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第35回歌壇賞候補作品を読む「海のもの、山のもの」①

松本志李
海のもの、山のものより

前回の斉藤君さんの「ナイトフィッシュ」に続き、全首感想を残しておきたい作品です。
今回も長くなるので3回に分けて載せていきたいと思います。
松本志李さんの作品が読みたくて歌壇二月号を購入しました。(歌壇を買ったのも初めてです。)

北へ北へと行く夏真昼この坂にマゼンダ色の花は咲きおり
北へ北へと行く夏真昼まで一気に読むリズムに勢いがあり主体のワクワクした気持ちを追従できる。マゼンダ色とは明るく鮮やかな赤紫色。こちらの気持ちまで明るくさせる。

われよりも重い車体を押すちからしぼりだすひたすらに日盛り
全首通してだが、仮名と漢字の使い方が上手い。重い車体はバイクのことであり押す主体の非力をひらがなで表し対比させる。その後の歌のつながりも意識しているのだろう。日盛りから主体の汗までも見えそうなほど。

大いなる山ひらきたる一本の道を走れば山に呑まるる
バイクに跨って走る速度まで感じられる。大自然に包まれ山に呑まるるがごとく主体のダイナミックな走りが浮かび、なんとも爽快。

八月の驟雨に逢えりいっせいに鳴る樹の下をわがバイク過ぐ
驟雨は急に降り出す雨。にわか雨。雨音の激しさは樹々に落ちる雨粒の「いっせいに鳴る」で表現される。イヤな雨ではなく「逢えり」という出逢いの喜びも感じられる。八月の暑い季節に心地よい雨に濡れながら走る。走行中のバイクのエンジン音まで聞こえてきそう。

透明なからだが欲しいおにぎりをひとり噛みしめいるひとときは
この首で主体がひとりではなくツーリングに来ていることがわかる。だが主体以外は男性で主体が女性であることでぎこちなくなにか打ち解けられない違和感を示している。噛みしめいるというと強い言葉から主体の想い、内面的な部分があらわれる。

愛想よくやり過ごすときわが胸の洋蘭のすこし枯れゆく
洋蘭(シンジビウム)の花言葉には「飾らない心」「素朴」とある。また洋蘭は育てるのが難しく冬に弱い。主体が愛想よくやり過ごすとき、主体の内面で、飾らない心が寒々しくすこし枯れてゆくように感じる。

ほの白き白樺林を抜けてゆく「女だてらに」などと言われて
白樺は明るい場所を好む。ほの白き白樺林を抜けゆくとき「女だてらに」という主体のコンプレックスを思い浮かべる。バイクは男が乗るものとは誰が決めたのだろうか。そんなモヤモヤとしたやるせなさを感じる。ほの白きからの明るさの反面どこか暗い重い気持ちを抱えた主体の内面をのぞかせる。

にんげんに遭わぬよろこびクワガタの顎のようなる半島をゆく
クワガタの顎がすごく印象的でここの捉え方は面白い。にんげんに遭わぬ喜びはどういうことかと考えたとき、このクワガタの顎のような曲がりくねった半島の道を想像した。バイクで走る醍醐味はこの曲がりくねったカーブを重心を倒しながら走るところにあるのではないか。純粋にツーリングを楽しむ主体を感じた。

ほんとうに行きたい場所をさがしつつはじめて来たる道に迷えり
この歌の通り主体が道に迷ったとも捉えられるが、人生の歩みになぞえるとまた趣の変わる一首に感じられる。何か主体がたどり着きたい信念を模索しているが、どこかこんがらがった自身の思考にはじめて気付くといったところだろうか。

標識の鹿の輪郭うつくしき 千本の樹の眼(まなこ)をよぎる
鹿の標識が立つ道。千本の樹の眼から、鹿に見つめられているかもしれない錯覚を覚える。主体の走らせるバイクから目の端に映る景色が流れる。うつくしき鹿が主体を見つめているかもしれない情景が美しい。

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