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【詩の森】623 『日本の頭』と『世界の頭』

『日本の頭』と『世界の頭』
 
日本に住み日本人と話し
日本語で放送される世界のニュースを
聞いているだけでは
僕らは『日本の頭』しか持てないだろう
英語を学んでも
英語が話せないなら
聞くこともできないだろう
聞くことと話すことは同じコインの表と裏だ
英語のニュースをはたしてどれだけの人が
聞いているのだろうか
 
65歳を過ぎてから
僕が韓国語を学び始めたのは
韓ドラの影響である
以前に茨木のり子さんの
『ハングルへの旅』を読んでいたことも
遠因になっていたかもしれない
韓ドラに時々詩が登場するのも
僕には好ましかった
どうせなら台詞も詩も分かるようになりたい
そんな単純な動機だった
 
言葉を覚えたいと思うのは
だれかと話したいからだろう
そして通じた喜びが次の学びへの原動力となる
日本の英語教育は通じる喜びを
教えていないのではないだろうか
日本語を覚えたように
外国語も覚えていくだけでいいのだ
穿った見方をすれば
それもこれも『日本の頭』にして置きたい
統治者の意図なのだろう
 
想像してみよう
もし英語教育に費やした莫大な時間で
日本人の大半が
英語が話せるようになってしまったら
井の中の蛙どころか
大海を泳ぐ鯨になってしまうだろう
日本のメディアが
海外の重要なトピックを伝えないことなど
すぐに見破られてしまうだろう
そして見放されてしまうはずだ
 
思えば
日本は不思議な国である
小学校から英語は教えるのに
近隣の韓国語や中国語にはその選択肢はない
仲良くにするには言葉を覚えることだ
言葉を覚えて話してみることだ
言葉は思考の体系であり純粋に音の体系でもある
日本語には日本語特有のリズムや響きがあり
韓国語には韓国語特有の
得も言われぬ響きがある
 
学び始めて3年程の韓国語だが
たとえば挨拶一つとっても
日本語と韓国語では大いに違う
韓国語では
朝も昼も夜も「アンニョンハセヨ」だ
直訳すれば
「安寧にいらしてください」ということ
大国の動向を常に気遣う歴史をみれば
安寧こそが最大の関心事だったのかもしれない
などとつい考えてしまう―――
 
言葉を覚え
相手の見方や考え方が分かってくれば
誤解や無理解による軋轢は
ぐんと少なくなるだろう
『世界の頭』を持つということは
異なるソースの情報を取捨選択し
相手の言い分も考慮できるということだ
『世界の頭』を持つことができたら
僕らも少しは大人になれるだろう
語学はその入口なのだ―――
 
2024.4.15
 

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