悲しいニュースを見て

自分自身が自分のボスになれ!

的なことは
自己啓発系の本のテーマによくあるかと

しかしながら

自分自身が自分のボスになんぞ
なれないのではないか?

朝起きる
何かを食う
着替える
出かける
目的地につく

たったこれだけのルーティーンでさえ

上手くいかないことだってあるのだ

出来ることと
望む事は別だと考えていて

ゴミを出す
歯を磨く
洗濯する
掃除する
片付ける
覚える etc

これは程度や精度の甘さはあれど
自分で出来るし
その気になれば
もう少し段取りよくも出来るかもしれない

それに比べて

認めてもらう
見つけてもらう
許してもらう
与えてもらう
チヤホヤしてもらう

などは

自分ではなんともならん領域があって
仮に努力や工夫で叶えたとしても

時と場合によっては
全く失くなってしまう
儚さもそこにあって

随分とあてにならないもんだと
世の中の悲喜交々なニュースを見るたびに
思ってしまう

いやいや
たとえ儚くても
一瞬でもそれがあればいいじゃないか

という考えも
凄くわかる

パチンコの確変が止まらない
もしかしたら
これは選ばれし者だけが与えられる
幸運なのではないか
日頃の苦労が報われたのではないか
あと10連チャンはするんではないか

と、

脳内物質の割合がおかしくなって
興奮が止まらなくなるあの感情
(パチンコしない人ごめんなさい)

あの興奮を欲して
また台の前に座ってしまう性は

パチンコというギャンブルだけでなく
他の事でも体感出来ることで

儚くてもそれにしがみつき
気づいた時には膨大な時間を
それに費やしてしまうのは

珍しい話ではないかと

なぜそんな感情に駆られるのか

それはDNAからそうなってるんだそうな

優勢なもの 
価値あるものに

生き物的に惹かれてしまうんだそうな

勝つ とか
承認される とか
認められる とか

たしかに
なんだか生き残れそうだし
気持ち良さそうだし

そんな憧れに
眉唾をつけながら
自戒を込めてこれを書いている

さ、書き終えよう
掃除して
ゴミを出さないといけないから

彼女の中のボスは
いったい彼女に何を言ったんだろう?



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