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第35回歌壇賞候補作品を読む「ナイトフィッシュ」②

劇薬を受け入れるとき人はみな凪いだ港の桟橋にいる
心臓を動かすために注入される劇薬。三途の川から引き戻される瞬間、この世とあの世の桟橋にいるのだろう。凪いだ港とされる静かな時間と緊迫した状況のアンバランスが絶妙。

目の乾いた金魚のようだ幽明のあわいを赤色灯は泳いで
生と死の境目をゆく救急車の赤色灯を赤い金魚の目が乾いているさまと重ねこの世とあの世の境界線を泳いでいると表現している。

雨風に掘り起こされて国道へはみ出すほどに山茶花揺れる
流れから読むと主体は救急車の車内から山茶花が揺れるさまを見ているのだろうか。それとも比喩として主体の心の動きを山茶花が揺れるさまと雨風に掘り起こされるような感情の揺さぶりを表現しているのか。前後の歌より、ここにある雨風が少年の生死をさまよう光景と捉えることもできる。

分水領だったのだろうあと五分早くドクターが起きてくれれば
運命の境目はほんの5分で変わってしまう。助けられた命だったかもしれない。あと5分早ければ。その思いが皮肉にもドクターが起きてくれれば。と主体の悔しさが感じ取られる。

できるだけの事はしますと教わった通りに言った無理と知りつつ
淡々と教わった通りに家族に説明するさまをどこか部外者のように無感情に言っている。無理と知りつつから主体の本心を噛み殺しやるせない気持ちが伝わる。

喉頭鏡で気管のぞけば人間は果ての果てまで暗い桃色
挿管のため喉頭鏡でのぞく気管を果ての果てまで暗い桃色と表現している。まるでどこまでも続く果てのないトンネルがあの世につながっているかのように。

刻々と処置室は水槽となりドアの下から夜が染み出す
救命処置を行う処置室が四角い水槽となり水ではなく夜が染み出すという表現を用いている。やはり夜は死を意味している。その場にいる主体が客観的に死を表現している。タイトルのナイトフィッシュに繋がる一首であろうか。

現世の時間が溶けてゆくほどにわたしの両手はまた透き通る
わたしの両手が透き通る感覚。それもまたという繰り返しの表現。また救えなかった。また間に合わなかった。また‥

美しい吐息も汗も心願もそのほとんどは気化するけれど
吐息も汗も心願も消えて無くなってしまう。気化するけれどにつづく主体の気持ちが隠されていて手を尽くしても報われない無力感を感じる。

感情を燃やさないこと汚濁した水底に棲む魚であること
主体は自身を汚濁した水底に棲む魚と揶揄している。やり切れなさを救命のたびに感じていても感じないように平坦にやり過ごしているがその感情の水は汚濁している。いつのまにか汚濁した水の中でも生息している魚になってしまった。ならなければならない。

少年の雨が降り止みオーフィリアがまた目の前を流されてゆく
雨になぞらえ少年の命が消えてしまったこと。オーフィリアはハムレットの登場人物で精神を病み川に転落し死亡する。とある。そのオーフィリアと少年、また以前にも亡くなっていった主体が見届けた命と、同じことを繰り返す主体が流されてゆく。

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