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すさんでます

 相も変わらずブックオフや神保町でわけの分からない本を安価で購入し続けている。正 直、もう向学心など己の中には微塵も無い。93年に売られてた音楽雑誌をダラダラと流し 読みし、ああDRIの新譜の広告が出てるなあ、Jマスシス若えなあ、皆さんびっくりするでしょうがカートコバーンもうすぐ自殺しますよ、とか詮無き事を考えながら現実逃避したりしているだけ。本の買い過ぎで汚部屋と化した部屋をどうにか、まともな人間が暮らしている風の状態にできんもんだろうかと四苦八苦していたが、とりあえず今はその様なモチベーションも途絶えてしまい、ただ安楽に手当たり次第目に付いた物を買っているだけ。荒んでます。

 先日ジャケのあまりの悲惨さに心を打たれて「アメリカの貧困百科事典」という本を買った。 役者の演技に因る物だとは思うが、とにかくドワーヴズのジャケから更に夢や希望すら排除したかの様な寂寥感が凄まじい。ときが止まっている。内容は貧困を抑制する為の対策等について書かれた真面目なものであり、自分は英語なんて無理矢理読んでいるだけなので正しい意味を把握できている筈も無く、なのでこの本について言える事も何も無いのだが、これ見た後でテイクバックザナイトのジャケを見直すと「まだ欲望のまま自堕落に生きた方がマシ」と強く思う。こいつら楽しそう。人間は幸せになるために生まれてきた。

 いや、本来「食堂で死んだ目をしながら紙皿でケーキを食う」か「自宅で山盛りのコカイン吸う」しかない最悪な二択を一般市民に強要する社会こそが真にろくでもないのだ。我が国の話だが、プロジェクトマッピングとかいう技術で都庁にCGの人形が踊ったりしてる映像が映されたやつ、あれ本当にやばいよ。あのクオリティもう初代プレステのレベルでしょ。なんか比較として、大聖堂に同じ技術が使われてる映像に「このクオリティで費用1100万なのに、都庁の方はあの有様で費用48億円!!」みたいなキャプションが付いてる呟きをXで見たが、費用関係無く、わざわざ建物にCGの映像を投影する意味って何かあるのか?それ”映写幕”の役割では?建築物とは、その不変性によって荘厳さを保つ物である筈で、テクノロジーを駆使してその表面をファンタスティックに偽造する意味がよく分からない。自分は先日初めて鬼滅の刃を読んで「こ、こんなに面白い漫画があったのか」と感動したのだが、「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」と煉獄杏寿郎が言っていた。風雨から守るなどして人間に快適な空間を提供する事しかできない儚さ、それこそが建築物の美しさの礎である訳で、それを小賢しくCGで加工したところでどうにもならないだろう。建物は建物でしかない、その事実を捻じ曲げる行為こそポスト・トルゥースではないのか?
 
 どうせ初代プレステみたいな映像を都庁に映すのなら、いっそのこと「タイムクライシス」 みたいな昔なつかしのガンシューティングゲームをそのまま映し、そして一般抽選で選ばれた人達に銃を模したコントローラーを渡し、それで都庁に映された悪者達を狙撃して高得点を叩き出す仕様にすればいいと思う。都民もテイクバックザナイトのジャケのおっさんみたいな感じで大喜びだろう、「ワハハ! 俺様がこの街の平和を守ったぜ!!」と。実際、都庁に向けて模造銃を撃つ事は政治に不満を持つ一般大衆にとって程良いガス抜きになるのではないだろうか。都庁にタイムクライシス映すだけだったら費用もあんまかかんないだろうし。とにかく当たり前の事言うけど、あんなもんに税金使うの本当に止めて欲しいんですわ。

俺達に
任せろ


Let me in-Orega Orega- (Live at Hitomi Memorial Hall 2022.07.02)

 ま、そんな感じで荒みに荒んだ生活、仕事中もグレイブバインのレットミーインの「アァァアア 〜〜!!!!無駄〜に生きてんのさァァァ!!!!!可能性〜?んなモン無えエエエェ〜〜〜!!!あるわけ無えさァァァァ!!!!!」とか歌ってて、もう職場で歌いたいが為だけに古今東西の荒んだ内容の歌を一曲でも多く知りたい、音楽に深く接する事で感受性が豊かに育って人に優しくなれるみたいな話とかもう知ったこっちゃない、とにかく悲惨な曲、悲惨な曲、悲惨な曲、悲惨な曲、悲惨な曲、このままだと俺は職場でシューベルトの魔王とか高らかに歌いだすぞ状態が続いている。

禁断の多数決/Crazy

 それでいて禁断の多数決の「Crazy」とかもブッ ブツ歌ってたりするから手の付けようが無い。「クレイジ~、クレイジ~」とか歌いながら感極まって「うっ、ぐっひ」とか泣いたりする、あんたがCRAZYだよとしか言えない歪んだ精神状態。「ふわっと鬱」どころの騒ぎじゃないって。どん底のまた更に底、下の下のゲットーっすよ。いや、嘘。そんな破滅的な状況では無いです。大丈夫。毎日楽しい。

 音楽ももう昔と変わらずマリリンマンソンとかの「瀆神のプロフェッショナル」みたいなやつばっか聴いている。現在、本人が被告になっている裁判の様子とか見てる限りではそんな人格者じゃ無かったんだろうなとは思うが、全盛期のストレスフルな生活の中でまともに生きれる訳も無かったのだろう。とにかく曲が誠実に作られており、「畑のうねを耕す様に、心を込めて聖書を一枚一枚破って捨てました」と言わんばかりの職人然とした名曲の数々にただ涙するばかりだ。モブシーンは本当にいい曲。こいつら楽しそう。

Marilyn Manson - mOBSCENE 

  最近ミセスグリーンアップルというバンドが発表した「コロンブス」という曲のPVが炎上していた。類人猿が住む土地にコロンブス等に扮したバンドメンバーが訪れ、類人猿に文化を教えるみたいな名目の下に人力車を引かせたりする…みたいな内容で、奴隷制度を想起させて良くないみたいな批判が相継いで、自分もそれはそうだと思うんだけど、正直ポリコレを全てクリア出来ているマリリンマンソンの曲みたいな表現は有り得ない訳で、もうメジャーレーベルから発表されている音楽ならば、自分は「過激」とか「奇抜」とかの対極にある、ただ単に普通の事を歌っている曲が聴きたい。今月号のメロン牧場で石野卓球が「最近は『ポストにし尿を注ぎ込む』よりも『紅茶にミルクを注ぎ込む』みたいな普通のやつの方が面白い」と発言していたが、リスナーの一人一人がその様な「凪」の中に隠されている、致死量を越える狂気を見極める眼力を持つ事こそが重要なのではないかという気がする。最近プロディジーの「スマック・マイ・ビッチ・アップ」のPVを初めて見て、余りにもやりたい放題の内容で爆笑&感動した(器物破損、コカイン吸引、飲酒運転等)のだが、これからまたあんなPVが許容される時代が来る筈も無い。もう全部普通にやるしか無いだろう。正直、はなまるうどんとかで飯食ってる時に流れて来る最近のJポップの取って付けた様な「個性」が自分には本当に辛い。「溌剌」「やんちゃ」「社会に適応出来ない自分」「いじけ者」みたいなやつ。あの、椎名林檎の「本能」って曲あるじゃないですか。あの曲って別に本人が看護婦のコスプレしたから売れた訳じゃ無くって、いい曲を作った人が看護婦のコスプレをしたから更に曲が売れたって話じゃないですか。そこを勘違いして、ただ単に看護婦のコスプレをしているだけの曲が多すぎると私は思います。それで「将来に不安があるけど、それでも諦めない自分」みたいなレディメイドな個性を全面に押し出してこられても、こっちは反応のしようが無いんですわ。というか、自分の持論なんだけど、音楽に異常な関心を示す人って、他人に興味を持つ能力が欠如してる奴が大半だと思う。「スマック・マイ・ビッチ・アップ」のPV見て爆笑する様な、どっかが壊れている鬼畜。他人の個性とか心底どうでもいいおぞましい悪魔の群れ。だから、もう、歌い手の個性を過剰に押し出した曲が…自分は苦手です。ミッシェルガンエレファントの「ランドリー」みたいなやつが一番いいと思う。歌い手の個性は無くて、その代わりにただ感受性だけがあるやつ。ポップにおいて自分は"他人の感覚"を共有したいだけであって、他人自体は完全にどうでもいい。他人の存在自体を尊重するのは社会活動が担うべき役割だろうと思う。だから、何回も言うけど、はなまるうどんでそういう、なんか「他人」としか形容のしようが無いJポップを聴いていると「なんで俺がこんな目に……?かけうどんの小が100円から330円に値上げされただけでは飽き足らず、更にこの仕打ち…この世はどこまで俺を憎んでいるのか?」みたいな怨嗟の炎が渦巻きだすのを止められない。若い人達は信じられないだろうが、昔、はなまるうどんのかけの小が100円だった時代、更には鰹節が無料で入れ放題だった自体があったのだ。別に俺が、はなまるうどんのかけうどんの小が100円で売られている異世界でトラックに跳ね飛ばされて即死してこっちの世界に転生してきた訳では無い。本当にそういう時代がこの世界に嘗て存在したのだ。凄いよな。自分でも信じられん。
 
 ということで、今週もラジオDJ気取りで好きな曲を貼ります。コロンブス繋がりで、「ウェイティング・フォー・コロンブス」というめちゃくちゃなタイトルのライブ盤があるバンド、リトル・フィートが1973年に発表したアルバム「ディキシー・チキン」から、珠玉の名曲、"ジュリエット"です。

 いい曲すぎて笑えるね。

 もうXの自分のアカウントも、アイドルの水着姿の自撮りとか昔のゲームのプレイ動画とかをいいねするだけの、一山いくらの中年男性が運営してるポストに成り下がってしまった(元からそうだが)が、今現在、嘗て無い程にX(旧ツイッター)のタイムラインは快適だ。だって"おすすめ"に腹が立つツイートなんて一つも流れてこないもん。なんで俺はもっと早くこういう仕様に自分のアカウントを仕上げて置かなかったんだろうと本当に疑問に思う。余りにも無駄なストレスを己に強いていた。140字の文章しか投稿出来ない異常なSNSに自分は何を期待していたのだろうか?スーファミ版の半熟英雄の動画とかが流れてくれば自分はもうそれで満足だ。こうやって中年は僅かながらに残っていた社会性をも失っていくのかもしれないが。ま、それはそれとして、最近ではヒップホップに一家言ある人が「ラップは韻を踏まないといけない」みたいなドグマをXで振りかざして騒ぎになっているらしい。恐ろしいっすわ。好きな曲聴いてりゃいいじゃんね。というわけで、自分の好きなヒップホップの曲を貼ってこの文を終わります。また来週もよろしく〜。

UMC's/ANY WAY THE WIND BLOWS


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