Dr.Izzyを解剖したい
目の覚めるようなターコイズグリーンに、部位ごとに色分けされた牛のジャケットイラストが特徴的なそのアルバムは、UNISON SQUARE GARDENの「Dr.Izzy」。
実に6枚目の、私が彼らのアルバムの中で最も愛している一作である。
今回はこのアルバムを私なりにドクターよろしく「解剖」していきたいと思う。
ただし1曲について長たらしく書いてしまうといけないので、今回はワンフレーズレコメンドのような形で12曲の美味しいところだけを切り取りながら、12曲をひと繋ぎに(都合よく)解釈していこう。
それでは、手術を開始します。
ジャケットイラストについて
手始めにジャケットイラストの話からさせていただこうと思う。
Dr.Izzyのジャケットは、それまでのジャケットとは違って珍しくイラスト調なのだ。
今まで数々の動物たちをジャケットにしてきた彼らだが、ポップで写実的でないイラストがジャケットになっているのはDr.Izzy以前であれば3枚目の「Populus Populus」の白鳥のみであると記憶している(もしかしたら違うかもしれない)。そして、Dr.Izzy以後のアルバムである「MODE MOOD MODE」も「Patrick Vegee」も写実的なキリンと鉛筆デッサンのようなウサギのジャケットである。
それがアルバムにどのような効果をもたらしているかと言えば、「興味を向けるため」が第一であろう。それまでとは打って変わったビビッドな色使い、真っ黒のポップなフォントで書かれたアルバム名。仮に彼らを知らずとも目に入ってしまえば思わず手に取ってしまいたくなるようなジャケットだ。また、ビビッドでありながらも原色がほとんど使われていないカラーリングはどこか毒々しくて体に悪そうだと分かっていながらも手が伸びてしまう、海外のお菓子を見た時のような高揚感と興味をそそられる。
曲目
それではDr.Izzyを解剖していくための準備として、曲目__いわばこの手術における“行程”を確認していきたいと思う。
タイトルだけでも普通でないことが分かるようなものばかりだ。この並びだと彼らの代名詞とも言える「シュガーソングとビターステップ」ですら異様な雰囲気を醸し出すスパイスとなっているように見える。
長らくお待たせしてしまったが、ようやく本題に入らせていただこう。
1-エアリアルエイリアン
癖の強い1曲から始まるこのアルバム。
不安を煽られて妙な浮遊感さえ覚えるまばらな電子音と、畳み掛けるように歪みまくったストラトキャスターの音に思わず後退りしたくなってしまうようなイントロでDr.Izzyの“手術”は始まる。
“知的生命”とは、タイトルにもある通りまさしくエイリアンなのであろうが、「Dr」と銘打っているアルバムの1曲目がエイリアン襲来から始まるのはいささか違和感を覚える。
ひょっとすると、「Dr.Izzy」こそがエイリアンなのではないだろうか?そういえば、このCDには「ユニゾンを解剖する」というキャッチコピーが綴られていた。UNISON SQUARE GARDEN を解剖するのはリスナーである我々ではなくDrであるのかもしれない。
その名の通り宇宙空間にでも投げ出されたかのようなサウンドで構成されているこの曲は2分35秒と彼らの曲の中では非常に短く、独特の疾走感と浮遊感も相まって気付いた頃には曲を聞き終えているだろう。
そして、今しがた自分の身に何が起こったかを確かめるためにもう一度聴く。しかしこの曲を何回聴けどもその真意を理解することが出来るのはわずか一握りであるはずだ。
なぜなら彼らは“エイリアン”なのだから。
2-アトラクションがはじまる(they call it “No.6”)
エイリアンに宇宙空間へ連れ出された後はとっておきのお楽しみがなくてはつまらない。揺らぎながらも疾走感溢れるギターの音色が耳に残っているのもそこそこに、溌溂とした「Hello,“No.6”!」という呼び声が現実へと引き戻すだろう。それがアトラクションの始まる合図。
2曲目では、Dr.Izzyがアトラクションへと姿を変える。
1曲目とはテイストの違う爽やかなバッキングとこちらを出迎えるかのようなコーラスの親和性は言うまでもない。コーラスで出迎える姿勢を取った2曲目は、私達を惹きつけて離さないとでも言うかのようにアルペジオのイントロを繰り広げる。その中にもわずかに残るギターの歪みはDr.Izzyらしさを表しているように聴こえるだろう。
正直、この曲でどこか一文を抜き出すのは野暮だと思うため実際に通して聴いていただきたい。(今ならYouTubeにMVもあるしね)
“アトラクション”の美味しいところだけ、だなんて許してはくれないから。
3-シュガーソングとビターステップ
言わずと知れた、と形容するのはあまり好ましくはないがそれほどの人気を博しているこの楽曲からはこのフレーズ。
まさしくこのアルバムに相応しい一節。
ここまでの2曲で私達はずいぶんとDr.Izzyに驚かされているのに、どうやら彼らはそれだけではとどまってくれないようだ。
この曲の歌詞では度々「パーティー」という言葉が出てくる。さながらDr.Izzyがパーティーの主催者へと姿を変えた、と言ったところだろうか。
特徴的なドラムフレーズとギターのアルペジオのイントロを聴いてしまえば、私達は誘われるようにパーティー会場へと進むことしかできなくなる。メロディアスなベースラインと彼らにしては珍しく単調なドラムとバッキングギターで構成されたAメロ、キーを落としつつも決めが多く厚みを持ったBメロ、そして駆け抜けるように音数が増えていき、パーティーの最高潮であるサビへと向かう。
それはだんだんと盛り上がっていくパーティーそっくりの構成だ。
この曲でDr.Izzyに改めて招待された私達に残されている選択肢は、“しつこいほどの甘い歌を唄って苦味を交えたステップで踊ること”だけ。
4-マイノリティ・リポート(darling,I love you)
Drは確かにパーティーを主催した。
私達を楽しませるために。
しかしどうやら私達の態度がお気に召さなかったようだ。殺気立たせてしまったDrを宥めるためにはこう言うしかない。
“I love you,darling”、“I miss you,darling”と。
大部分が同じフレーズの繰り返しで構成されているこの曲は、AメロBメロでは極端に音数が少ないもののサビで一気に増えるという緩急の激しいものとなっている。心なしか怒りを孕んだような、寂しさを滲ませたような、そんな歌声は私達にDrの異質さを叩きこんで教えているように聴こえた。
「事件は順調永劫進行中だとして、問題はあるかい?」
そんな風に問われてしまえばこちらだっていい返事をせざるを得ない。
「事件という名のパーティーはつつがなく進行していて、とても楽しませてもらっている」という意味を込めて、“darling,I love you”と。
5-オトノバ中間試験
さて、Drの機嫌を取れたかと一安心しようとしてもそうは問屋が卸さないのがこのアルバム。
依然として機嫌を損ねているDrが次に繰り出したのは“試験”だった。アルバムのおよそ半分に位置している曲だからか、ただの試験ではなく中間試験と題されている。
2曲目を彷彿とさせるような爽やかさとこのアルバムならではの歪みを兼ね備えたイントロのバッキングが試験開始の合図となる。軽快に鳴るタンバリンの音も、学生らしさを彷彿とさせるアクセントのように聴こえる。
試験はすぐに終わり、丸付けをさっと済ませてからDrはこう言った。
Drは私達の根底にある願いをそのままで良しとした。Drなりの励ましなのか、それとも私達が願いに食らいついて行くのを見ていたいだけなのか。
真意は分からないけれど、“二度と笑えなくなる前に補習の準備をする”のが大切だということを教えてくれたのは確かだ。
6-マジョリティ・リポート(darling,I love you)
Drが私達に様々なことを教えてくれるフェーズはまだ終わらない。
今度はさながら音楽の先生のように姿を変えて、私達に詞や音楽を披露する。
特徴的なベースラインに重なる大袈裟なくらいビブラートのかかったギターの単音から始まり、重厚感たっぷりのバッキングギターと力強いドラムで繰り広げられるイントロはこれまでとは違ったテイストではあるものの、どことなく1曲目と似たような不安感を煽られる。
しかしそんなバックサウンドとは裏腹に歌詞だけ見ればとても詩的で、多少ひねくれてはいるけれどしっかりと前を見据えている。そしてDrは彼らの音楽を楽しむうえで大切なことを教えてくれる。
どんな音楽でも、飽きが来ないというのは非常に価値があることだと、そういうものを大切にして楽しんでいこうと、そう背中を押してくれた。
…でも流石にこのアーティスト名、……ユニゾン、スq、……あ~…読めない………
7-BUSTER DICE MISERY
さて、本当にDrの機嫌が取れたところでこのアルバムも折り返しとなる。
鋭くてこちらを貫くような勢いのあるバッキングギターに乗せて刻まれるタンバリンとドラムに続くように負けじと繰り広げられる躍動感たっぷりのベースで、まさしく賽は投げられた。
リズミカルに紡がれた歌詞は意味を理解するのが困難でありながらも、要所要所でDr.Izzy特有の仄暗さを醸し出している。
…どうやら未だにDrの機嫌は直っていないようだ。
アルバム名よろしく手術台に乗せられた私達には、「どこを晒してどこを隠すか」を決める権利が与えられる。もちろん私達としてはどこも晒したくはないのだけれど、そんな私達を手にかけようとしているDrも骨が折れるらしい。
しまいには「あぶくたったシチューの隠し味」にされそうになってしまうのだから恐ろしい話だ。
見かねたDrは私達にこう言う。
「身に余るものの罪」
すっかりDrの調子に乗せられてしまっている私達は、それにつられるように“なんてあんまりな罰!”とでも叫んでおこうか。
8―パンデミックサドンデス
このアルバム本人であるDrが機嫌を損ねてしまったため、世界はたちまち流行り病の渦へ飲み込まれていく。
7曲目に引き続き、暴力的でともすれば刺されてしまいそうな攻撃性を兼ね備えたバッキングギターと、それに呼応するように激しさを増すドラムとベースには思わず背を見せて逃げてしまいたくなる。
やけに強気で罵るような言葉が多い歌詞でまくし立てる様は、私達に口答えさせる機会すらも奪おうとしているかのようだ。そして、しきりに飛び交う「異常」という言葉はこちらを攻撃するように見えたDrが葛藤している姿そのものだった。
しかしDrはそれすらも自分であると、自分の異常性を認めた。異常である自分こそが「Dr.Izzy」だと豪語したのだ。見方を変えれば、先程までの機嫌の悪さを上手いこと言って誤魔化そうとしているようにも見えるけれど、そんなことを言うのは野暮に決まっている。
「さっきまでは“流行病”にでも罹っていたのか」と皮肉を言うくらいは許してほしいものだけど。
9―8月、昼中の流れ星と飛行機雲
ようやく機嫌の直ったDrが紡ぎ出す歌は、夏の夕暮れに吹く風のようで優しく心地よかった。
8月の昼間に流れ星を見た、と話すDrに耳を傾けながら、白昼に流星を見た2月のことを思い出す。
これまでとはまるで違う、柔らかいあたたかさで包まれるようなギターの音色とそれを邪魔しないように控えめながらも存在感を示すベースとドラムは、曲名にぴったりな澄みきった夏の青空のようだ。曲調に沿うように優しく甘酸っぱい歌詞も淡さを引き立たせている。
「黙っている」ことを「傷つけている」と形容するDrからは、先程とは違った底抜けの優しさが感じられ、それまでの行動を許さざるを得ないような気さえしてくる。(DVじゃんね)
それなら私達もそれに応えなければならない。
“8月の流星は確かに綺麗だった”と。
10―フライデイノベルス
アルバムも終盤に差し掛かり、Drはだんだんとブレーキを踏んでいく。
9曲目に引き続き優しく甘酸っぱい歌が唄われる。
ギターのアルペジオとボーカルのみで始まり、そこから一気に疾走感のあるイントロへと姿を変える。9曲目ほど大人しくなく、かと言って7、8曲目のような騒がしさでもなく、ロックというよりもポップに寄っているように感じられる。なんとなくの印象としては学園っぽさがあり4曲目と近しいのではないだろうか。
想像を膨らませるのが楽しいこの曲からは、私が彼らの曲の中でも特に気に入っているこのフレーズ。
「美辞麗句」という言葉がある。
「立派らしく聞こえる文句。美しく見える字句。」という意味で、あまり聞こえの良いものではない。それを「よそで吐くもの」とし、本人の前では取り繕わない、飾らない、心からの言葉を伝えようとしているこのフレーズがDrの新たな一面を知ったようで何とも甘酸っぱくて誠実でとても愛おしい。
そんなことを言われてしまったら、こちらだって“冷静さを保つこと”など出来ないじゃないか!
11―mix juiceのいうとおり
ポップな曲を聴いたのなら少し趣向を凝らした別の曲調のものも聴いてみたくなる、という希望にまさに沿った、ポップというよりかは少しばかりジャジーなこの曲。
彼らにしては珍しくピアノソロから始まり、ドラムのリズムを合図にギター、ベース、ピアノは同じメロディーを奏でる。これぞ音楽用語であるところの“ユニゾン”。歌が始まってもそのスタイルは変わらず、Bメロに入るまではイントロと同じフレーズを繰り返している。
9曲目が「寄り添う歌詞」だとするなら、この曲は「背中を押す歌詞」だと思う。
失敗してまた1からやり直しだとしても、2回目はそれを回避する方法を知っている。1度の失敗を繰り返さないように踏みしめた次の一歩は、きっと初めての時よりも自信を持って踏み出せることだろう。
仮にまた失敗してしまっても、そのときは“ミックスジュース”のようにぐしゃぐしゃにかき混ぜて有耶無耶にしてしまえ、とでも言いたげな勇気をもらった。
12―Cheap Cheap Endroll
紆余曲折ありながらも辿り着いたDr.Izzyの最後の曲。
タイトルには最後の曲に相応しく「エンドロール」と書かれているが、その前の「チープ」とはいったい何のことだろうか。
それぞれの楽器が音出しをしているような雑然とした様子からこの曲は始まるが、何となく雲行きが怪しい。それこそ1曲目のような。
してやられた。
最後の最後までDr.Izzyは「らしさ」を貫いた。
3人それぞれが好きなようにセッションして即興で作ったようにも聴こえてしまうこの曲は、Dr.Izzyそのものだと思う。Drは私達に色々な面で接してくれたけれど、結局のところこういったやりたいことをやりまくった結果できた、みたいな曲がお似合いなのだ。
偉そうに曲のことを語るやつも、勘違いして他人の感想を鵜吞みにする奴もDrの世界にはいらない。いられない。だからDrのカルテの記載から除外されてしまう。
これこそまさに分かりきっていた、Dr.Izzyを体現した“チープなエンドロール”に違いない。
最後に
これにて「Dr.Izzyの手術」はつつがなく終了した。
今回私が長たらしく話したよりも多くの謎を秘めているのがこのアルバムの魅力であり、良さであるため、それを全て晒さないこともまた人を惹きつける魅力のひとつとなる。
もしひとつでも気になった曲があったのなら、ぜひ聴いてみてほしい。
そしてもし、Dr.Izzyに目を付けられてしまったら、患者として「アルバムを聴く」という責務を果たしていただきたい。
20XX.12.■■ とある患者の手記より
管理責任者 Dr.Izzy
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