蓮ノ空を記録したいのだけれども
1年間掛けてじっくりと分からせられた概念だ。
大賀美沙知の卒業にはバカ泣きし、104期生の入学から始める環境の変化にはふと目を離すとあっという間に置いてかれそうな推進力がある。
前回は、蓮ノ空を写真として記録するのには報道写真という視点も取り入れて良いのでは無いか、というのを偉大な写真家である木村伊兵衛の生き様から見いだそうとした。
そこからさらに掘り下げて、そもそもなんで蓮ノ空のことを記録したい、しないといけないのではという使命感に駆られるのかを考える。
私が写真に執着しているのは、μ'sの時代を振り返ろうとしたときに写真フォルダを見返したときに写真が少なく、思い出を残してこなかったことにショックを受けたからだ。あの濃密で世界が大きくうねるエネルギーに溢れていた時代を語ろうと思ったときに語る言葉が貧相すぎて悔しかった。
反動でカメラを買い、Aqours、虹ヶ咲、Liella!に合わせて聖地で写真を狂ったように撮っている、そしてもちろん蓮ノ空も。
この蓮ノ空のリアルタイム進行というのがとても悩ましい。
この部分の文章を書いている現在、【もうすぐ1周年同時視聴会】103期10月〜12月度Fes×LIVE 一挙放送を見ている、4月度から振り返ってきての3日目だ。改めてリアルタイム視聴当時を思い返しながらいつも通りに実況しながら見ていると、想像以上に記憶が欠落していることに驚く。
たった一年前、しかもつい昨日のことのように感じている出来事なのにすでに思い出せない、印象が深いはずの出来事を忘れている。それは配信されている映像情報を忘れているとかではない、当時の配信前後に起きたフレーバーテキスト的な出来事の記憶である。
たとえば、6月度Fes×LIVEの手前で楡井希実さんが体調不良でFes×LIVEにギリギリ間に合って肝を冷やしたことだとか、サマステを配信で見たけどそれはちょうど沼津夏祭りのときでネカフェに入って見たこと、サマステでキャストが全員コロナ貰ってWith×MEETSが配信出来ないという致命的な出来事があったこと。ほかにも、ラブライブ!以外の話題がちょうどよくかみ合ってあてこすりな胡乱な話で盛り上がっていた内容とか、諸々を忘れている。
こうして振り返り配信をなぜか前回と同じメンツが高い出席率で実況することで、あのときは確かああだった、あの話題で盛り上がってた、今だとこういう解釈が出来るよね、というのを語ることで記憶に定着していることしか残らない。
リンクラのアーカイブ機能はあるが、そのときの周辺情報、オタクの感想や感情の揺れ動きはTwitterのログを見なければならない。しかし、それはユーザーの単一のエゴサーチぐらいしか出来ず、リアルタイム当時に見ていた文字列の感想の羅列による再現をすることは不可能であり、それは写真というフォーマットで記録しようとするのは容易ではない。
ということは、ラブライブ公式が投げた石による波紋、ファン側の揺れ動きというのは、ひとまずは文字で記録していくしかないのかもしれないと考えている。
つまるところ、メディアを作るという話になっていくのだろうか。
写真の歴史を見ていくと、写真というはやはり雑誌で取り上げられることで話題を呼び、社会問題に切り込んでいったりするのが主流だったのだ。
いまの二次創作活動で写真がそういった活躍の場がないのであれば、自分でメディアという写真の活躍の場所をやるしかない……?みたいなものが浮かんでくる。
さて、文字で記録するとしてもどうやってまとめていこうか。
まとめブログのような他人の発言だけをまとめたものではだめだろう。写真と同じように他人と同じものを見ていたとしても、視点を変えて情報を切り取り整理し、自分の言葉でまとめる必要を感じる。
フォーマットはやはりこのnoteが使いやすいだろうか。Twitterからの流動性がよくて多くの人に見てもらえる可能性がある。蓮ノ空に関しては、公式noteがあるのため、感想コミュニティがnote上にあるのも良い。公式noteで書いてあるようなことを改めて一介のオタクが行う必要も無いだろう。
そうなると、通常の雑誌のように印刷されるわけでもないし、レイアウトを自由に組めるわけでもないためシンプルな構成で面白く構築する必要がある。
それとも、プリンターを購入して雑誌のようにレイアウトしたモノをプリントとして自宅にアーカイブしていき、ネットにはそのPDF版、jpg版を配布するというのも面白そうだが、なかなかに制作コストが高そうだ。
以上を踏まえていま簡単に浮かんでる構成は、
みたいな形だろうか。
ひとまず週一更新を目標にし、あまりに新規情報が多すぎる場合は週に2回、号外などの更新頻度の調整をする。
そもそもこれが正解かも分からないのでやってみないことには始まらない。
実はこれに考えが近いことはすで取り組んでいて、私のTwitter上ではスクールアイドルコネクトの配信があるときに合わせて更新している記録写真がある。
この#104期SICというのは104期のスクールアイドルコネクト(クラブ)の記録という意味で使っている。
写真は配信を映した端末と日付と時間が分かるオブジェクト、その配信を見ている時の状態、周辺環境が分かるようになっている。
なんでこれを始めたのかというと、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブ、Link!Like!ラブライブ!の体験で一番ミソになっているのがリアルタイムで味わうスクールアイドルコネクトだろうという考えからだ。
シャッターを切るタイミングは、「ぽちっ」と配信停止のボタンを押した瞬間と画面が切り替わった後、そのときの時間が何時何分であったのかを記録としてわかるように心がけている。
時には視聴環境により時刻が記録できなかったり、リアルタイムで見ることが出来なかったりした場合は、自分がアーカイブをどんな状態で見たのかを記録したいと思っている。
そう、このテーマの写真で表現しようとしていることは、リンクラのスクールアイドルコネクトという体験そのものを記録しようとしている。スクリーンショットを残すのもいいんだが、もっとメタ的な視点を取り入れたいと思った。
自分が、いつ、どこで、どういう環境で配信を見ているのかというものを1年間記録を続けていたらなにか意味があるものになるかもしれないと思って続けている。
「ぽちっ」のタイミングにしているのは、そのタイミングが「コネクト」、バーチャル上である蓮ノ空と現実世界の繋がりが切れる瞬間だからだ。リンクが始まる時間はあらかじめ分かっているが、繋がりが切れる瞬間は毎回時間が違うため、記録するならこちらにしたほうが情報の重要度が高いかなと思っている。
以上の事柄は103期の配信を全てアーカイブ漏れなく見ていたから、その様子を記録するのは苦ではないから続けられるだろうなというのもあった。
写真を撮るという行為は、後で見返すという行為もセットで考えるべきだと思っている。思ってはいるが、いざカメラを握って被写体に集中してると、その後で見返すというのを意識して構図を組むのが非常に難しかったりする。
友人の結婚式の写真を撮ったときはかなりそのことを意識して撮影した、いつまでも末永く幸せであってほしいと、十数年後に子供と一緒に見返したときにちゃんと「写真として機能する品質」でなければならない、と。
しかし、普段からそういう視点で生活していないと撮れない、もしくはそもそも世界の捉え方、見え方が違っているという写真以前の問題なのかもしれない。
だとしたら、今のままだと表現に限界があるので全く違う分野のインプットをしないと成長できないと感じていて、104期の物語に振り落とされないように自分をアップデートしていきたい。
メディア的な写真を絡めたコンテンツ、徒町リスペクトでチャレンジしてみるしかないですね、ちぇすとー!
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