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【詩の森】641 僕らと僕と

僕らと僕と
 
ことわざには
十人十色というのがあって
十人寄れば十色の国などともいう
もともと
寛容だった日本人はどこへ
行ってしまったのだろう
 
アメリカ人の目からみれば
今の日本人は十人一色で
見分けがつかないという
似たようなものを持ち
似たような家に住み
似たようなものを食べている
 
みんな違ってみんないい
と詩人の金子みすゞさんはいった
人の特性は
違う・変わる・関わることだと
教育者の太田尭さんが教えてくれた
しかし僕らはかなり画一的だ
 
ワクチンを打てといわれれば
われ先にと打ちにいく
互助といわれて消費税を受け入れる
3%だった消費税は今や10%
いずれ20%になっても
黙って従うのだろうか
 
道徳の根本機能は
人間の行為に規則性を与えることだと
『道徳教室』の中で高橋秀実さんが書いている
2018年道徳が教科化された
これから先子どもたちは
心に点数を付けられるのだろうか
 
高橋さんによれば
ある小学校1年生向けの教科書には
「どうとく」では、よりよくいきるために
たいせつなことについて、
みんなでかんがえるよ。
と書かれているという
 
みんなで考えるなら
自分で考えなくてもいいことになってしまう
と高橋さんは危惧している
考えることは本来一人の行為だからだ
それにみんなで考えると
答えは一つにされかねないだろう
 
アメリカでは
小さいうちから「君の意見は」と聞かれ
誰でも「自分の意見」を持つようになるという
どんな意見をいっても叱られないのは
意見は意見だからだ
議論が終わればノーサイドなのだ
 
しかし日本は真逆だ
他の人と違う意見を言おうものなら
へたをすれば爪弾きにされかねない
意見が人に付いて回るのだ―――
空気を読めない奴という
レッテルまで貼られることだろう
 
それが怖くて
いつも周りに従うだけなら
僕らはついに数合わせの一人でしか
なくなるだろう
ああ僕らはいつになったら
僕になれるのだろうか
 
僕になるとは
ゆずれないものを持つことだ
いてもたってもいられなくなるような
熱い心で生きることだ
自分で決めた生き方通りに
愚直に歩き続けることなのだ―――
 
2024.5.22
 
 

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