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春分から《清明》へ

第7候から第15候まで、一気振り返りの後半。
太陽が魚座15度~牡羊座27度の空間を進む間、私のネイタルのキロン、土星、IC、月、ドラゴンヘッドを踏んでいった。

《春分》第11候・桜始開(さくらはじめてひらく)

「自分を案内するもの」

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金星と地球が結んで開いて美しい軌跡を描く巡りの中で
結んだ意図が開いて結果を表す。

去年の、終わりであり始まりである6月4日にどんな意図を受けとったか。

今回の3月26日開きは、ネイタル3ハウスの土星を
太陽と金星が同時に踏んでいった。

去年の結びの頃は
言葉に纏わる様々な体験の総集編のように思えた。

人間関係やパートナーシップで傷つくのは、
わたしがまだ完璧じゃないからではなく、
わたしに直さなきゃいけないところがあるのでもなく、
そこに傷があると気づくこと。
傷を知ること、それは、自分を知ることだった。

誤解や葛藤を織り込み済みで、
この内にある感覚を、
自ら切り開き、分けて(理解して)、
他者に伝えていく言葉を自らつくるほかないのだと思った。


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桜咲く頃、
やさしいうつくしい光をもつ人が、突然、遠くへ旅立った。
「もう一度会いたい。」と
こんなにも切に願ったのは、初めてかもしれない。
悲報に接してから、桜に彼女を重ねていた。

間もなく、
亡くなった彼女からのメッセージがおっとの姉を通してわたしに伝えられた。おっとの姉は見えない存在の言葉を聴くことができる。
伝えられたその言葉の選び方、そして内容は、正に彼女のものだった。

職場の引継ぎができなかったことの謝罪と同僚たちへの心配り。
残していくご家族への想い。

おっとの姉によると、
彼女が嫁いだ家は、女性は早逝される方が多く、家系に纏わる何かがあり、
何とかご家族を助けて欲しい、というメッセージだった。
私自身にそんな力はないが、おっとの姉の力を借りたいということだった。

「でも、違う。」と思った。
この彼女も確かに彼女だと判るけれど、
わたしが感じている彼女とは違う。

亡くなったあとに、わたしがずっと感じている彼女は、
哀しみを包みこんでなおやさしく輝く美しい光そのものだったから。

わたしが感じたこのことを、
おっととおっとの姉に、自分の言葉で声に出して伝えた。

わたしが感じている彼女も
メッセージを伝えてきている彼女も
同じ彼女に間違いはないけれど、
私は、わたしが感じている彼女を信じる。
「わたしが感じる彼女には、助けは必要ない。」
と。

連綿と引き継がれてきたそのループから出て。
あなたの家族や私たちを信じて。
心残さないで、
どうか、、、
自由にしあわせになって欲しい。

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《春分》第12候・雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)

「春の風とともに」

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いつものクスノキ。

柔らかそうな
早緑の小さな葉がたくさん。

緑の葉は固くなって冬を越し、
赤や黄色に色を変えて、
乾いていく。
春風とともにカラカラと軽やかに
舞い上がって、

その一瞬、
おひさまと空と近くなる。

そして、大地に還っていく。


《清明》第13候・玄鳥至(つばめきたる)

「美しい変化」

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春に咲く紅葉の花。
花言葉は「美しい変化」。

変化といえば、
おっとの数秘術基礎講座2回目で、
『5』を、
自分にない新しい価値観を取り入れて変化変容していく、
多様性をもたらすエネルギーだと言っていた。

もみじの葉も手のひらのように、
5つに裂けてて、花びらも5枚

おっとはハート数『5』
わたしのハート数『4』は、
おっとと結婚して『4』プラス『5』になった。

わたしは環境の変化が嫌いだった。
些細な変化を敏感に察知し反応する性質のため、
外界からの刺激(情報)が過多になり、心身共に激しく消耗するから。
穏やかでいられる環境を得るために、全てを選択し、行動していた。
なのに...

プラス『5』のエネルギー=おっとは、
その環境をいとも簡単にぶっ壊した。
ぐりんと私の価値観をひっくり返した。
何が正解で何が間違いなのか、
自分が一体どこにいるのかわからなくなった。
ホワイトアウトしたときの上も下もわからなくなる感覚とそっくりだった。

今も、
人生に何を望むかと問われたら『穏やかな日々』を望む。
それは変わらない。
でも、穏やかな日々を得るための何かはもうしていない。

穏やかでいたいときは、わたしが穏やかでいればいい話だ。

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《清明》第14候・鴻雁北(こうがんきたへかえる)

「奥に光」

やさしいきれいなひとが
とおくにいったころから
こころがずっと波立っていて
ぐわんぐわん揺れながらも
凪にするひとときを日々大切にしていた。

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助けてといっていた彼女を
私にはそうは感じないからと一方的に切り捨てたのではないかと
ずっと考えていた。

それでも、
私はわたしの見ている世界を信じる。
わたしの感覚がそう伝えてくるのだから。

幼いころに星空を見た経験をもたない鳥は、成長してからいくら星空をみせても定位することができない ーーー つまり、自分の内部に、外部の星空と照応し合う星々を持っていない、ということなのだろう。
サケが生まれ故郷の川の水を記憶していて、いつかそこへ帰っていくこととも似ている。
 自分を案内するものが、実は自分の内部にあるもの、と考えると、「外界への旅」だとばかり思っていたことが、実は「内界への旅」の、鏡像だったのかもしれない、とも思える。

ー 『渡りの足跡』p.189 梨木香歩 新潮文庫

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小鳥の足跡。


《清明》第15候・虹始見(にじはじめてあらわる)


楠の下に
いっぱい葉っぱと枝が落ちている。

まだ、
新しい葉っぱとつぼみがついたままの枝も。

自己剪定(self pruning)というそう。

十分に光があたらなくて、
成長できないと判断した枝は、
自ら成長を止めて、
離層を形成して、
枝を落とす。


落ちている枝は、
まだ、
瑞々しさが残っていて、
手折ると、
清洌な楠木の香りがする。

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