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【詩の森】506 一日暮らし

一日暮らし
 
韓国ドラマ
『天気がよければ会いにゆきます』は
山間の小都市を舞台に
大きな闇を抱える二つの家族と
彼らを取り巻く濃密な人間模様を描く
ハートフルなドラマである
主人公のウンソブが営むグッドナイト書房―――
ある時書房の謂れを聞かれた彼は
「誰にもグッドナイトが訪れてほしいから」
と答える
よく働きよく食べよく眠ること
それが人の暮しだとウンソブは思っている
一見簡単そうに見えるそのことが
実はとても大変なことなのだと―――
聞いたのはウンソブが密かに思いを寄せる
元同級生のヘウォンだった
彼女は不満そうにいう
「でも人生ってそれだけ?」
 
『水が流れている』
というエッセイの中で
詩人の山尾三省さんは
屋久島の森で
シャンシャンボという甘い実を採り集める
初冬の一日について書いている
甘い実でジャムを作る喜びもさることながら
小春日の中
一家でそのような時間を過ごせることが
何よりいとおしいのだという
そして江戸初期の禅僧
正受老人の言葉を紹介している
「一日暮らしという工夫せしより、
精神すこやかにして、又養生の要を得たり。
一日よく暮らすほどのつとめをせば、
其の日過ぐるなり。
死を限りと思えば、一生にだまされやすし」
一日暮らしという教えの全文だ
 
一日暮らしというのは
毎日を精一杯生きよという教えだろう
辛さに耐え楽しさに溺れず
健やかに暮らす日々―――
それはグッドナイトと
なんとなく似ているような気がする
老師はまた
一生という言葉に騙されてはいけないという
そもそも自分の死など誰にも分からない
死で終わる一生の中に一日があるのではない
一日一日の積み重ねを
一生と呼んでいるにすぎないのだ
僕らにできることは今日一日を
悔いなく過ごすことだけではないだろうか
明日を思い煩い過去を悔やんでいたら
今日という日が疎かになるだけだろう
いちばん大事なのは
只今の心だというのである
 
養老孟司さんの『バカの壁』は
もう二昔も前の本だが
考えるヒントがいっぱい詰まっていて
僕は時々読み返している
ある時人生の意味についての話に
僕は酷く狼狽した
それは
アウシュビッツを経験したフランクルが
後年ウィーンで教鞭をとっていた時のことだ
アメリカからの留学生の60%が
人生は無意味だと考えていたというのである
留学生といえば
先々国家の中枢を担うような人たちだろう
その彼らが人生が無意味だと考えるのは
どうしたことだろう
僕には
世の中の土台がぐらついているように
思えてならない
 
さらにその話は
人生は無意味だと考える
オーストリア人・ドイツ人・スイス人の割合が
ともに25%だったとつづく
さらに恐ろしいことに
麻薬患者の100%が人生は無意味だと
考えていたというのだ
彼らはみな正受老人のいう
一生に騙された人たち
なのではないだろうか
明日をも知れぬ命だから
今日の命に意味がないのだろうか
どうせ死んでしまうのだから
一生に意味がないというのだろうか
フランクルは
強制収容所という極限状況の中で
生きるとはどういうことか
一人考え続けたという
 
そうして得た結論は
「他人が人生の意味について考える手伝いをする」
というものだった
フランクルは
「人生の意味は外部にある」という
常に周囲の人や社会との関係から
意味は生まれるというのだ
人生において意味を見いだせる場所は
共同体しかないと養老さんは断言する
僕らは個人というものに
軸足を置きすぎているのかもしれない
僕らは一人で生まれてきたわけでもないし
一人の力で生きている訳でもない
だれかの作ってくれた食べものを食べ
たれかの作ってくれた服を着て
だれかの作ってくれた家で暮らしている
無数の見えない手が
僕らの『一日暮らし』を支えている
 
教育学者の大田堯さんは
いのちの特性は
違う 変わる 関わる
ことだといっている
関わることなしに
いのちは存在しえないのだと―――
違う者どうしが関わるからこそ
そこに互いに変わる契機が生まれ
新しいものを生み出す力も
湧いてくるのではないだろうか
その関わりの中に喜びがあり
人生の意味もあるのではないだろうか
しかしこの社会で引きこもっている人は
内閣府の最新の統計では
今や146万人といわれている
過酷な競争社会が人と人とを競わせ
相互の関わりを歪めているのでは
ないだろうか
 
僕らはずいぶん前から
協力ではなく対決
分かち合いではなく奪い合いを是とする社会に
投げ込まれたままだ
いのちの特性が大田さんのいう通りなら
僕らは
違うといってはいじめられ
変わりゆく自分をレッテルでピン止めされ
社会に関わることすら拒絶されている
競争社会にあるのは
勝者の勝鬨と敗者の呻吟だけだろう
そこからどうして
生きがいが生まれてこようか
僕らは
僕らの社会の基盤である競争原理をこそ
覆すときではないだろうか
生きる意味を見いだせない社会なら
やがて滅びるしかないだろう
 
2023.6.16
 
 

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