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過去の自分と共に生きる。

2021年7月とあるセッションを受けた。
自分の進む道が見えてはいたものの、どうにもこうにも強烈なコンプレックスと過去の挫折経験が腰を重くさせていた。

自分みたいな未熟者がやってもいいものか、なんの肩書もない自分が人様に、私はこうゆうことで役に立てます!とアピールするなんて恐れ多くて、でも自分の湧き上がる衝動は抑えられずどうしたらいいかわからなくて立ち止まってた。

そのセッションは魂の声を聴くという、いわゆるスピリチュアル系のセッションで通常だったら胡散臭い・・・受けたくない、というのが私の率直に湧いてくる気持ちだった。
そういった力を繋がりのある人達に提供しているAさんは、去年一緒にイベントを盛り上げようと頑張ってくれてた仲間で、人柄は誠実さと正直さで溢れていた。
Aさんはインチキなことはしないだろうという絶対的安心感があった。

この二年ほど随分と迷いに迷って停滞し続けていたこと、実父が急逝したこともあって、

迷ってるうちに時間はあっという間に経ってしまう。。。
人生の時間をもう一瞬たりとも無駄にしたくない

そんな想いが強くなったのもありAさんのセッションを受けることにした。

Aさんのセッションは相手の全身を観ながら、現在から過去へと感情記憶を遡り私の魂の声を掬い取る。

直近の私の感情変化から過去の挫折経験、トラウマ、思考の癖がどこから来ているのか

誰にも話していない、過去の経験とその時の感情を、他人の口から聞くというのはものすごく変な感じだった。

家族との関わり、音楽に対しての挫折感情、自分の中で拗らせていたどろっどろした塊みたいなものが曝け出されて涙が止まらなかった。

過去の弱かった自分もひっくるめて今から一緒に楽しめばいい。

Aさんからそんな言葉をかけてもらった。
その考え方は目から鱗だった。
過去の弱い自分は汚点でしかなく、ずっと自己嫌悪の種で、あの時もっと頑張っていれば。。。。そんな思いが心の奥で燻り続けていた。

過去の自分と一緒に今から楽しむ。

この言葉は私の気持ちを軽くしてくれた。
涙と一緒に、後悔と自責の念が洗い流されたように感じた。

やりたいことに対しても、本当は肩書きなんて関係ないことはわかっていた。
要は、自分がどうしたいか。
だけど過去のダメダメな自分を思い出して、今の自分もそんな恐れ多いことできない。。。何も行動せずに言い訳してることを突きつけられた。
薄々わかってはいたのだけれど、もう動いていくしかない、そんな段階に来てるんだとようやく覚悟が決まった。

誰に何を言われてもいいじゃないか。
見てくれてる人は必ずいる。
そう信じて動き出した去年の年末。

今は動き出して本当に良かったと思ってる。
18歳の自分が喜んでいるのがわかる。
回り道してきたあの10年に意味があったことも。

そうゆう自分だからこそ人に伝えていけることがあると思えるようになった。

去年読んだ本の一節がまた頭に浮かぶ。

20代、30代は人に言われたことを黙々とがむしゃらにやります。
40代になったら自分のやりたいことや好きなことに専念します。
50代になったら積極的に周りの人の面倒を見ます。
60代になってもじぶんのことしか考えていなかったら恥と思え。

先日41歳になって、子供の頃に夢見た生活が20年越しに少なからず叶っていることに神様とご先祖様に感謝した。
今自分の好きなことにようやく正面から向き合って集中し始めたところ。
おそらくこれからの10年間、自分史上最高の自分を楽しむ時期に入っていく、そんな予感がある。
自分の周りにいる、ピアノが好きな人に、何か少しでも自分が伝えられることがあれば伝えていきたいと強く思う。

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