上がってくるものがある。

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この辺りで、なんとなく読みたくなったのは
梨木香歩さんの小説『裏庭』。
たぶん5度目の再読。意識せず自身の「傷」に触れるようなときに読みたくなるのかもしれない。

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この小説は、主人公の少女、照美(テルミィ)がもつ「傷」の変容の物語。
その「傷」は母から、またその母から受け継がれているものでもある。

両親に、母親に、自分の思いや感情を表すことなく、日常を送っていた照美。あるとき、古いバーンズ屋敷の”鏡”を通り、祖母が少女の頃の友人だったバーンズ家のレベッカが育んだ「裏庭」に入っていく。
テルミィの内的感情の動きは鏡の向こうの「裏庭」という世界で表出する。テルミィは「裏庭」での旅のなかで、そこで起きていることが自身のもつ「傷」に起因し、「裏庭」が自身の内的世界そのものだと気づいていく...

「もう、ほとんどみんな溶けおうて、自分というものはなくなってしもうた。結局、最後に残ったのは、それぞれの傷の色じゃった。傷の色だけが微妙に違うた(ちごうた)」
               <中略>
「どんな心の傷でも、どんなひどい体験でも、もはやこうなると、それをもっていることは宝になった。なぜなら、それがなければもう自他の区別もつかんようになってしもうたから」
老婆は盲した目をテルミィに向けた。
「傷は育てていかねばならん」

テルミィは、私、何か、傷ってもってたかしら・・・・と漠然と思い返した。そんなに激しい生き方をしてきたわけじゃないけれど、かすり傷のようなものならあるかもしれない。


「アェルミュラのおばばには『傷を恐れるな』、チェルミュラのおばばには『傷に支配されるな』と言われたわ」
「その通りじゃ・・・・。」
「でも、私、まだ、傷ってものがよくわからない」
「あんたはりっぱな傷をもっているじゃないか。」
「え?これは私の傷なの?...」
「自覚のないうちは、自分のものにはできまいぞ」


「傷を、大事に育んでいくことじゃ。そこからしか自分というものは生まれはせんぞ」
「ありがとう、おばば」

梨木香歩 『裏庭』pp.191-204
(理論社ライブラリー 2002年9月 第19刷 *1996年11月初版)

この物語を読み始めると、鼓動が早くなり、心が逸る。
この、ここにあるこの感覚を表す言葉がでない。
でも、この物語を伝えたい。分かり合いたい。


📝いつか、確りと言語化したいときのためにメモ
自分を知るという文脈において、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』は、似た物語構造をもっていると思った。『はてしない物語』は男性性にまつわる傷が描かれ、『裏庭』では特に女性性にまつわる傷が感じられた。
自分でないものになろうとして傷をつくる。
自分であることを受け入れられなくて傷を隠す。
自我が否定し、切り捨てたものが傷。
照美の双子の弟、純が亡くなってからの照美の物語。

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