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第35回歌壇賞候補作品を読む「海のもの、山のもの」②

えぐられた山の苦しみひたひたとトンネルのうちに水したたらせ
えぐられた山という表現が主体の気持ちと重なる。トンネルを掘るため、えぐられた山の苦しみは主体の苦しみであり、ひたひたと、したたらせというリズムからなんとも言いようがない痛み、水ではあるが血が滴る気持ちにさせられる。

くさはらに寒立馬(かんだちめ)おり軍馬にも農耕馬にもならずあゆめり
寒立馬(かんだちめ)は、青森県下北郡東通村尻屋崎周辺に放牧されている。厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬とある。
ここで軍馬と農耕馬と比べているところから主体はたくましく何ものでもない寒立馬への憧れ、自分もそうありたいという希望をのぞかせる。

馬の尾は左右に揺るるわたくしの弱さ強さの振り子のように
馬の尾の揺れと主体の心の揺れをリンクさせ弱さと強さに揺れ動く気持ちを表現している。とてもストレートに気持ちを表している一首であり読み手であるこちらの感情も揺さぶられる。

馬よりは扱いやすき750cc(ナナハン)で夕空の下ひとりとなれり
ようやくツーリング仲間と分かれてひとりになった主体。ナナハンを馬に例えるのが面白い。まるで馬ではなく、自分自身よりもバイクの方が扱いやすいと言っているようで。

流れ弾でありしかわれは 一灯のヘッドライトに死ぬる虫見ゆ
主体は自身を流れ弾と表現する。意図せず殺してしまった虫を見ているが、主体にとって本当の意味での虫とは何を示しているのか?ここの時点ではまだわからない。先を読み進めたくなる一首。
(流れ弾とは、から発射された後、意図しない標的に当たる弾丸

どろどろに疲れていても夜になれば熱きシャワーを浴びられること
どろどろに疲れているのは身体だけではない。心もだろう。熱きシャワーは冷え切った身体も心も温め癒してくれるだろう。ここで夜になればとある。昼間の出来事を癒やす夜。この一日だけのことではなく、どんな日であろうと夜になればという意味ではないか。

残り火は寝苦しきかな剥き出しのからだでひと日走りきたりて
残り火のように燃え尽きてもまだなおくすぶっている火。主体の心のなかでくすぶる火と一日中走り続けた興奮の火であり「剥き出しのからだ」で生々しさを強調していて面白い。女性や男性といった性の表現であるのかもしれない。

かなしみは地を這いいるかひっそりと窓に張り付くニホンアマガエル
窓に張り付いたカエルを見てわざとニホンアマガエルと強調しているように感じた。それは日本ならではのかなしみ。もし日本とは別の国ならばこんなに悩むべきことではないということか?ひっそりと、這いいる、日本ならではの悩みというべきか?たとえばジェンダー平等に寛容であるか?ないかなど。

あけがたの風吹く夏の東北に〈卑弥呼〉の青きサンダルで立つ
この一首とても好きな歌である。卑弥呼のサンダルがとてもいい。主体の颯爽とした気持ちよさが〈卑弥呼〉に全て凝縮される。なんとも気持ちの良い歌。さらに夏の東北、あけがたの風吹く、色々悩んだもの全て吹き飛ばしてくれる温度が感じられる。可憐で繊細でありながら芯の強さをあわせ持つ日本女性のために作られた卑弥呼のサンダル。そして邪馬台国の卑弥呼女帝。主体の前向きな気持ちを見事に表現している。

灯台の、ちちはは宛ての絵はがきに差出人を書き忘れたり
灯台の、ちちはは宛ての。とここにこの一首を挟むことにより卑弥呼‥失礼、主体のルーツというべき両親、全てを見守る灯台と合わせ自身を見守ってくれている人を想定させる。主体が差出人を書き忘れたとしても、両親は主体であることをわかっているだろう。そんな安心できる存在=灯台の、で指し示している。

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